1話 本家へ……の前に
似たような三角屋根の建物が並ぶ目抜き通り。
鮮やかな赤茶色の屋根と、長方形の小さな窓が等間隔で並んでいる。家々の周りには花壇があり、窓辺にも季節に合わせた花を植えたプランターが並び、住宅街だというのにそこかしこに緑を感じられた。
「ササハ、いらっしゃい。ここがカルアンで一番大きな街、ルティーアよ」
「ブルメア!」
馬車から降り、御者に何か指示を出しているレンシュラと、扉を閉めていたリオ。そしてキョロキョロと辺りを見渡していたササハの前に、ブルメアが走り寄ってきた。
「長距離の移動お疲れ様。ここから本家には別の馬車で移動するわ」
外で待っていたのか、ブルメアの鼻先は少し赤くなっている。
三日前、ササハは屋敷の者と別れをすませ馬車に乗った。理由は特務部隊の入隊条件である適正検査で適正ありの認定を受け、部隊がある本家に移動することになったからだ。
ベアークとマサリーからは「いつでも帰って来てくださいね」と泣かれたし、叔父一家からは「騎士寮に入らなくても屋敷に部屋を用意するよ」と言われたが、それも丁重にお断りをした。
「良かったら、今から少し街を見ていかない? その、貴女も明後日には騎士寮へ移動するみたいだし……けど、別に嫌だったり、疲れてるって言うならいいのよ! 無理強いするつもりは無いし、私はただ」
「嫌じゃないし、嬉しいよ! 観光出来るならしたいと思ってたの。ブルメアは街のこと詳しいんでしょ? だから、色々教えてね!」
むしろ願ったりの申し出に、ササハは瞳を輝かせて是を唱えた。
ブルメアも得意げに口元を緩ませ、任せなさいと声を弾ませた。元から荷物だけ先に送る予定だったのを知っているリオからすれば、なに言ってるんだコイツという目をブルメアに向けだが、見事にスルーされ視線すら向けられなかった。
「ササハはまだ特殊魔具を貰っていないでしょ。その、良かったら私の認識阻害の魔石がついた、お下がりのケープがあるのだけれど、人も多いし、一応護衛も連れて来ているけれど危ないかも知れないし、まあ、貴女さえ良ければなんだけど」
「?」
もごもごと口ごもるブルメアに、ササハは首を傾げる。
どこから現れたのか、ブルメアの言う護衛らしき人がササハにもこもこのついた布を差しだしてきた。ブルメアはそっぽを向きつつも、「フード付きだから温かいし、中央のブローチのところがさっき言ってた魔石で、ブローチだから取り外しも出来るし好きな場所に付け替えも出来るし」と説明をしてくれた。
よく見ればブルメアと色違いのお揃いで、彼女も同じ様なもこもこが付いたケープを羽織っている。
「貸してくれるの?」
「だから、お下がりで、貴女が使わないって言うなら、捨てるしか無くなっちゃうんだけど……」
「プレゼントしてくれるって。良かったねササ」
「ちょっと」
「貰えるもんは貰っとけ」
「シラー卿まで……」
リオとレンシュラが口を挟み、ササハはようやくケープを受け取った。その瞬間護衛の人は出てきた時同様、一瞬で姿を消した。呆気に取られながらも、ササハは手に取ったケープをまじまじと見る。
すべすべな毛皮の手触りは申し分なく、柔らかで心地良良い。丈はちょうど肘より少し短いくらいで、動きの邪魔にもならない。魔石の付いたブローチは正面の金具の部分に止められていて、金具でも紐の変わりのリボンを結んでも、どちらでも留められるようになっていた。
「あは。フードに耳がついてる」
リオが笑いならがフードをつまみ、ササハに被せる。ササハからは見えないがうさぎの耳を模した垂れ耳が付いているようで、フードを被ったまま手触りだけで確かめて見る。
ならばと期待を込めた眼差しでササハがブルメアを見つめると、ブルメアは恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、自身もフードを被ってみせた。
「ブルメアのは猫ちゃんだ! 可愛い!」
お揃いだねと嬉しそうに笑うササハに、ブルメアは真っ赤になって顔を反らしてしまう。
「お前、第六魔力以外は使えないだろ。代わりに魔力を溜めてや」
「私がやってあげる!」
認識阻害の魔石に手を伸ばしたレンシュラに割り込み、ブルメアがブローチに触れる。ブルメアは第六魔力のほうはあんまりだが、それ以外の第一から第五までは優等生であった。
「すっご。この魔石、第一から第五のどの魔力でも対応可能のやつじゃん。どんだけ高っ、いったぁ!」
「何言ってるのよ! これはただのお下がりで、大したものじゃないわ。いい加減なこと言わないでちょうだい!」
「肘打ち!? 今、鳩尾に思いっき――いえ、何でも無いです」
ギロリとブルメアから鋭い視線を向けられ、リオは黙る。痛そうに腹を擦りながらリオはレンシュラを盾に影に隠れた。余計な事を言うからだと、レンシュラは黙したままフォローは入れてくれなかった。
そうして、四人で街を見て回り、町並みに、人の多さに、ササハは一頻り感動しはしゃいだ。
特にササハの目を引いたのが農家直参の野菜や果物の数々。冬の真ん中の月である来の月。そんな時期にも関わらず野菜と果物がずらりと並んでいる。店も大きな広場にテントを張った露天が並び、気軽に試食もさせてもらえてササハはそれだけで腹がくちくなった。
ブルメアはレンシュラと事前に連絡を取っていたのか、「本当に宝石店やドレスショップより楽しんでいそうね」となにやら悔しげに呟いていた。
あれもこれもとササハが目移りしていると、視界の隅に白い毛皮が見えた。
(こんなところに猫ちゃんがいる)
白い毛皮の猫はすらりとした美人さんで、ササハは無意識に目で追う。すれ違いざまササハが熱い視線を送っていると猫はそれに気がついたのか、くるりと振り返りササハと目が合った。
ふり、ふり、と人混みに紛れながら猫がステップを踏むと、ササハの目も猫に合わせて揺れ動く。するとなぜか猫はササハの足元まで近寄ってきて、ギリギリ手が届かない距離で立ち止まり、もう一度目が合ったことを確認して嬉しそうに尻尾を立て一回転した。
「わ、危ない」
思わず声に出た。猫はひらりと身を翻すと、人混みを上手く避け市場の外へと向かう。けれど猫は途中で立ち止まり、再びくるりと一回転して見せ、まるでササハを誘うように白い尻を一振りした。
「ついて来いって言ってるの?」
その時、なぜかササハは少し前を歩いていたブルメアに声をかけることも思い浮かばず、また終始ササハの様子を気にしていたブルメアも振り返ることはなく、ササハは猫を追った。
それなりに賑やかな人混みをかき分け、なのに低い位置をふらふらと揺れる尻尾は雑踏に紛れることはなく、いつの間にか屋台広場を抜けショップが並ぶ通りに出た。
一人にはなるな。一本裏の通りに入るだけでも危険だからと、事前にブルメアやレンシュラから口酸っぱく言われていたが、ササハは揺れる白色が気になってそれを思い出す余裕はなかった。
一人ふらつくササハを気にする通行人はいない。その分ササハの足は進み、白い猫がある建物の合間に滑り込むように曲がり、ササハもそれにつられた時。
(赤い……)
文字。どこかで見たことがあるような、赤い、文字。文字が円を結び、それが交差するように絡み合い、どこで、いったい誰の、あの時はそう――
(初めてツァナイさんを見た時に)
ササハはその赤い文字が嫌で、とても許しがたいものの様に思えて手を伸ばした。右手の甲が熱を帯び、何かにしっかりと触れた感触に、小さく何かが割れる音を聞いた気がした。
「は?」
「――――――え?」
真正面の少し上。低い、驚きと険を含んだ声にササハは顔を上げる。
目の前にいたのは見知らぬ他人。肩に届く程度の黒髪に、白に近い水色の瞳の男性が眉をひそめてササハを見下ろしていた。男性の隣には派手な化粧に、冬場なのに薄着の綺麗な女性。女性は男性の左腕に身体を押し付けるように絡みついており、突然現れたササハに男性同様驚いた表情をしていた。
それもそのはずで、二人の男女。どちらとも面識はないササハは、男性の胸元、左胸あたりにしっかりと、押し付けるように右掌を密着させていた。
気まずい沈黙。ササハが慌てて右手を引くと同時に、女性の方に突き飛ばされた。
「なんなのよアンタ! 邪魔しないでちょうだい!」
「す、すいません! わたしも何がどうして分かってなくて……とにかくごめんなさい!」
しどろもどろに慌てるササハの後ろから、ブルメアの声が聞こえた。
「ササハ! 貴女、こんなところに!」
「ブルメア~」
情けない声でササハはブルメアに助けを求める。二人の男女にキツイ眼差しを向けたブルメアだったが、ササハは違うのだと首を横に振る。
リオとレンシュラもすぐに駆けつけてきたが、今にも相手に食って掛かりそうなブルメアと、悪いのは自分なのだと涙目で訴えているササハに何事だと眉を寄せた。
「わたしが悪いんです。赤い文字が気になって、それで触りましたぁ」
「何言ってんのササ?」
情けない声で自白するササハだったが、レンシュラは二人の男女に視線を向け、女性のほうが僅かに肩を揺らしたのを見た。
レンシュラは女性へと近づき、後ろに隠していた腕を取る。
「悪いがこれは返してもらう」
女性の手にはササハのケープに付いていたブローチが握られており、女性は表情を歪め舌打ちをする。その横で黒髪の男が余裕の表情で口笛を吹いていた。
「仕事の邪魔された迷惑賃じゃないさ」
「なら、せめてもの詫びに警備隊には突き出さないでおこう」
「なんなら男前のお兄さん。アンタが今晩の代わりをしてくれてもいいんだけれど?」
「いいや。これ以上の邪魔をするつもりはない」
赤い唇で笑みをつくる女性に、レンシュラは言って背を向ける。
突き飛ばされた時にスられていたのかと、ササハはブローチを受け取りながらレンシュラに腕を引かれ、ブルメアに反対の腕を引っ張られた。
人通りのある場所まで戻り、ようやっと開放される。
「ササハ」
「……はい」
「行きたいところがあったなら事前に言え」
「本当にごめんなさい」
「もう女の子二人で手繋いどけば?」
リオの提案にブルメアがひしっとササハの腕に抱きついた。
「あの辺りは、私もお父様から近づかないように言われている場所なの。認識阻害のブローチも、認識されたあとだと効果がなくなるのよ。でも、私がこんな目立つ場所に付けたのもいけなかったかしら……。だったら」
「はいはい。もういいから。適当に服の内側にでもつけてなよ」
面倒そうにリオが言う。ブルメアがむっとしたような表情を浮かべたが、ふんと顔を背けケープの内側へとブローチを付けなおし満足そうに頷いた。
「それで、あんなところで何をしていたんだ」
レンシュラも難しい表情を浮かべ、続く尋問にササハは縮こまるしかない。
「猫ちゃんがいて」
いきなりの猫の登場に三人が首を傾げる。
「それで、赤い文字があるなって思ったら、知らない男の人の胸を触ってました」
「・・・ん?」
レンシュラとリオの声が重なり一つになった。ブルメアはただ驚いた表情で口を開けている。
「わたしが悪いんです! わたしが触りました!」
「ちょっとササちゃん。声が大きい」
「ササハ、貴女何をやっているのよ!」
「わたしにも分かんない!」
ササハは両手で顔を覆い、ブルメアは真っ赤な顔で震えている。とにかく意味が分からん。リオとレンシュラは同じ動作で頭を抱え、ササハから目を離すまいと心に決めた。




