28話 自分で決めて
時刻は朝。先の十の時間。屋敷の前に一台の馬車が到着する。
入り口を出たところにはササハとドネ。その後ろにはレンシュラとリオが並んでいる。
カルアンの紋章がある黒い馬車から降りたのは、ラントとブルメアの二人。ラントは初対面の時と同じ飄々とした様子だったが、内心はそうではない事をこの場ではドネだけが知っていた。
ラントにエスコートされ、ブルメアが地に足をつけるのを待つ。
「ようこそお越しくださいました。遠いところわたしの我儘を聞き入れてくださり、有難うございます」
ササハはいつもとは違う、華美ではないが上質な生地の、装飾品もなくシンプルなデザインのドレスを着ていた。その衣装は今朝ササハがブルメアと同じ様に仕上げてくれとアムに注文を入れ、「お嬢様にはお姉さんすぎるのでは?」と喧嘩を売られながら見立ててもらったものだ。
ササハはマサリーに教えこまれた貴族令嬢の礼を取る。それにブルメアが虚をつかれたような顔をしたが、ササハは笑顔で返した。
「長時間の移動でお疲れでしょう? どうぞ中に」
「それよりも先に要件を教えて。――貴女が言ったんでしょう。私と直接話したいことがあると」
屋敷へと案内しようとしたササハを、ブルメアが遮る。
ブルメアの言う通り、ラントとブルメアが屋敷を訪れたのはササハがそれを望んだから。ラントの屋敷は本家の一部にある。その為ササハがブルメアに会いに行くことはせず、代わりにドネに頼みブルメアを呼び出してもらった。
ブルメアの強い眼差しをササハは見つめ返す。
ササハは気づいていないが、ラントが心配そうな表情を覗かせ、事前にドネから口を出すなと言われているため、訳も分からず見守るしか出来ない。
要件を述べるまで一歩も動かないという様子のブルメアに、ササハがそうねと折れる。ササハ自身も場所はどこでもいい。ただ、どうしてもブルメアと話さなくてはいけないことがあるだけだ。
「まずはブルメアさんからの謝罪を要求します。――あの時、本当はおでこ。とっても痛かったんだから」
口を尖らせるササハにブルメアはたじろぐ。おそらくは呪鬼に憑かれていた事が関係していたのではと、ブルメアに報せがいったのは少し前の出来事だった。
ブルメアがササハにインク壺を投げつけ、怪我をさせた後、ブルメアは家に戻され謹慎処分となっていた。
ブルメアがそれに不満を言うことはなく、ただ憑きものが落ちたように大人しくなり、逆に何の主張も言わなくなった事にラントはやきもきしていた。
今日だってラントは、此処に来る余裕など無いほど忙しいはずなのに、娘の事が気になりすぎて共に来てしまった。
今更、傷害事件にするような事にはならないだろうが、それでもラントは大事な娘を心配する一人の父親であった。
「ブ、ブルメア。謝罪をするのはもちろんだけど、でも、場所を移してからでも」
屋敷の外だ。使用人たちは出てきてないとはいえ、誰が見ているかも分からない。問題はないがラントに染み付いた貴族の習性が、無意識の内に出てしまっていた。
「怪我を負わせてしまったこと、お詫び申し上げます。――――――本当に、ごめんなさい」
ブルメアは深く頭を下げた。
ごめんなさいと、まるで同等の間柄で交わされる言葉を使って。
それにササハは答える。
「うん、いいよー」
めちゃくちゃいい笑顔だ。
「これで仲直りよね」
「ふん。そもそも、修復するほどの仲ではなかったと思うけれど」
人目がある場所で、貴族が下の者に頭を下げるなんて――。そんな浅ましい考えを微塵でも持ってしまった事にラントは恥ずかしそうに顔色を変え、ドネが馬鹿にしたように鼻を鳴らしたのが聞こえた。
ラントがササハの前で作っていた、抜け目のない叔父ヅラを引っ剥がされて眉を下げる。
「僕も、僕もごめんなさい」
「え? ラントさん?? 急にどうしたんですか?」
「…………お父様?」
しおしおと萎びた葉野菜になったラントは、二人の娘の前で項垂れる。よく分からないが、まあいいかとササハはラントは捨て置いた。
「それとね」
「……お前、よくそれを無視して話を続けられるな」
ドネが呆れたように言った。
改めてラントに何かあるのかと訊き返したが、ラントが気にしないでと首を振ったので、ササハはほら見ろとドネに視線を送った。
「うん。それとね」
ササハが改めて仕切り直す。
「わたしブルメアさんとは、一度きちんとお話をしなきゃって思って。わたしたちの、これからについて」
ブルメアが怯んだのが分かったが、ササハは止めなかった。
「わたしは特務部隊に入る。騎士になるわ。それで――、それで此処に二度と帰って来れなくなったとしても構わないと思ってるの」
それに驚いたのはリオとドネ以外の全員で、一番最初に反応を見せたのはブルメアだった。ブルメアの顔が、驚きから、怒りの赤へと変化する。
整った柳眉をつり上げ、ブルメアはササハへ詰め寄った。
「だから私に譲ろうって言うの!」
「そう出来たらいいなと思ってはいる」
「馬鹿にしないでよ!」
「馬鹿にしてない! わたしには、わたしのやりたいことがあるから、任せられる人に任せたいと思っただけよ」
「それが馬鹿にしてるのよ! ふざけないで!」
手こそ出して無いが、今にも掴みかかりそうなブルメアに、ラントとレンシュラは気が気でない。声を荒げるもブルメアの怒りは治まらず、勝手に想いを固めているササハに苛立ちがつのる。
「要らないからって譲られて、私が喜ぶと思ってるの!」
「要らないなんて思ってない! やらなきゃいけない状況になるなら勉強もするし、お父さん以上に出来るようになってみせる!」
「ならっ」
「でも、わたしが本当にやりたい事は別のことなの」
ドネがいるなら、ササハがいなくても問題ない。ササハでなくてもいいのなら、ササハじゃない、この領地を大切に思ってくれる誰かでいいじゃないか。ササハが戦闘に参加することに関しては、本家から制限されていないのだから。
領地をササハの意志で譲ることは出来なくても、協力なら喜んでする。当主様がどんな人物か知らないが、何もしていないの諦める必要はない。
ただ、それらは全てササハの希望。
ブルメアの事情も、都合も、ゼメアがいなくなった事で彼女が犠牲にしたものも、想いにも、なんの配慮もしない。自分がそうしたいと思ったから言った。自分はこうしたいのだと告げた。
「――――何よそれ、勝手すぎる」
吐き捨てるような言葉に、ササハに反論はない。だが。
「そうよ。これが私の勝手。じゃあ、貴女は?」
「――え?」
「ブルメアはどうしたいのよ」
呼び捨てになっていたが、そんな事は気にしていられない。
どうしたいもなにも
「……そもそも私たちに決める権利なんてないじゃない」
「あるわよ。自分のしたいことなんだから、自分で決めたら良いじゃない」
「だから、それが無理だって言ってるのよ。本家の――当主様に反対されたら、望んだところで意味がないの。貴女は知らないようだけど、四家門では印持ちである当主様の言葉は絶対なのよ」
「でも、十年前に出て行ったお父さんのことを、なかった事にしないような人だよ」
「……え?」
「それこそ死亡したことにしてもいいのに、名前を残してくれてたんだなって思ったら、案外話せば分かってくれるかも知れないよ」
「そんなはず……」
無いとは音にならなかった。
「それに駄目なら駄目で、別のやり方を探せばいいのよ」
「別っ……て?」
「お父さんの領地を、わたしが居るせいでブルメアが継げないなら、わたしがいなくなれば良いんでしょ?」
「……え?」
「この際入隊出来るなら、別にカルアンじゃなくても良い」
「「「駄目だ!!」」」
軽いノリで言われた言葉に、三方行から反対が飛んできた。
「リオだってやってるし、やれないことはないと思うんですけど」
「阿呆うが! そういう話ではないし、私は認めんぞ!」
「ドネさんの言う通りだ。こんな馬鹿の真似をしようとすら思うな」
「ひどー。僕は馬鹿じゃありませーん」
「君はちょっと黙っていてくれないか!」
ドネ、レンシュラ、ラントの順に怒鳴られて、リオがとばっちりを食らう。
「でも、さ。僕ササが言いたい事、何となく分かったよ。要はさ、現実的なあれこれは置いといて、そっちの彼女はどうしたのかって事さ」
「そう! わたしが知りたいのはブルメアのこと。ブルメアはどういしたいのかってことよ」
出来る出来ないの前に、どうしたいのか。ブルメアの気持ち。
ブルメアの瞳が、不安に揺れた。意味のない空想論に付き合わせるなと言えばそれまでなのに、その言葉がどうしても出ない。
だが、もし、許されるのであれば。
「私、私は……もし叶うなら」
「うん」
「ドネ卿の地位が欲しい」
「・・・は?」
ドネから間抜けな声が漏れるし、他のメンツも聞き間違いかと目を丸める。
「すぐにとは言わないわ。二年ほどは中央の大学に行きたいの。独学じゃなくきちんと領地運営学を学びたいし、でもどちらかと言えば社交的な意味合いのほうが強いのだけれど、どちらの面でも無駄ではないと思うの」
「ブ、ブルメア? どうしたんだい? 大学って、お父さんなにも……」
「だから、出来たらの話よ。それで卒業後に一年ほどドネ卿について、三年後くらいには、私一人でも問題ないくらいにはなってると思うのよ」
「良いじゃない!」
「本当! 本当に貴女もそう思う?」
「うん。わたしは」
「いや、いやいやいや駄目だ! 何を言っている! 私はどうなるのだ!?」
即興では無いような、やけに具体的な計画プラン。ドネが平常でも白い顔を、更に白くさせてブルメアとササハに詰め寄る。
「大丈夫です。ドネ卿には十分な退職金をお渡しします」
「そういう事ではないだろう!!」
「でも、ブルメアは領主様になりたかったんじゃないの?」
「人の話を聞け! 小娘共がっ!!」
憤るドネをラントが押さえ、ブルメアが語るには、元から領主になるかどうかはどちらでも良かったらしい。四大家門の領地継承は特殊で、今回のように自由意志の譲渡は難しい場合が多く、そこまで拘りはないのだとか。
ただ、そのために日々を費やしてきたため、いつしかゼメアの領地を継ぐことがブルメアの目標となった。だが、ササハはゼメア同様領地運営はドネに頼るだろうと思った時、悔しいと感じたらしいのだ。
「例え私が領主になったとしたも、ドネ卿の扱いに困るなって思ったの。だったらゼメア伯父様とドネ卿のように、互いの足りない部分を補える、そんな必要とされる存在になれたら、きっとやり甲斐もあるんだろうなって、思ったんだけど……貴女は私じゃ、嫌だろうと思うし…………」
「嫌じゃないよ! むしろ嬉しい!」
「んむーーーーー!!!!」
「ドネさん。暴れないで」
ラントに押さえられたままドネが抗議の声を上げる。
「でも、ドネさんのお仕事なくなっちゃうから二人でやれば?」
ササハの言葉にドネは微妙な表情ながらも、少し落ち着く。
「私一人で十分なのに、それは人件費の無駄よ」
「んゥメアーーー!」
「いっそ嫁にもらって夫婦になれば?」
「「馬鹿はだまってろ!」」
「お話にならないわね。これだからリオークのはみ出し者は……」
口を挟んだリオは、ドネとラントに睨まれて、ブルメアには軽蔑の眼差しを向けられた。レンシュラは余計なことを言うからだと、目で語るだけで助けはしなかった。
ブルメアはまるで恋の告白をするような、落ち着かない、張り裂けそうな心臓を押さえ、ササハに手を差し出した。
「だから、私が貴女の帰る場所を守ってあげるから、貴女は好きな時に帰ってきたら良いと思うわ。……ササハ」
驚いた表情のササハに、ブルメアの勇気がしぼんでいく。やはり虫が良すぎたかと、同年代とのやり取りをしてこなかったブルメアは、距離感を間違えたと羞恥で消えてしまいたくなった。
汗ばみ、戻しかけた震える手をササハが取った。
「こちらこそ、よろしくねブルメア!」
「! ぇ、ええ! よろしく!」
ブルメアの声は裏返ったが、それを気にする者はいなかった。
数年後、ドネとブルメアがどうしたかは、知らぬ話だ。
◆◆□◆◆
「ンフフ。良かったですね」
屋敷の三階。ベランダの手すりにもたれ掛かり、ケイレヴが嬉しそうに笑む。
「貴方たちが嬉しそうで私も嬉しいです」
ケイレヴは独り呟くと、手すりから離れ踵を返す。
その日、一人の家庭教師が屋敷を去ったが、彼を慕う一人の生徒以外、誰も不思議には思わなかった。
2章はこれにて完結です。




