25話 気分転換
試験まであと三日。訓練生にとっては午後は休暇となる三の曜日。午前練に顔を出していたカールソンがとうとう倒れた。
食事や睡眠が十分にとれていなかったのか、青白い顔には隈が浮かび、誰が見てもその顔はやつれていた。倒れはしたがカールソンはすぐに意識を取り戻し、しかし、すぐにでも入院すべきという医療班の言葉を頑なに拒絶した。せめて試験が終るのを見届けたいと本人は青白い顔で言い、カールソンと関わりがある者は揃って首を傾げた。
どうしてそこまで、訓練生の振り分け試験に拘るのかと。
カールソンという男は特に可もなく、不可もなく。あえて言うなれば、物腰が柔らかく人当たりも良いので、訓練生や平民にも分け隔てなく接することが出来るだろうと、教育係に選ばれた。それまでは討伐班に所属しており、大きな活躍こそ無かったが、カルアンの管轄内を班のメンバーと共に奔走していた。
「はあ……」
研究棟に併設されている、医務室がある建物の廊下。グラントは大きなため息をついた。
(知らずに、重圧を与えていたのだろうか)
今しがたグラントが出てきた医務室には、青ざめやつれたカールソンが眠っている。教育係になったばかりの頃の彼とはだいぶ異なる有様に、グラントは疲れた目元を軽く押し込む。
今期は訓練生が四人と、通常よりは多い人数だった。しかもその内の一人がカルアン家の血を引く者で、彼女の周りには二人の特級騎士や、従姉妹であるブルメアも寮に来るほどのやり取りがあった。
そのことが彼に無意識のプレッシャーを与えていたのではと、グラントは再び重いため息を吐き出し、切り替えるように顔を上げるとしっかりとした足取りで廊下を抜けた。
◆◆□◆◆
「ササ。前みたいに一人でどっか行っちゃわないでね」
「分かってるよ」
カルアン領で一番賑わっている街、ルティーア。元から午後は休暇であったササハは、リオに連れ出され街まで下りてきていた。街に出て来たのはササハとリオの二人だけ。
カールソンの事があって、午前練が早めに切り上げられた。レンシュラはカールソンを医務室まで連れて行き、そのまま戻って来なかった。ササハもせめて様子だけでもと一人カールソンの元へ向かったが、ちょうど医務室がある建物の前でグラントとレンシュラに会い、今は休んでいるから心配はするなと追い返された。
そして、その帰り道でリオに会い、二人で出かけようと、すでに外出許可をもらっていたリオに言われたのだ。事後報告も甚だしい。なので今はリオと二人。午後の自由市で賑わう広場を眺めていた。
「何か食べよう? 着替えは済ませたけど、ササ食堂に来なかったでしょ」
「……今そんなにお腹減ってないの」
「少しでも良いから見て回ろ。朝食も、ほとんどレンに押し付けてたよね」
手を引かれて歩き出す。
「しんどい時こそ気分転換だ」
「――……、うん!」
ササハは頑張って明るい声を出した。
自由市の飲食屋台を見て回り、真冬もど真ん中だ。持ち帰り菓子やら、汁物は沢山あったが、落ち着いて温かい物を食べようと店に入ることにした。リオが選んだのは、夜は酒場にもなっている大衆食堂。昼時は過ぎている半端な時間ではあったが、すでに酒の入っている男もおり、ササハは慣れない雰囲気に辺りを見回す。
ササハが長年住んでいた村には宿屋はあったが、もちろんこういった店はなく、隣町にはあったかも知れないが利用したことがないので分からない。唯一ロキアで一度だけ利用した、宿屋の隣にあった飯屋と似ていた。それを思い出した途端、ササハは誘拐事件のことが頭をよぎり表情を歪めた。
「あれ? ササこういうお店嫌だった? 周りを気にしない、楽な店のほうが良いかなって思ったんだけど」
「ロキアでのこと思い出しちゃっただけ」
「ああ……それは、ごめん。そこまで考えて無かったや」
あとから誘拐事件の首謀者の話しを聞いていたリオも、困惑気味に苦笑を浮かべる。
「でも、リオと仲直りしたのもこういう感じだったね」
「そうだね」
木製の、四角いテーブルに座り店員を呼ぶ。ササハもブルメアから貰った認識阻害のブローチをつけているので、余程のことが無い限りは絡まれないだろう。
今日はレンシュラがいないので、慎重にメニューを選び注文を告げる。
料理を待つ間、リオと他愛もない話しをする。リオが今まで回った場所で、こんな料理が美味しかっただとか。王国の北部は冬の気候が長く、カルアンの季節の感覚でいくと泣きを見るだとか。リオは動物にそこまで興味はなく、もし飼うなら鳥がいいなとそんな事を言っていた。あとは――。
「中央の王都の近くにね、不思議な湖があるんだ」
「不思議ってどんな風に?」
「稀に夜光るらしくて、その光ってる時に願い事をするとそれが叶うとか」
「本当に! リオも見たことあるの」
「見に行った事はあるけど、光ってもいない普通の湖だったよ」
ササハは少し残念そうにそうかと息を吐く。けれど、思い出を話すリオの表情が柔らかいものに代わり、邪魔にならない程度に相槌を打つ。そうしている間に料理が運ばれ、遅めの昼食をとった。
店内は賑やかで、それでいて温かい。母に習い自分で作った簡単な料理や、父の屋敷で出されていた豪華な料理とも違う、程々に凝った手作りの味。喉を通り胃への道を柔らかな熱が下り、湯気を逃がすように白い息を吐く。
先程まで積極的に話しをしていたリオも、今は何も話しかけてこない。
「美味しいね」
「そうだね」
「リオがさっき言ってた湖、わたしもいつか見てみたいな」
「なら今度行ってみる? 僕で良ければ案内してあげるよ」
「本当に?」
「うん。ササなら、いつでも大歓迎さ」
ササハは嬉しそうに笑って頷いた。明確な約束はしなかった。
「リオ」
「ん?」
「ありがとね」
リオも笑い返してくれた。
ササハとリオは、店を出て市を見て回る。ルティーアの街――というより、カルアンの土地柄なのか野菜や果物といった食材が多く、寮生活のササハは眺めるだけで満足した。少し歩けば雑貨や小物が売っているエリアに行き着き、そちらはそろそろ店じまいなのか空白のスペースが目立つ。
まだ日は高いが、もう一刻もすれば冬の夜がやってくる。リオが時計を取り出し時間を確認していた時、ちょうど通信ようの魔道具が光った。リオが気軽に魔道具を作動させ、連絡主は
「うわっ……え? いえ、何も言ってませんよ。そんな、ラントさんの気のせいですよ。あはは」
ラントの声はササハには届かず、リオが魔道具に引きつった笑みを浮かべている。
「別に無理に連れ出したわけじゃないですって。――え? だから、ほんとに気晴らしと言うか、……ええ、そういうのじゃありませんから」
言葉を交わしながらも、リオは器用にササハの認識阻害の魔道具をフル充電させる。そして身振り手振りで暫くここで待っていてくれと伝えると、言葉を濁しながら連絡相手であるラントと話しを続けるためササハと距離を空けた。
互いに姿は見える位置だが、声は届かない。ササハは何かお仕事の話でもしているのかと、大人しく待つことにした。
そのササハの目の前を、足取りが覚束ない一人の女性が通った。
「――ひっ!」
瞬間ササハは悪寒を感じ、思わず顔を上げてしまった。
距離で言えば五歩も歩けば手が届くくらい。長い髪はボサボサで、丸めた背のせいで顔はよく見えない。なのに僅かに除く肌は青白く、すれ違う誰もが女性に気づくとぎょっとした顔で視線を逸らす。
ふらふらと、移ろうように歩く女性の背に、三編みを二つに結った五歳くらいの人影がぶら下がっていた。
女性が何事か呟いている。その背にぶら下がる人影――子供。おそらく女の子。そこらで視る黒いだけの影ではなく、黒い影になりかけてい小さな女の子だった。女の子は一見すればロキアで見た女性の霊や、ツァナイの様に半透明の姿に見えたが、背を丸める女性の首に腕を巻き付け、その両手だけが真っ黒に染まっていた。
ササハは思わず女性を目で追う。女性の背では子供が首を、……絞めているのか、分からない。ただ、巻きつけた腕ごと小さな身体を上下に揺すっている。
(大丈夫、なのかしら……)
女性の顔色は酷い。よく見れば着ている衣服も薄いもので、丈があっていないのか覗く手足は素肌を晒している。その晒された手足はやせ細り、軽い衝撃で折れてしまいそうだ。
そしてササハは気づいた。女性は何かを大事そうに抱え込み、何かは分からない。丸めたボロボロの布を抱き込み、だらり、だらりと歩いていく。
「心配ですか?」
「はい。――――――え、へ!?」
不意に声を掛けられササハは隣を見る。
「気になるのなら、先生も一緒に行きましょうか?」
「びっくりした! びっくりした! 先生のばかー!!」
この間と同じ格好。白いローブに、特殊魔具だという花かんむりが頭を囲っているケイレヴが、のほほんとした表情で立っていた。
「怖がってる人に無言で近づいちゃいけないんですよ!」
「怖かったんですか?」
「ちょっとだけです!」
ムキになって訂正するササハに、ケイレヴは楽しそうに笑っている。
「それで、どうしますか。行ってしまいますよ?」
ケイレヴが道の向こうを指差し、女性の背中はいつの間にか遠ざかっていた。
「気にはなりますけど――――気になるし先生もいるから行きます!」
「喜んでお供しましょう♪」
ササハは一度だけリオを振り返る。
「まだお話中のようですね。邪魔しないよう静かにしていましょうか」
「そうですね」
ケイレヴの言葉に、自然と頷いた。
ササハはリオに声を掛けずに走り出し、リオもササハがいる方をちらりとも見ない。
「先生、あの子は何なんですか?」
「なりかけているのでしょうね」
「何にですか?」
「黒い人たちです」
黒い人。ただそこにいるだけの、黒い影たち。
「可哀そうに」
ケイレヴはそう女性の背を見ながら呟き、ササハは走る速度を上げた。ケイレヴは流石にその速度に着いてこれなかったのか、着いてくる気はなかったのか、途中からのんびり歩き出した。




