9話 今後の予定とか
騎士寮のロビー。朝の早い時間に訓練生が四名。時間ぎりぎりに来たミアとロニファンのすぐあとに、ツンとした柑橘の香りが漂いカールソンも顔を出す。
「おはようございます」
「おはよう」
「カールソンさん、それどうしたんですか!?」
右手に包帯と、昨日はしていなかったグローブをカールソンがつけている。それにミアとロニファンも振り返り、ハートィも怪我かと重ねて訊く。
「いやー。実は昨日、書類仕事の時に紙切ナイフでバッサリいっちゃってね。見た目の割には大した傷じゃないから、回復促進薬を使うまでもないかなって」
恥ずかしい話だとカールソンは頭を掻く。
「大丈夫。二、三日もすれば元通りだよ」
大丈夫だと言うが、カールソンはぎこちなく右手を振る。それにササハは心配の色を濃くしたが、カールソンは「じゃあ、改めて今日からの予定を確認しておこうか」と、ロビーにあるローテーブルに座るよう促した。
「こんな入口近くで話さなくても、食堂じゃ駄目なんすか? 出来たらついでにメシも食えたら有り難いんすけど」
「ごめんね。ボク食べ物の匂いがキツイところは苦手で」
ロニファンは寝坊したのか、ササハが食堂で朝食をとっている時姿はなかった。むしろ食堂の利用者は昨晩の夕食時を含め少なく、食堂の人に聞けば研究棟のほうにも食堂があるかららしい。確かに、騎士寮の使用率は内仕事関連の者たちで、本家警備の騎士たちはもっと遅い時刻になるとのことだった。
「ロニファンさん朝食食べてないんですか?」
「さっき起きた」
「わたし食堂の人から、ケーキみたいなパンもらいましたよ。食べます?」
「……て、一本まるまるかよ」
どん、とナフキンに包んであった長方形の塊をテーブルの上に置く。本当はレンシュラにあげようと思っていたのだが、昨日訓練場で姿を消してから会えていなかった。
「ロニファン君。今日は特別に許すけれど、次回からは駄目だからね。食事は決まった時間に取ってください」
カールソンの緩い注意に、ロニファンは適当に返事をしケーキパンに手を伸ばす。丸みを帯びた長方形で、表面には薄くスライスしたナッツに、しっとりとした生地にはドライフルーツが散らばっている。
ササハはミアにも勧めたが、ミアは言葉で返すまでもなくそっぽを向いた。そのそっぽを向いた先でミアはカールソンと目が合い、カールソンは申し訳なさそうに眉を下げる。
「研究職希望のミア君には申し訳ないけれど、ミア君にも基礎体力訓練に参加してもらうことになったよ」
「え? どうしてですか。昨日の顔合わせの時は、午後の特殊魔具の使用訓練だけで良いと」
「ミア君の特殊魔具に、補助要素があると分かったからね。実戦で前に出ることはなくても、後方でのサポート役に出てもらうかも知れないからだよ」
「…………」
「あくまで仕事の話だ。希望が必ず通る訳ではないことを覚えておいて欲しい」
「…………はい」
ミアは絞り出すような声で返事をしたが、俯き黙る。ミアが研究職に拘る理由は分からないが、基礎体力訓練への参加が不本意であることは十分に伝わった。
「では、昨日も伝えた通り、午前のうちは体力づくりのための基礎訓練。午後からは特殊魔具の使用訓練。ひと月後にどこに配属されるかを決める実技試験を行うので、騎士職希望の三名は特に頑張ってね」
元気に返事を返すササハを尻目に、カールソンはミアを見る。
「試験でわざと悪い成績を出したと判断されると、入隊自体取り消される可能性もあるので注意してね」
「……っ」
ミアの肩が小さく跳ね、渋い表情を浮かべる。分かりやすい反応に、カールソンとロニファンが似たようなため息を吐く。
そんな訓練初日から三日後。
体力だけは他の三人より優秀なササハだったが、筋力的なことと、特殊魔具の使用訓練は別だった。
「なんでわたしのだけ、何の反応もしてくれないの! これじゃただの鈍器じゃない!」
いや、重さは無いので鈍器にすら成り得ない。
夕食あとの空き時間。見上げれば夜空の訓練場で、ササハは一人特殊魔具を振る。初日から今日も含め四回目の特殊魔具訓練。元戦闘員であったハートィは何の問題もなく、ミアとロニファンも不安を残しながらも具現化を安定させ始めていた。
ミアは、受け渡しの日に矢は一本も作れなかったが、現在は一日三本まで矢を作れるようになっていた。矢も当然第六魔力を具現化させているので、効果がまだ判明していない今は、具現化出来る本数とスピードを高めているところだ。
ロニファンの特殊魔具は刃の部分が大きい戦斧。形状としては巨大ハンマーのハートィと同じ接近タイプになるため、二人で模擬刀での手合わせをするよう言われていた。ロニファンは具現化維持を早い段階で覚え、今後の課題は純粋にどれだけ動けるかといったところだ。
なので、未だ特殊魔具を正常に扱えていないのはササハだけ。透明の細筒状の物体は、楽器でも、鈍器でも、どこで仕入れた知識か吹き矢でもない。
振ろうが、追加で魔力を流し込もうが、カールソンも、様子を見に来たグラントさえもこれは何だと首を傾げるばかりであった。
「ぐすっ……」
鼻をすすりながら、ササハは緩みそうになる目元を拭う。ツァナイがフェイル化した原因を突き止めるために――両親の死の原因となったフェイルという存在が、どういったものか自分の目で確かめたくてここに来たのに。
「泣いててもしょうがないでしょ。頑張れわたし」
自分で自分を励まし特殊魔具の具現化を解いてみる。現在特殊魔具の石は、母の形見である七色の光を内包した石と一緒に、首から下げられている。研究班の技術とはすごいもので、説明を訊いてもササハには理解できなかったが、魔力を流すとササハの石は金具から外れ、解除すると元に戻っている謎設計だった。
ササハは気を取り直し、もう一度と服の下に隠れた石に手を伸ばし、そのタイミングで知らぬ男の声がかかる。
「あ~? こんなところに女の子がいるぞ~?」
振り返ると私服の、二人の男性。片方が肩を貸すようにもう片方を支え、間延びした喋り口調と、風に乗って届いた酒の香りに、酔っているのだと分かった。
支えている方の男も酒は回っており、「絡むなよぉ」と浮ついた声音で静止の言葉だけを吐いた。
「あぁん? ……やっぱりこの娘」
特に足取りが怪しい男が、身体を左右に揺らしながらササハへと近づく。月明かりしか無い訓練場。ササハは居心地の悪さを感じ、辺りを見渡す。他に人の気配はない。男たちは抜け道として通りかかっただけのようだ。
「前隊長の娘ってやつじゃないか? なあ!」
訓練場に顔を出すようになって、何度かあったやり取り。目の前にいる男たちではないが、何名か、ササハの父の事を言ってくる者がいた。内容は好意的な事柄ではなく、決まってササハが一人の時。すれ違いざまや、仲間内で交わす陰口を一方的に聞かされたのだ。
「裏切り者と流民の子だ。あっはっは。そうだろ? な?」
男は誰に問い掛けているのか、至極楽しそうに大声を出す。それにもう片方の男は冷静さが僅かばかり戻ったか、頼りない声で酔った男を諌めようとしている。
「止めろって。上にバレたらやばいだろ」
「なーに言ってんだよぉ。俺らはヒガイシャですよ? 命がけで戦ってぇ、隊長様のゴメーレーに従ってたのにぃー……流民の女のために捨てられちまってよぉ?」
男が人指し指でササハの頭を力を込めて押す。思いの外強い力にササハは僅かによろけ、男はそれを楽しそうに笑った。ドネも言っていた言葉だ。捨てるのかと。目の前の男も、そう思うほどにゼメアの事を信頼していたのかも知れないと思うと何も言い返せなかった。
ササハは置いてあった荷物を拾うと、何も言わず立ち去ろうとする。ササハの父親に不満を抱く者に、その娘の言葉は届くことはないと、この数日で嫌というほど思い知ったからだ。
「おい。無視するなよ」
酔っている割に男の反応は速く、ササハは腕をとられ引き止められる。
「離してっ」
「止めろって。騒いで人が来たらどうすんだよ。抜け出して呑んできたのもバレちまうぞ」
「あ~? だったら――――人がいない場所で話せばいいだろ」
ササハに向ける男の眼に、ぞわりとした不快感が背をなでる。振り払おうとしても力では敵わず、ふとササハは誰かと視線が合った。
ササハがいる場所より、遠い訓練場の出入り口。研究棟があるほうのそこに、驚いた様子のミアが立っていた。確かに交わった視線。ササハが何かを言う前に、ミアは静かに視線を外し、今しがた通ってきたばかりの道へと引き返していった。
男たちはミアに気づかなかった。巻き込むつもりはなかったので、ササハは唇を引き結び、ポケットに忍ばせていたカタシロを動かした。暗闇に白のヒトガタが浮かび、男の視界を奪うため張り付いた。
「うわっ! な、なんだ! いったいどうなってる!」
「ひっ!」
二人の男は得体の知れない白い物体に驚き、声を引きつらせる。その隙きにササハは前のめりに駆け出し、転ばぬようなんとか走った。
「そう言えば、わたしにも成長したことがあったわ」
言って十分な距離まで走り、訓練場の扉の向こうへと出る。ササハは更にカタシロに魔力を送ると、一枚の紙カタシロは青白い炎となり燃えた。
ササハの腕を掴んだほうの男が熱いなどとほざいているが、あの炎に熱はない。なので火傷を負うわけでもないし、ましてや熱さを感じるはずがないのだが。
ササハは喚き、騒ぐ男たちを残し騎士寮まで立ち止まらなかった。
その日の夜。ササハは遅い時間にも関わらず、グラントに呼び出された。
正確には就寝準備を終え、ベッドに入ろうとしていたササハの部屋に、制服を来たままのグラントが訪ねてきたのだ。
グラントにとってはまだ遅い時間ではなかったのか、すでに寝衣姿だったササハに、グラントは驚いたように硬直する。こんな時間にすまないと謝罪をもらったが、ベッドに入る前だったから大丈夫だと告げれば、微妙そうな顔をされた。
「それで、何かあったんですか?」
「先程の者たちについて報告をしておこうかと」
「え?」
「ミアが報せに来た。君が二人の男に絡まれていると」
「ミアが」
きゅらんとササハの目が輝く。ササハよりも一つ年下の少女。逃げてもちろん良かったのだが、そうじゃなかったのだと分かり、嬉しさに胸が弾む。
「ミアは通常訓練のあと、研究棟の書庫に通っている。ちょうど彼女が帰る時に入り口で会ったんだ」
「だからグラントさんが近くにいるの知ってて、呼びに行ってくれたんですね」
頷いたグラントに、ササハが嬉しさを隠さず笑顔を浮かべる。
「あの二人は規律違反のほうで、減給処分になるだろう」
「規律違反?」
「騎士寮にいる限りは、夜間の外出には届けが必要となる」
理由は単純に、騎士寮がカルアンの敷地内にあるからだ。個人理由の外出で頻繁に門を開くことは出来ない。中には門番とやり取りして抜け出すものもいる。外出制限を受けたくないのであれば、外で家を買うなり、宿を借りるなりしろということだ。
「なにも、なかったのだろ? あの二人は白いなにかに襲われたと言っていたが、カタシロのことだろうか」
無表情のようで、グラントの瞳は僅かに揺れている。ササハはしっかり頷くと、はっきりと答えた。
「はい。お母さん直伝の、目くらまし攻撃です! ちゃんと成功させて、無事に逃げ出しました!」
「ふ、そうか」
グラントは薄く笑みを浮かべ、安堵する。
「本気なのだな」
「?」
望むのであれば特務部隊内だけで処理せず、ラントへ報告をしなければならないと思っていたが、その必要はなさそうだ。
「では、就寝前に邪魔をした」
「いいえ。ミアのこと、教えてもらえて良かったです。ありがとうございました!」
グラントは軽く手を上げ、自室ではなく階下へと下りていった。
まだ仕事があるのかと、誰もいなくなった廊下でお疲れさまですと呟く。
「そっか、ミアが……うふふ」
明日、朝一番。会えたその瞬間に御礼を言おうと、ササハは幸せな気持ちでベッドへと潜り込んだ。
が、案の定。翌日満面の笑みで礼を述べたササハを、ミアは呆気ない態度でスルーした。




