22話 二つの願い
ツァナイが特務部隊に入隊したのは九年前。ゼメアとカエデが失踪してから約一年後のことであった。当時特務部隊の指揮隊長と、部隊の主戦力の失踪は部隊に混乱を招き、ようやく落ち着きを取り戻したかという頃だった。
入隊時ツァナイは十六歳で、ウルベはツァナイより二個年上。しかし入隊は同じ年の同期であった。
ウルベにとって、ツァナイの第一印象は良いものではなかった。入隊時期のツァナイは不安定で、実力はあるくせにムラが大きく、無愛想で仕事にも不真面目であった。
「アイツは前隊長と、駆け落ちした流民の女と関わりが深かったからな。気をつけろよ。どうせ似たもの同士の碌でなしさ」
振り分け試験を行う前。ウルベはツァナイのことを話す先輩騎士の忠告に、分かりましたと真摯に頷いた。それからウルベとツァナイは正式に特務部隊の騎士となり、それぞれ別の班へと配属された。ウルベは順調に仕事をこなし、五年後には班長を任される程になった。
それに比べツァナイは悪い噂が班をまたいでまで届く有様で、未だに失踪した碌でなし共を探すため我儘を言ったり、時には班員を危険に曝す身勝手な行動を取っていたらしい。実際の現場は知らないが、皆がそう言うのであればそうなのだろうと、ウルベは他人事として聞き流していた。
そんなウルベとツァナイが再開したのは四年前。
「ツァナイの双子の妹と弟が入隊することなった。配属先はツァナイも一緒に、三人まとめて君の班にと考えている。頼めるか、ウルベ」
そう言ったグラントの言葉に、ウルベはしばし脳内処理が追いつかず、なぜツァナイも一緒なんだとか、自分には荷が重いとか、色んな言葉が頭に浮かんだが、ウルベはなぜか真摯に頷いてしまっていた。
今まで上官に逆らったこともなく、期待を無碍にすまいと、己を律してきた故の弊害であった。
イエスマンのお利口な犬。ツァナイを碌でなしと呼ぶ先輩が、自分のことを裏でそう蔑んでいたことをウルベは知っていた。
「ハートィは自信がないだけで逸材だな」
ウルベがそう零したのは無意識だった。
双子が入隊し、半年ほど経った時だった。ツァナイはパワーもセンスもずば抜けていたが、未だ感情が調子を左右しチームに組み込みにくい。しかし双子だけには優しく、双子がいれば無茶はしないので今まので悪評はなんだったのかと思うほど大人しくなった。
次にヴィートは、全てが平均以上の高バランス型だった。パワーも、センスも、ツァナイにこそ及ばないが、下手をすれば班長であるウルベに逼迫するほどで、差がでているのはこれまでの経験のおかげであった。
比べハートィは全てにおいてが平均以下で、体力はそこそこ、パワーは一般女性よりはあるが騎士としては今一つで、戦闘センスはいつもツァナイか、ヴィートの後を着いて回るだけでよく分からなかった。
だが、誰よりも一人特殊魔具を振っていた。ウルベも自主訓練は長いほうだと自負していたが、ハートィとは比べ物にならない。特殊魔具を具現化させるだけでも個人差はあれど、体力的にも、精神的にも疲弊すると言うのに。
ハートィは一人。放っておけば何時間でも特殊魔具を振り続けている。そう、根性論の話ではなく、長時間特殊魔具を具現化させていられるタフさがあったのだ。
「……班長」
「? ツァナイか? どうした」
カイレスが三人もいるので、自然と名前呼びになっていた。
訓練場の片隅で、休憩がてらハートィを見ていたウルベに、いつの間に居たのかツァナイが目をかっ開いて詰め寄ってきた。
「アタシ、班長のこと誤解してた! アンタちゃんと解ってるじゃない!」
「なっ――何を! 手を握るな!」
「そうなんだよ! ハートィは、あのこはちゃんと凄い子なんだよ!」
瞳を大きく輝かせ、今までとは違う、自分たちとそれ以外。どこか線引がはっきりとしているツァナイが、初めて線の向こう側から、ウルベに興味を持った瞬間であった。
「いいから、離れろ! ち、近か寄りすぎだ!」
ウルベはそれだけで顔を真赤にし、それでもツァナイはお構いなしだった。
それからウルベは、ツァナイと話しをする機会が増えた。相変わらずツァナイは双子が一番で、その次に駆け落ちした前隊長夫妻。そうしてようやくツァナイ自身がくる。
だからウルベは、それとなく。もっとツァナイ自身を優先しろと、一番に大切にしろと勇気を出し、しどろもどろながらも伝えたと言うのにツァナイときたら。
「無理無理ー。そんなこと言われても、分かりませーん」
とおどけて言われ、本気で呆れを滲ませた。だって、自身を大切にしろと伝えて、なぜ先程のような返答が返るのか。むしろまともに会話をする気がないのかと、怒りすら湧いた。
「でも、事実なんだからしょうがないでしょ。何ていうの、アタシって小さい頃からあんまり性格変わってなくてさ、今も悪い噂多いでしょ? 一緒。両親にもさ、一番上の子は失敗だった――みたいに言われたこともあって」
いつだったか。まだ両親が生きていたころ。両親の仲は冷えていたがそれだけで、何か薄暗い過去があったとかではない。ただとある屋敷の使用人として働く両親が、仕事仲間に対して軽い世間話しをしていただけ。やんちゃがすぎる長女に手を焼き、ため息交じりに話していたのをたまたま聞いてしまっただけの話し。
「ゼメア様に引き取ってもらっても、カエデさんに弟子入りしても、結局二人揃ってどこか行っちゃって帰って来ないし」
そして双子の一番はお互いだ。ツァナイは一番になったことがない。だからツァナイが一番に優先されるなんてあり得ないのだ。そういうものなのだ。そういうものであると、当然なのだと納得した。納得させた。
怖いから。惨めだから。
「アタシの決めた一番に、ケチつけないでよ」
そうやって笑顔で言われウルベは引き下がった。攻撃的な牽制に怯み、見ないふりをして、伸ばしかけた手をなかったことにして逃げ出した。
「グラント隊長、お願いがありますっ……」
誰か一人を贔屓してしまいそうになる。そう建前を掲げ班長を辞めさせてもらった。いち班員としてやり直し、まだ自分は未熟で、立派に人と向き合えないから。向き合う自信がなかったから。
そしてツァナイが死んだ。
ツァナイはウルベの代わりに班長になり、双子を庇って命を落とした。ウルベの班も応援で現場にいて、目に見える範囲にいたのに。ウルベはツァナイを失った。双子のどちらかも片目を負傷していたが、ウルベにはどちらでも関係なかった。
「はん、ちょ……」
「喋るな! すぐに追加の回復薬がくるから!」
現場はめちゃくちゃだった。フェイルはまだ倒せていない。ウルベもすぐに攻撃に参加しに行かなければいけないのに、ツァナイの傍から離れられない。ツァナイの一番の双子は、すでに調査班の誰かが担ぎ移動させている。
「アタシ、まも、れた?」
あの子たちを。
「アタ……シの、いち、ば……」
「ツァナイっ!」
ウルベの一番はツァナイだった。後悔し、ウルベはようやくそれを認めた。
「……先輩」
そしてツァナイの一番の半分が、今ウルベの目の前にいる。
ウルベとハートィの勝負は、ハートィが勝った。あれだけ大口を叩いたウルベは敗け、今は人目を避け訓練場の裏でハートィと二人だけだ。
いつも傍にいる前隊長の娘もいない。都合のいい状況に、おそらくだが人が来ないよう見張ってくれているのかも知れないと、ウルベは何となく思った。
「俺の敗けだ」
「はい。ウチの勝ちっす」
ツァナイの望み。
失われてはいけない、ツァナイが守った、ツァナイの一番。
「俺は特務部隊を辞める」
怒りはぶつけた。熱は冷めた。だから、もういい。もう、なにも見届けたくなかった。
どこか、肩の荷を下ろしたようなウルベに、ハートィは真面目な表情で言った。
「駄目っすよ。なに勝手にすっきりした顔してるんすか? 先輩が敗けたら、ウチの言うことなんでも聞くって話しでしたっすよね?」
「……ああ、だから俺が」
「ウチ、先輩に辞めてほしいなんて一言も言ってないっす。勝手に記憶を捏造しないでくださいっす」
「記憶は正常だ! 確かに言ってないが…………、では、いったい何が望みなんだ?」
ウルベが心底分からないという表情を浮かべる。
これでも元班長で、新人のころ面倒を見た相手だ。金や物品を要求する姿は想像出来ないし、ウルベ自身に報復を加えたいと願う性格でもなかったはずだ。だが、それも所詮過去の話し。
八つ当たりし、酷い言葉と態度で傷つけようとしたのはウルベだ。
ウルベは覚悟を決め、口を引き結びハートィの言葉を待った。何を命令されても受け入れよう。彼の目がそう言っていた。
「じゃあ――」
ハートィが口を開く。
「ツァナイ姉さんの墓参り、一緒に行ってくださいっす」
「…………え」
ハートィが眼帯で隠された顔で微笑む。泣きそうな、けど笑っていて、本当に不思議な表情だった。
ウルベは、今もまだ、ツァナイの墓に行くことが出来ない。
「先輩の都合がつくまで待ちます。ので、それまでは連絡とれる距離に居てくださいね」
だからその時が来るまで、ウルベは特務部隊を辞められないのだ。




