26話 強引
子供の霊を背負った女性は、ある建物の前で立ち止まった。寂れた廃屋。外壁には亀裂が入り、窓には何もはまっていない。建物の周りには柵とロープがはられており、立ち入りは禁止されているようであった。
女性はロープぎりぎりに立ち、俯きながら何か呟いている。追いかけたは良いものの、声はかけづらくササハは微妙な距離を空けたまま女性のあとについていた。
「話しかけないんですか?」
いつの間にか追いついていたケイレヴに問われ、ササハは口ごもる。困った表情でササハはケイレヴを見上げ、眉を下げたまま口を開いた。
「近づいたら、背中の子の声が聞こえて……お母さんって。わたしてっきり、背中の子があの女性になにかしているかと思ったんですけど」
あの子供霊は、もしかしたら女性の子供なのかも知れない。そう思うとなんと声をかけ良いのか分からなくなった。そうこうしている内に、女性に小太りの男性が一人近づいて行くのが見えた。
「いい加減にしてくれ。今あんたの旦那に連絡をやったから、絶対に中に入るんじゃないぞ」
多少口調は強いが、男は女性を知っているようだ。女性は男には反応を示さず、ただ俯いてボソボソと喋り続けている。するとケイレヴがすっと前に出て、男に話しかけた。
「この女性、どうされたのですか?」
遠慮などなく話しかけるケイレヴに、ササハも何をやっているんだと慌てふためく。明らかに部外者が、興味本位で暴こうとしてはいけないだろうに。
「先生! やめてください!」
「ああ、半年ほど前に事故があってな。立ち入り禁止の廃墟に入り込んで遊んでいた子供が、放置されてた家具の下敷きになって亡くなっちまったのさ」
ケイレヴを止めようとしたササハだったが、男はいともあっさり話し始めて、しかも内容が内容だけにササハは目を見開いて男を見る。
「あの女性はその子供の母親だ。エリンさんと言うんだが……まだ自分の娘の死を受け入れられないんだろうな。こうやって何度も事件現場に来ちまうんだ」
「そうだったんですね。教えてくださり有難う御座います」
「あ、ありがとうございます……」
にっこり糸目で礼を言うケイレヴにササハもつられる。男は特にササハたちを訝しむ様子もなく、踵を返す。男は近くの店で働いているのか、すぐ近くの建物へと消えていった。
「子供さんを亡くした、お母さんだったようですね」
「そ、そうですね。と言うか、先生なにか怪しい術とか使ってます?」
「怪しい術ですか? さあ? どうなんでしょう」
「………………」
ニコニコと笑むばかりのケイレヴに、ササハは追求は止めておこうと女性へと視線を寄越す。至近距離で見れば、女性は幼い子ども服を抱え込んでいるのが分かった。女性は中身のない子供服を、まるで我が子を抱くように抱きしめていた。
「あの」
ササハは女性へと話しかけた。しかし女性は何の反応も返さない。代わりに首に手を回し、背中にぶら下がっていた子供がこちらを向いた。
子供は両手以外は生前の姿なのだろうが、唯一目だけが空洞なのか、はたまた瞳の色を失ったのか、ササハを見た二つの目玉は真っ白だった。
「こんにちは」
――こんにちは
「あなたのお名前、あ、わたしはササハって言うんだけど、あなたのお名前教えてもらってもいいかしら?」
――リィーナはリィーナちゃんって言うよ
「リィーナちゃん?」
ピクリと女性の肩が揺れた。
「リンナ……」
女性はゆっくりと顔を上げ、ササハを見た。たしかに顔はこちらを向いたのに、視線は合っていない。ササハの後ろに立っていたケイレヴが口を開く。
「どうしてまだ、こちらにいるのですか?」
まだ? とササハは思考の中だけで問う。横向きに、顔だけ向けている母親の背で、リンナが少しだけ悲しそうに俯いた。
――だってママが、いっちゃだめって
「そうでしたか。でも、早くしないと真っ黒になっちゃいますよ」
「先生。それってどういう事ですか?」
「混ざって真っ黒になって、行かなきゃ行けないところが、分からなくなるんです」
ひゅっとササハは息を呑んだ。真っ黒い影のような人。ただそこに居て、ずっと前から、いつまでそこに居るのか分からない影。
――でも、ママはリィーナちゃんといっしょに行きたいって泣いてるの
「駄目だよ! リィーナちゃんのママは、まだ生きてるの! だから連れていっちゃ駄目!」
女性の手が伸び、ササハの左手を掴んだ。
「リンナがいるの? 私を、迎えに来てくれたの?」
「ちが」
「違いますね」
ケイレヴがそっと女性の手をササハから外し、しかし、きっぱりと否定を口にする。
「お子さんが迎えに来たのではなく、あなたが掴んで離さないのですよ」
リンナの両手は女性の首に巻き付き、黒く染まって――女性に溶け込んでいた。
「なので、あなたが望む限りはお子さんはどこへも行けません」
女性の顔に、歪んだ笑みが広がる。と同時に女性の視界には、驚愕し青ざめるササハの表情が飛び込んだ。ササハは今にも泣き出しそうな顔で女性の背を見て、そして、何も言えなかった。先程とは逆で、女性が一方的にササハを見つめる。
「教えて差し上げないのですか?」
ケイレヴが心底不思議そうな声で訊く。
「このままだと取り残されちゃいますよ」
取り残される。女性の顔に困惑が乗った。
「望まれて、残って黒くなって」
「待って、先生。少しだけ」
「ご両親が亡くなってもきっとずっと、独り。ここに残り続けてくれるでしょう」
「そんなっ! リンナは、リンナはっ……」
「今もあなたと一緒にいらっしゃいますよ。あなたが離してやらないので」
振り返り、ササハはにっこりと笑みを浮かべているケイレヴを見た。顔色ひとつ変えず、陰りすら見えない。
「先生!」
「はい」
「せん、せい……」
「はい。先生です」
「先生は大神官様なんですよね。なんとかしてあげられないんですか?」
「あげられないですね~」
「ぅぅ~~……」
ササハは唸りながら、ケイレヴの白のローブをきつく握る。だが、彼がそう言うのであれば、そうなのだろう。――なのだろうが。
――ママ。ママ
リンナの無邪気な声がササハの耳に届く。
「それでも、う、ん~~~~!!」
ササハは握っていたローブを離し、きゅっと眉を寄せ振り返る。
「出来るかは分かんないけど、問答無用で引き剥がします!」
「わあ、強引♪」
勝手に後をつけての暴挙。恨むならわたしを恨めと、ササハは女性の首元、黒く染まったリンナの腕に手をかけた。女性の名は、確かエリンさん。先程の男は確かそう言っていた。エリンは咄嗟に身を引いたが、困惑が強く、簡単にササハに捕まった。
エリンは抵抗を見せようとし、なのに力は込められず、ひたすらに怯えている。こんな通りすがりの、急に現れた怪しい人物たちの話しを理解しているのか、涙を零しながら震えていた。
「んん~先生、どうしましょう。外せないです」
「根深いですからねぇ」
「どうしたら良いですか?」
「引きちぎってもよろしければ先生がやりましょうか?」
「確実で安全な方法がいいです!」
「それなら――」
ケイレヴがササハの耳元に落ち着いた声を落とす。
「もっといっぱいで、押し流してしまえばいいですよ」
前にも似たようなことを聞いた気がした。
ユグンは吹き抜ける風の中、必死に足を動かしていた。もう何度、それこそ十は簡単に超える数だ。知り合いの店主から連絡をもらい、妻を迎えに行くために長い坂道を上った。
半年前に一人娘を事故で亡くしたばかりだった。立ち入ってはいけないと言い聞かせていたはずの建物に入り込み、誰のせいにも出来ない、言うなれば自分たち親の責任からの事故だった。建物を囲うロープは簡単にくぐり抜けられるが、中に入るには窓枠をよじ登り侵入しなければならない。
やんちゃな娘だった。娘はわざわざ小さな台を自分で用意し、内緒の探検へと誘い込まれてしまったのだ。
ユグンが家から離れた坂を走る姿は見慣れたものとなった。ああ、いつものかと、訳を知る者は哀れみの表情でそれを見た。
一人娘が亡くなってから、母親がおかしくなった。最初の一月は泣いて、不安定な感情に振り回され自分自身を責めていた。食事の量も減り、夜は眠れないのか娘の遺品をかき集めては泣いてすごしていた。そして三ヶ月も過ぎたころには、娘の服を抱きかかえて、事故現場へと通うようになった。
おかしくなった妻に寄り添うため、ユグンまでおかしくなることは許されなかった。
「エリン」
事故現場より少し手前の場所から、息を整え、落ち着いた様子を取り繕う。声を荒らげないように、妻を不安にさせないように。今にもユグンを置いて娘の元へ行ってしまいそうな妻だから。
「エリン。迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
エリンは一人、今日はいつもとは違い、事故現場から近い場所にあるベンチに座っていた。静かに、すでに聞き慣れたものになった独り言は呟かず、丁寧に畳んだリンナの服を膝の上に置いて。
「……エリン?」
なんだか様子の違う妻に、ユグンは慎重に声をかける。エリンは顔を上げると、久しぶりにその瞳に夫の姿を映した。ただ視線が合っただけ。それだけでユグンは目を見開き、震える右手を妻へと伸ばした。
右手はエリンの頬に触れ、エリンはそれを受け入れる。
「リンナを見送りました。元気そうに、また……産まれるなら、私たちの子供になりたいと――――ぅ、ごめんなさい。今まで、私、私が弱いばかりに……あの子にも、あなたにもっ…………」
「いいんだ。もう、いいんだよ」
ユグンは涙を流す妻を、同じように涙を零しながら抱きしめた。何が起こったのかは分からないが、妻に何かあったことだけは分かった。




