2話 叔父の家でティータイム
端が見えない広大な敷地。それを囲う鉄柵と門。
庭なのか、公園なのかというだだっ広い道を抜け、何の建物? 個人様の屋敷? 嘘でしょという建物の前で馬車は停車した。
外から開けられた扉から、一番最初に降りたのはブルメアだった。
「ただいま戻りましたわ、お父様」
「おかえりブルメア」
近くからラントの声も聞こえ、父に手を借りブルメアは馬車を降りたようだ。
続いて扉近くに座っていたレンシュラが外に出て、ササハに降りてこいと外から顔を覗かせる。
今いる場所はラントの屋敷前。認識阻害のブローチは、屋敷では使用しないからと鞄の中にしまった。
再び初めましての場所に緊張しつつも、ササハは扉の向こうへと身を乗り出した。レンシュラの手を握ったが、ほぼ浮かぶように飛び降りる。飛び降りたあとに「あ、」と思ったが、この場にはいないマサリーに淑女は忘れていたと心のなかで懺悔した。
門を通った辺りで連絡を受け、ラントともう一人。見たことがない男がすぐ近くに立っていた。しかしラントは笑顔の圧が強い男などいないもののように、ササハの視界から男を遮って両手を広げた。
「いらしゃいササハ君。おじさんのお家にようこそ」
「お久しぶりです。お邪魔します」
「うん。では早速、中に案内しよう」
「あれあれあれー? お待ち下さいラント様? 私のこと見えていらっしゃいますよね。折角くっそ忙しい中、ゼメア様のお嬢様に会いに来たのに、自己紹介くらいさせてくださいよ」
ラントのすぐ隣にいた男性が困り眉で不満を告げる。
いったい誰だろうと見上げた男性は、歳で言えば四十は過ぎ。白髪交じりの黒髪を後ろになでつけ、寒くないのかジャケットは羽織らずシャツにベストだけの軽装だった。
男は自分へと向けられたササハの視線に気を良くし、にこりと笑みを浮かべ腰を折った。
「初めましてレディ。私、コナー・トナーと申します。本日は我が主に代わりご挨拶に参りました」
「??? 初めまして。ササハ・カルアンです」
恭しく礼をするトナーに、ササハは目を丸めながらも挨拶を交わす。主って誰だと思っていると、そのまま顔に出ていたようで、ラントが付け足すように説明してくれた。
「この人は本邸の家令――ドネさんみたいに、領地の経営管理のお手伝いをしてくれている人って言えば分かりやすいかな? 普段は兄さんの傍で仕事をされているから、あまり会うことはないと思うけれど」
この場合の兄さんはゼメアのことではなく、もう一人の。
「よろしければ是非、本邸のほうにも遊びに来て下さい。ヒュメイク様も喜ばれるでしょう」
ヒュメイク・カルアン。三兄弟の長兄であり、カルアンの現当主である男だ。
トナーは本当に挨拶をしに来ただけのようで、すぐにとって返すように本邸へと戻って行った。本邸とラントの屋敷である別邸は同じ敷地内にあるが、距離はそれなりに離れており、なのにトナーは馬車を使うことなく自分の足で走って帰った。
曰く、馬車道よりも、人の足で最短距離を行くほうが若干、本当に若干だけだが時間を短縮出来るらしく、その若干すら惜しいほどに仕事がたて込んでいるのだとか。
他にも数名屋敷の人間を紹介されたが、妻と息子が待っているとすぐに中へと案内された。
◆◆□◆◆
「ようこそお越し下さいました。私、ラントの妻のヴァネッサ・カルアンと申します」
うひゃぁあ、と同性でも顔を赤らめてしまいそうな美女に、ササハは硬直する。案内されたのはラントの妻お気に入りのティールームで、扉を開けてすぐ品と妖艶の両方を備えた美女に出迎えられた。
もじもじと恥ずかしそうにするササハの背を、ブルメアがなにをしているのと軽く押した。
小さくもしょもしょと挨拶を交わすササハに続き、リオとレンシュラも名乗る。軽口でリオがヴァネッサの容姿を褒めると、ラントが物凄い形相を浮かべ部屋どころか屋敷から追い出そうとし騒いでいた。
「それと……」
席に案内される前に、ヴァネッサが背後を振り返る。後方の背を向けているソファのすぐ隣。その近くに姿勢正しく立っていた一人の少年が、緊張した面持ちでヴァネッサの前に出る。
「初めまして! ぼく、じゃなかった。私はバウム・カルアンです。よろしくお願いします!」
震えそうな声音で、バウムは特にレンシュラを気にした様子で熱のこもった眼差しを向けている。
「ごめんなさいね。この子は今、外のことを勉強中なの」
バウム・カルアン。ラントの息子であり、次代の『印』持ちの子供。ササハは事前に事情を聞かされていたが、印持ちは生涯の大半を人目を避け隠れて生活を送ることになる。理由は単純に、《呪われた四体》の封印維持のため。封印があると思われる場所より離れることは許されず、本家へと縛られ当主となる。
その為、印が現れた時点で特別な――外との関係を絶ってなお、人を統べる為の教育を受けることになるのだとか。
バウムの年齢は十一歳。歳の割には幼い仕草で、先程のヴァネッサを見るササハ同様、恥ずかしそうにレンシュラを見ていた。ヴァネッサに「お話があるならお客様を席にご案内してからになさい」と言われ、バウムも赤くなった頬で頷いていた。
横に長いソファが二脚に、一人がけのソファも二脚ずつ。ラントがヴァネッサの横を譲らず、ブルメアもササハは自分の隣だと言ったのでついでにバウムもブルメアの隣に座り、リオとレンシュラがそれぞれ一人がけのソファのに座った。
レンシュラがバウムに近いほうに座ったので、バウムが嬉しそうに口の端を持ち上げていた。レンシュラは少し居心地が悪そうに、気づかぬ体を貫いていたが。
その様子が微笑ましくて、気になったのでササハは普通に話しかけた。
「バウム君はレンシュラさんのことが好きなの?」
直球の言葉にバウムは何故分かったの!? というような表情を浮かべ、そのあと思い出したように興奮を溢れさせた。
「はい! だって、シラー卿のおかげでぼくの『印』が消えたんです! なのでシラー卿には感謝しているんです!」
え? という表情を浮かべたのはササハとブルメア以外の四人で、ブルメアだけは他者とは違うベクトルの驚きの表情を浮かべていた。
「そうなんですかお父様!? 確か《黒の賢者》の消失の原因は不明だと」
「そ、そうだよ! 原因は不明! バウムはいったい何を言っているんだろうねえ?」
ラントの声が上擦る。念の為にと、部屋から使用人たちを追い出しておいて良かったと、胸の内で焦った息を吐き出した。
「そっかー。あれってレンのおかげだったんだぁー」
「リオっ……お前・・・」
意地悪な笑みを浮かべるリオをレンシュラが睨む。
そこにバウムの一生懸命な声がかぶさる。
「だって、シラー卿は《黒の賢者》消失の現場にいたのでしょう? ならシラー卿で間違いありません! シラー卿は凄いって屋敷に来る騎士たちも言っていましたし、なによりシラー卿はお父様と同じ特級騎士ですから!」
「え! ラントさんも特級騎士だったんですか?!」
リオも同条件なのだが、バウムの眼中には入っていないらしい。
「まあ、僕は当主補佐の仕事があるから、肩書だけで現場には出ないけどね」
もう取り繕うつもりはないのか、砕けた調子に戻ったラントは肩を落とす。
「バウム」
と、ヴァネッサが少し冷たい声音で息子を呼ぶ。
「家の大事な話を、簡単に話してはいけませんよ」
「ぁ……、申し訳ありませんお母様」
しゅんとバウムは俯き大人しくなった。何がいけなかったのだろうと、ササハも心配そうな顔を向ける。ほんの僅か、微妙な空気が流れる。
「ササハ君も――まだ《黒の賢者》の消失を公には言わないで欲しいんんだ。特にこれから過ごす騎士寮の中では」
ラントがバウムとササハに順に視線を移し、ササハも言いふらすつもりは無いが、何故だと首を傾げる。ラントはそれに苦笑を浮かべ答えた。
「発表は教団から行うと言われていてね。王家と四家門の一部以外。一般騎士たちなどには、まだ噂程度ではぐらかしているんだ。本当に、まだ……色々と手一杯で…………はあ。ある程度対策を立てておかないと、下手したら変な気を起こす奴も出てくるだろうし」
「んん。ラント」
「あ! ヴァネッサ、すまない! そうだよね、子供の前で。もう物騒な話はやめよう、ごめんね」
不変だったものがそうでなくなった。それをどう捉えるかは人による。
なんとなくササハの眉も下がり、それにヴァネッサが柔らかい笑みを浮かべ視線を合わせる。数える程もない、一呼吸の間。
「ですが、そうですね――」
ヴァネッサはやや視線を下げ、僅かに色づいた唇を緩めた。
「私も、心より感謝したいのです」
そう言ってヴァネッサは、胸元に手をやり微笑んだ。感謝したいとは、おとぎ話で語られるような神か、昔大陸を救ったとされる聖女にか。ササハもよく分からないが良かったと、嬉しそうに笑んだ。
「では、新しくお茶を淹れてもらいましょうか。新しいお菓子も一緒に」
ヴァネッサがにこりと微笑み、場が緩む。ラントがメイドを呼ぼうとベルを鳴らし、リオが冷えた紅茶を飲み干した。ブルメアはすでにある菓子をササハの皿へと乗せ、バウムは暫く母の顔を呆けたように見ていたが、母が視線に気づき笑んでくれたタイミングで、メイドが部屋へと入ってくる。
ようやく人心地つけると、レンシュラもバレないように息を吐く。バウムの視線は母親から、ササハのほうへと移っていた。
「あ、あの。お姉さんの名前を、もう一度聞いても良いですか?」
「え? わたしの名前?」
「ササハよ」
ブルメアが自慢気に答える。
「姉様に聞いてません!」
「誰が答えても内容は一緒でしょ」
「姉様の意地悪!」
「察し能力の高い、素敵なご子息だ」
「リオ、何か言った?」
「ううん。何も」
人払いをしていたのはヴァネッサだ。
メイドがワゴンを押し、新しいお茶とお菓子が運ばれてくる。それに目を輝かせる三人の子供たちに、ヴァネッサは満足そうに微笑んだ。




