11話 白い花
訓練生の昼休憩はたっぷり二時間。鐘一つ分。部屋でゆっくりすると言うハートィとは別れ、ササハは一人白猫の後を追った。
白猫の体は薄っすらと透けているのに、猫は障害物を避け器用に進む。一階のロビーを抜けて少し進んだ奥に、二階へと上がる階段がある。その階段の近くに、縦に長いチェストが置いてあり、猫はその上へと飛び乗った。
――なぁん
「危ないよ。ん? でも、猫ちゃんも幽霊なら物には触れないのかな?」
猫が飛び乗ったチェストの上には、花を活けてある花瓶が置いてあった。寮で仕事をする雇用人の気遣いか、数日置きに変わる花は密かにササハの楽しみであった。
今日は種類は分からないが、白と黄色の二種類の花が飾られていた。
――うぁぁ
「お花が気になるの?」
猫は細く柔らかそうな前脚を伸ばし、白の花に触れようとする。白の花は楕円形の花弁が五枚、下に向かって首を垂らしていた。その蕾のような花を、猫の白い前脚がすり抜ける。
花が欲しいのかと、ササハは花の群れから一本抜き取ってやろうと手を伸ばす。その時、猫が毛を逆立て
「痛っ!」
バチン! と、何かに弾かれたようなしびれを感じ、慌てて引っ込めたササハの手が花瓶を引き倒した。豪快な音がし、花瓶が割れる。
やってしまったとササハは身を縮め、薄く開いた目で惨状を見る。
「ぁ、やっちゃった……」
幸い怪我などはしなかったが、つるりとした光沢のある花瓶は割れ水浸した。ふとチェストの上を見ると、そこに白猫の姿はなく、ササハは「アイツぅ」と恨めしそうな声を出しロビーの中にある受付へと向かう。
寮といっても広い建物で、花瓶が割れる音は受付の奥までは届いていなかったようだ。
「すいませーん。誰か居ませんかー」
すぐに奥の扉から人が出てくる。
「階段のところにあった花瓶を割ってしまったんですけど、掃除用具を貸していただけませんか?」
雇用人の女性は、それならこちらで片付けておくので大丈夫だと言ってくれたが、申し訳なさと、時間もあることから二人で向かうことにした。
「本当にすいません」
「いいえ。それよりもお怪我がなくて良かったです」
受付台を挟んで言葉を交わし、雇用人の女性は奥の部屋へと箒を取りに行った。ササハはそれを待ち、僅かもせずに人の話し声に気がついた。
「――――だその態度は! やっぱりお前がやったんじゃないのか!」
「あたしじゃないって言ってるでしょ!」
(ミアの声?)
ササハは振り返り、ロビーから中へと続く扉を見る。その姿は見えないが、階段の方から聞こえると分かった時には走り出していた。
「あたしじゃないんだってば!」
割れた花瓶の前でミアが叫ぶ。その必死な声音につい立ち止まってしまったササハは、こちらを見たミアと目が合った。ミアは青ざめ、なぜか怯えたように表情を引きつらせていた。
「これだから家名もない平民は! 私は割れる音を聞いてすぐに此処に来たんだ! 嘘をつくにしても」
「わたしです!」
ミアと口論していた男との間にササハが割り込む。男は黒の騎士服を着ており、突然現れたササハに驚きの表情を浮かべた。
「花瓶のことならわたしが割ってしまって、今から掃除するところなんです」
ササハはさり気なく男の視界からミアを隠すように立ち、まっすぐに男の目を見た。
「大きな音がしたから見に来てくれたんですよね? 驚かせてしまい、すいませんでした」
「え……あ、いや」
ササハは男に見覚えはなかったが、男はササハが誰か分かっているようで、先程の強気はどこへやら焦った様子で視線を泳がせる。平民とミアに声を荒げていた男の最大の譲歩なのだろう、男は「こちらも、勘違いしていたようだ」と短い言い訳をし、逃げるようにその場を去った。
男の背を見送り、ササハはミアへと振り返る。
「ミアもごめんね。わたしのせいで、嫌な思いさせ――」
言い終わる前にミアはササハを押しのけ行ってしまう。よく見れば食堂のほうからの覗いている野次馬もいたようで、ササハがそちらを向くと馬たちは顔を引っ込めた。
「まあ。みんな薄情なんだから」
元はの元凶はササハであるが。
「――ん、甘い匂いがする」
先程は慌てていて気づかなかったが、足元に散らばっている花から甘い香りが漂っている。白い花は男が踏んづけてしまったのか、大きな黒い足跡を残し花が無残な状況だ。
「わあ、凄い……花の香りが強いですね」
掃除用具を持った受付の女性も、その香りに眉を寄せる。
「踏まれちゃったせいですかね。けど、すごくいい匂い」
「はい。本当に。ウフフ」
受付の女性からバケツを受け取り、大きな破片を集めていく。甘く、心地よい香りに包まれながら、香りの原因は何なんだろうと、白い花に触れながら考える。
ふわふわしてきた頭で、近づいてくる足音を脳が拾う。
「……この匂い」
受付の女性ではない、まだあどけなさが残る少女の声。
「ササハ?」
知っている声。ブルメアだ。誰か、女の子の声。
「貴女手がっ! 駄目よ、その花の香りは吸わないで!」
誰かがササハの手を握る。握られたのにぬるりと滑り、どうしてだろうと思う。
「危ないから握らないで! 手が切れているのが分からないの!」
手が切れている。確かに右手に水気を感じ、紅い雫が滴っている。なのに匂いは甘いし、痛くもない。
「ササハ!」
「ひゃい! ……あれ、ブルメア?」
頬に手を添えられ、間近で名前を呼ばれる。ササハは目の前のブルメアに驚き、それどどうしてと思い返す。
「どなたか、少し手を貸してくださらないかしら?」
廊下の影。おそらく食堂で様子を伺っていた野次馬に、ブルメアが声をかける。ブルメアがなにか指示を出しているのは分かるが、ササハはどこかふわふわとしている。
ササハは引きずられるようにブルメアに支えられ、受付の女性もブルメアに呼び付けられた男性に腕を引かれている。
ぼんやりと揺さぶられる思考の奥で、猫の鳴き声が聴こえた気がした。
◆◆□◆◆
「おじさんは、とても心配しました」
ササハは四階にある自室で半日安静の身となった。
そこにブルメアが呼んだラントと、先ほど一瞬だけ顔を見せ、無事を確認したあとすぐに帰った……確か、誰だ? 叔父の家に行った時に挨拶してくれた、当主様の補佐をしている何とか・何とかーという人物。正確にはコナー・トナーも確認に来ていた。
「お父様。あまり強く手を握らないでください。回復薬で傷は塞がったとは言え、完治はしていないのですよ」
「ああ、そうだったね。すまない」
現在部屋には、ササハの他にはこの二名だけ。ハートィも少し前までは居たのだが、ササハは安静の身であってもハートィは違うので訓練に行けと追い出された。
「ブルメアも、何ともないね」
「はい」
「ああ、こんなことならお使いの書類なんて頼まなければ良かった」
「むしろ、私がいたから大事ならなかったと褒めてく下さらないのですか?」
「――そうだね。すごいよ、ブルメア」
ブルメアは、今日はたまたま、わざわざブルメアが持ってこなくてもいい受付あての書類を、ついでにササハの様子でもみようかしらと持って来て居合わせたのだ。
「あの、手を少し切ったくらいで大げさじゃないですかね」
なぜラントまで呼び出したのかが心底分からず、ササハは乾いた笑みを浮かべる。それにブルメアがラントに窺うような視線を向け、ラントが口を開く。
「実はね、花の方に問題があって……それを確認しに来たんだよ」
「花? ですか」
「そう。白い花があったと思うんだけれど、思い出せるかな?」
奇妙な問掛けにササハは首を傾げたあとに頷く。
「あの、半分咲いてるみたいな白いお花ですよね。けど、それがなにか……」
「あの花の名前はイブラ。王国では栽培も所持も禁止にされている、危ない花なんだよ」
「え!」
ササハは短く驚く。そのあとにブルメアが続いて口を開いた。
「あの花を使って作られた薬には、幻覚作用、思考能力の低下、極度の緊張状態や興奮状態を引き起こし、攻撃性を高める効果があるの」
「……そう、なんだ。でも、なんでそんな花が?」
「…………」
ブルメアは言い辛そうに口を噤む。
「ブルメア?」
しかしブルメアは何も答えず、代わりにラントが説明をした。
「まだ調査中なんだけれど、どうやらよくない薬を売る人物と繋がっている人間が、ここにもいるみたいなんだ」
ラントの言葉にササハは大きく目を瞠る。ラントのいうここ、と言うのが具体的にどの範囲を示すのかは分からないが――
「その人達が、危ないお花を寮内に持ち込んだってことですか?」
「おそらくは。――けど、その理由が分からなくてね。ついこの間あの危ない花と同じものを、ブルメアの部屋に飾られていたのが分かってね」
「え、ええ!! 大変じゃないですか!」
「それはもう大丈夫なの! ……この間と言っても、ひと月以上も前の話だし、その……今更の言い訳に聞こえるかも知れないけれど、貴女のお屋敷に初めて行った時が、一番症状が重かった時期で……」
「ああ、なるほど」
そこでようやく納得がいった。
「ブルメアが最初ツンツンしてたのは、あのお花のせいだったのね」
「~~~~」
なぜか顔を赤くし、ブルメアが縮こまる。
ラントはそれを微笑ましく思いながらも、内心腸が煮えくり返る思いを必死に押さえていた。
(一度ならず二度までも。特に今回はブルメアの部屋で見つかった時よりも、強く作用するように蜜を混ぜ込んだ水を吸わせていたみたいだな)
大切な娘と、その娘が関心を寄せているかつお友達になった姪っ子にも被害が及んだ。
「二人共安心して。悪い人はお父さんが、己が所業を後悔させた後、始末」
「お父様」
「ちょちょいとやっつけちゃうね」
おどけた調子でラントが言う。
危険な薬の材料となる花。ササハは包帯の巻かれた自身の右手を見つめ、小さく震えた。




