10話 白い猫
「ミアって研究棟に見学しに行ってるんだよね。なんの見学してるの?」
午前中の基礎訓練の休憩時間。ハートィと一緒に、部屋の隅に座っていたミアの隣へササハが勝手に座り込む。体力育成のための基礎訓練は、最初に外で走り込みをし、今は筋トレなどの室内トレーニングの途中である。
ササハが夜に酔っ払いに絡まれ、ミアがグラントを呼んでくれた日から数日。ササハは事あるごとにミアに話しかけるようにした。その大半は無視をされたり、短い拒絶の言葉だけを残し立ち去られたりするのだが、本日は無視のパターンだ。
しばらく待ってみたが返答は望め無さそうなので、ササハはすぐに諦めた。慣れたものである。
「そう言えば最近、リオもレンシュラさんも見てない気がする」
「今更っすか? お嬢さん……」
「わたしも、いないなとは思ってたよ? ただ、少ししたら会えるかなって」
「んー。たぶんなんすけど、休暇が終わって仕事が入っただけなんじゃないっすか? お二人は特級騎士なんで、適当に町を回るだけで調査班と、戦闘班が同時に行動してることになりますし」
「リオとレンシュラさんって、強いの?」
「すっごく強いっすよ! そんな事、本人には絶対聞かないでくださいね! 特にシラー先輩は泣いちゃうっすよ!」
二人が実戦で戦っているところをちゃんと見たことがないササハは、純粋な疑問を口にする。父の屋敷で一緒に訓練していた時は、身体づくりか、二人の手合わせを見ているだけだったのでピンとこない。
同じ室内にいたロニファンもその話題には興味があったのか、水筒を片手に近寄ってきた。
「その特級騎士ってのは、結局なんなんだ? 上位の何人かに与えられる称号的なアレか?」
「違うっす。上から順に絶対選ばれるものではなくて、特別な条件を満たすことと、実力が伴っている者に与えられる、すっごい……本当にすぅっご~い称号のことっす!」
「「・・・へー……」」
「お嬢さんはそんな、よく分かりませんみたいな顔しちゃ駄目っす!」
あれだけ一緒に居てその反応かと、ハートィはこの場にいない二人を不憫に思う。未だミアも立ち去らず黙して座っているので、興味がある話題なのかも知れない。
「説明しますけど――その前にお嬢さん以外のお二人は、実際にフェイルに遭遇したことはあるっすか?」
特務部隊へスカウトされる人物として、フェイルに遭遇、または実際に目撃はしていないが身近なものが巻き込まれて――というのは実は少ない事例だったりする。実際はササハのように第六魔力が強すぎて、視えるまではいかずとも周囲が違和感を持ちどこぞに申告されたり、逆に第六魔力が強い上官が、町で適正ありの人物を見つけてスカウトしたりもする。
しかし大半は騎士志願者の中で、適正があるか調べあればそのままという流れとなる。
「フェイル自体そんな頻繁に現れるものじゃないんすけど、被害を出さずに見つけることは殆どないっす」
「どうして?」
「フェイルが放つ黒い煙みたいなものがあるんすが、あの煙自体が有害なんす。なんと言いますか、蓄積すると危険な有毒煙ですかね」
そう言えばそんな話を、ロキアに居た時に聞いた気がするとササハ唸る。
「さらに厄介なのがその有毒煙は実害が生じるほどでない限り、発見自体が困難なんす。なのに一般の人はそこまで進行したフェイルに対して、攻撃手段も、身を守る術も何もないっすからね。どこで発生するかも分からないフェイルの第一発見者が、特務部隊の騎士である保証なんてないですから」
フェイルに物理攻撃は効かない。戦わず、建物に逃げ込んだとしても、壁をすり抜けられては意味がない。
「その煙ってのがフェイルの汚染魔力が具現化したものなんす。ウチ等の特殊魔具みたいに、魔力が具現化した感じっすかね」
「うん」
「それでその汚染魔力なんすけど、第六魔力で削れるんすよ」
「え? そうなの!」
素直に驚くササハと、ミアとロニファンは薄い反応ながらも耳を傾ける。
「原理は分からないっす。中には汚染魔力という言葉遣い自体間違っているのではと言う人もいるっす。魔力が異質化したのではなく、もっと別の何かが目に見える現象として現れているのではと、そういう声もあるみたいっすよ」
フェイルが現れるのは、イクリアス王国だけ。島国であるイクリアス王国はあまり外交を積極的には行わず、フェイルに関する調査も国内のものしかないのだ。
「フェイルの心臓は、赤バラの中心に埋まっている核です。その核は体内の奥に埋まっていて、つまり――有毒煙が発生する中、フェイルの具現化した身体を削りつつ、速やかに核を壊す。ってことっす」
「な、なるほど。でもレンシュラさんは、種のフェイルの子を、一撃でスパッと斬ってたけど……それって」
「そうっす。ここで先輩たちに話が戻るんすけど、普通じゃないんすよ! 少なくともウチには無理っす。通常は数人でちまちま外皮の煙を削って、ようやく核を壊せるかどうかって話っすよ!」
「レンシュラさんって凄かったのね!」
「お嬢さんてば、本当に今更っすよ!」
へぇ! とハートィの話に三者方向性の違った声を漏らす。すぐにミアは興味ない様子を取り繕い、顔を逸らす。ちょうどカールソンが戻り、休憩時間も終了となった。
訓練生たちは気だるい身体を動かし、筋トレメニューへと戻っていった。
◆◆□◆◆
「あ、猫ちゃん」
「は?」
昼休憩中の食堂で、ササハはロニファンから怪訝そうな目を向けられた。
「お嬢さん?」
「な、なんでもないよ。行こ、ハートィ」
ロニファンの座る椅子の背に、白い猫が器用に座っていた。しかし白猫の体は薄っすらと透け、また自分にしか視えていないやつだと、ササハは引きつった笑みを浮かべ食事の受け渡し口に向かう。騎士寮の食堂は利用者が少ないためか、メニューの数は少ないが日替わりであるため、ササハは満足していた。
食堂を利用するようになってから、ササハはすっかり寮内の雇用人たちと仲良くなり、今も調理場に立つおじさんから声をかけられる。
「今日もいい匂い。いつも美味しい食事を作ってくださって、ありがとうございます」
「よせやい。大盛りにしたくなるだろ」
「食べきれないので止めてください」
すでに何度かしたやり取りをする。それでもおじさんの気がすまないのか、代わりにというようにハートィの皿に盛られるので、断りの言葉を言えないハートィは最近の肉付きを気にしていた。
食事の乗ったトレーを受け取り、近くの席に座る。食堂にほぼ人影はなく、わざわざ自室に食事を持ち込む派のミアの姿もない。代わりにいつの間にかテーブルの上に座っていた白猫と目が合った。
(猫ちゃん。可愛い)
薄っすらと透けている白猫は、すっとテーブルの上に立ち上がると、ジャンプでテーブルから降りササハの方へと近寄ってきた。ササハの足元まで近寄って来た白猫は、そのままササハの膝の上へと乗る。
「ひゃわわ」
「……また何かいるんすか?」
ササハの目が視えすぎることを知っているハートィは、困った様子で苦笑を浮かべる。事情を知らない者から見ればササハの挙動は怪しすぎで、現にロニファンが不審の表情でどん引いている。
「これくらいの、白い猫ちゃんがいるの」
重さは感じないが、膝の上に乗って丸まる姿はたいそう可愛い。ササハが日頃の成果だと、霊体に触れる練習を続けている事も知っているハートィは、唇を尖らせ眉を寄せる。
「お嬢さん食事中に違うことするのは駄目っす。料理も冷めちゃいますよ」
「う、うん。ごめんなさい」
叱られて、慌てて手を組んだ。
「大陸を守りし聖女様に今日の日の感謝を」
悪魔から大陸を守ったとされる聖女に祈りを捧げ、スプーンを取る。食堂のメニューはパンとスープに、日替わりのメインが一品。今日は焼いたチキンに、ミルクとスパイスの香りが漂うソースがかかっていた。
一度に沢山頬張り、頬を膨らませて食べるようになってしまったのは誰かの影響か。
頬がぱんぱんなので、噛む速度が遅くなったササハはちまちまと食事を進める。ある程度皿が空いてきたところで、膝に乗っていた白猫が、尻尾を見せつけるように一振りし飛び降りる。
――なぁん
猫はササハにしか聞こえない声で鳴くと、少し進んで振り返る。猫はその場に座ると、ササハを遠くからじっと見つめた。
――なぁん。なぁーお
「?」
猫の鳴き声が強くなる。なぜか急かされているような気がしたが、しかし、よく分からないのでササハは残りわずかな食事を続ける。
――なーご!
「うひゃあ!」
低く怒ったような鳴き声で、猫は尻尾を床に叩きつける。
(もしかして、わたしを呼んでる?)
「お嬢さん。食べ終わってからっすよ」
「はい!」
キョドキョドと視線を散らすササハに、ハートィは完全に何かを察した。ササハは慌てて残りを頬張り、飲み下すまでが長くて、白猫にもう一度だけ急かされた。




