27話 ササハの宣言
あしの長い椅子を一脚。ベアークに頼みドネの執務机の真正面まで運び入れてもらい、ササハはそこに陣取った。部屋の主の承諾は取らず、急に何だ、何ごとだと書類を捌いていたドネは、目の前に座ったササハを心底嫌そうな顔で見た。
ドネの机の上には相変わらずの書類の山で、頭上には書類を流すための魔力の川が流れている。
また何か面白いことでもするのかと、リオもササハについて来ていたが、椅子を設置し終わったベアークに回収されレンシュラに引き渡されていた。なので部屋にはササハとドネの二人だけ。
書類の山は左右に寄せられているため、正面に座るとドネの顔がよく見える。ドネは嫌そうに眉を寄せ、落ち窪んだ目元を盛大に歪めて、口までひん曲げた。
「今お話良いですか?」
「…………嫌だと言えば帰ってくれるのか?」
「良くなるまで待ってます」
そのための椅子。ドネ自身も分かりきっていた返答だった。ドネは盛大かつ、これ見よがしに大きなため息をつくと、無言で書類へと向き直った。カリカリと不規則ながらもリズムの速い音が響き、ササハは静かにそれを聴いて待つ。
それから約四半刻ほど。ようやく切りのよいところまで辿り着いたのか、ペン先が紙を掻く音が止んだ。ドネはその書類を川へと流すと、首を鳴らしながらササハを睨んだ。
それまでササハはドネが何をしているのかよりも、ドネの操るペン先が紙の上で踊り、白地を埋めていくのが面白いなと、そんなことしか気にならなかった。
ペンを置いたドネに、ササハも顔を上げる。
「リジルが遺体で見つかったと聞きました」
ドネの片眉がヒクリと揺れた。
「わたしには内緒にするように言ってたらしいですね」
「……誰から聞いた? いや、いい。リオークの糞ガキかっ」
決めつけを吐いたドネの予想はその通りで、ササハはそれに対しては何も返さなかった。
「なんで教えてくれなかったんですか?」
「知ったところでどうする」
リジルの遺体は、屋敷から少し離れた森の中で発見された。汚染魔力の侵食度合いが酷かったらしく、皮膚はただれ、獣も近寄らぬほどであった。
汚染魔力のせいで人目を避けたのか、馬車などの移動手段は使わず、探知魔力対策もまともにしていないお粗末な逃亡だったらしい。そのためリジルの行方はすぐに辿れたが、フェイル関連であったため捜索隊を組めたのが最速で翌日だった。その頃には、リジルはすでに物言わぬ姿になっており、だいぶの時間が経過したあとだった。
「リジルが言っていたご主人さまって誰か判かりましたか?」
ドネは小さく首を横に振る。リジルがヴィートに自身を呪具にする方法を示唆し、それをご主人さまと呼ぶ人物からの命令であったのではと、ドネに言ったのはササハだ。
「わたし、特務部隊に入ります」
ササハはじっとドネを見つめた。
父の代わりに、父の帰りを待って屋敷を、領地を守ってきてくれた人。ドネもササハをじっと見返した。しかし、ついと視線を逸らす。
「まあ、特殊魔具は持っていて損は無いからな」
「ちゃんと訓練して、騎士として働きます」
「…………」
「此処に戻って来れなくなったとしても、です」
ダン、とドネが立ち上がり机を叩く。
「お前も我らを捨てるのか」
言ってからドネは、ハッと驚いた顔をする。自分でも何を言ったか信じられないと、ドネは心底戸惑った様子でゆるりと革張りの椅子に体重を預けなおした。ササハも同様に驚いた表情を浮かべ、しかし、先に落ち着いたのはササハのほうだった。
「捨てるつもりはありません」
カルアンの――四大家門の領地相続は特殊である。原則、他家へ私財として土地の売却は禁止され、子への相続の場合も国だけではなく、当主への申請も必要となってくる。金品などの遺産は別だが、土地だけは国と当主両方の承認がないと継げない。
「……そんなにもブルメアに譲りたいのか?」
「ブルメアさんなら良いなとは思いますけど、ブルメアさんじゃなくても良いです」
「なに?」
ドネが眉をひそめる。
「特務部隊に入りたいなら勝手にすればいい。だが……」
「わたしはまだ屋敷の人たちしか知りませんが、此処の人たちのことが好きです。平和に、幸せに暮らして欲しいと思っています。それが叶うのであれば、守ってくれる人は誰でも良いんです」
ドネが濁したセリフを、ササハははっきりと伝えた。
「わたし、これでも怒っているんです」
ササハはこの日初めて表情を歪めた。
「わたしが会った時、ツァナイさんはフェイルじゃなかった」
この屋敷に来て、双子の部屋に案内されて最初に会った時。ツァナイはフェイルではなかった。
リジルが言った。ハートィの魔力だけではなく、呪具で集めた魔力も使うと。いったい何に?
「前、レンシュラさんが教えてくれました。人間をフェイルに変えられるのは親玉みたいな……《黄金の魔術師》って呼ばれてるフェイルだけで、生きてる人に種を植えてフェイルに変えちゃうんだって」
けれどツァナイが亡くなったのは去年の暮れで、ササハが出会った時には透ける身体で宙に浮かんでいた。
「フェイルっていったい何なんですか! 人を呪って時間を狂わせたり、やりたくないのに家族を……大切な人を攻撃するようになってしまったり…………どうしようもない、人には――お父さんも、お母さんも、しょうがなかったって、わたしたちに止める手立てなんて無かったんだって、そう、っ……」
思い込ませて、納得するしかなかった。だけれど、それが違うと言うのであれば。
唇を噛みしめるが、涙は流さない。その段階は過ぎた。
ササハは大きく息を吸って顔を上げた。
「……ツァナイさんがフェイルになったのは、《黄金の魔術師》のせいですか?」
ドネは分からないと苦々しげに言う。
「通常であれば、《黄金の魔術師》なんて化け物が現れたら、敷地を囲うよう感知魔石が反応する。――が、魔石は《黄金の魔術師》どころか、お前の言うツァナイらしきフェイルの侵入も感知はしなかった」
ドネがらしきと言うのは、あくまでササハと双子の証言からの推測でしかないからだ。
ゼメアが残した対フェイル用の塹壕罠が作動していなければ、フェイル自体、感知魔石を反応さずに侵入し、まるで、その場で発生したかというような、そんなことが起こりうるはずが無いだろうと、一蹴出来たというのに。
だとすれば。それが真実だと言うのであれば、《黄金の魔術師》は出現せず、リジルが、誰か人の手によってフェイルが発生させられた。
そんな馬鹿みたいで、身の毛もよだつ報告に、ドネも、ラントも調査に報告にと追いに追われて息絶えそうだ。
「だからわたしは、特務部隊に入りたいと思っています」
ササハは視線を下げたドネには、お構いなしに話を続ける。
「部隊に入って、騎士になって、ツァナイさんがフェイルになった理由を突き止めます! リジルが、リジルの言ってたご主人さまって人が何かしたのか、わたしは知りたいし、そうなら止めさせたい! だって本当に腹が立つ! フェイルが……誰か人の手によってそうさせられているなら、止めさせられる事なら、絶対に許したくない!!」
ササハは鼻息荒く息巻き、興奮を抑えるように息を吐く。
「ただ……」
不意にササハは弱った声を吐く。
「リオに言われました。お父さんの後を継ぐなら、この領地に残って危険な討伐には参加できなくなるかも知れないよ……て」
リオがそうだったらしい。カルアンで言えばラントもだ。特務部隊の騎士であることには変わらないが、当主の守り役として本邸に残される。本邸に直接フェイルでも現れない限り、実戦で戦うことはなくなるかも知れない。
ササハは特別戦いたいわけではないが、ただそれ以上に終わらせたいのだ。
「もし、わたしが特務部隊に入ってお屋敷を出ていったら、ここの人たちはどうなりますか? 本当に――本当にわたしじゃないと駄目なんですか?」
ドネは渋く表情を歪めたあと、強く目元を揉み込んだ。細く、息を吐き出す。胃の腑の当たりが酷く重くて、喉がきゅうきゅうに締め付けられる。なのに……なぜだ。肩の力がふっと抜けた気がした。
ドネは知っている。ゼメアには首輪がつけられていた。ゼメアが自分でつけた首輪だ。ラントが学生の身分で子供を作るという勝手をし、その勝手が払拭されるまでの間、弟の居場所で大人しく繋がれていた。ラントの信用が回復したと思えば、振り切れたようにやらかして、そのままどこぞへと行って帰ってこなかったが。
「……器用に、両方やり遂げるとか出来んのか」
「出来ないから相談してるんじゃないですか」
「全く」
使えん奴らだと、後の部分をドネは口にしなかった。ヒートダウンしたササハが、ぶう垂れた様子で机に頭を乗せる。
「第一、わたしに領主様とか無茶振りだと思いません?」
「俺がいるから、俺がいられる為だけに存在しろ」
「ならわたしじゃなくても良いんですよね? 適任がいるならその方に任せたほうが良いと思うんですけど、それは無理なんですか?」
「お前が死んでたら簡単だった」
「それは無しの方向で! わたしだって死ぬつもりはありませんから!」
ドネの表情に余裕が戻り、ササハは密かに安堵する。捨てるつもりはないし、大事に思っていないわけがない。
「まずは、目指せ特級騎士! ですかね」
「まずはで目指すものじゃない、ど阿呆うが。振り分け試験どころか、適性検査も受かってない小娘のくせに喚くな」
「え? 振り分け試験?! 適正検査だけじゃ無いんですか!? 聞いてない!」
「・・・」
「黙ってないで教えてくださいよぉ」
本当に何を教えてきたんだシラー、とドネは可哀そうなモノを見る目でササハを見る。
「ハッ。まあ、せいぜい頑張るんだな」
「何ですかそれ、酷い! 教えてくれたって良いじゃないですか」
振り分け試験とは、適正があっても戦闘員として使えるか裏方に回るかの、試験のことなのだが――あとでシラーにでも聞けと、軽くあしらわれた。




