4話 思いがけない
日も傾むきはじめ、ササハは人通りが減った大通りの隅に蹲っていた。別に体調が悪いわけではなく、単純に疲れたという理由からである。
ロキアの町に入ったのはちょうど昼頃であったため、滞在時間は然程もない。自警団を出てからの出来事に出鼻をくじかれ、それでも泣きつきたい相手である祖母がいないのだからしょうが無いと、自身を奮い立たせ独自で聞き込みを開始した。
まずは人通りも多く、露天も出ている大通りから聞いて回ったが目撃情報はなし。それなら住民の皆様だと、一本通りを奥に進んでみたのだが。
「会う人の平均年齢高すぎでは?」
賑わっていたのは町に入ってすぐの大通りのみで、あとは閑散としていた。昔は店だったと思われる建物は締め切られ、居住区に至っては半分以上は廃墟と化していた。
なにより日中で人が出払っているのか、とにかく人通りがなく、聞き込みもままならなかった。さらに理由は判らないが、希少な通行人は高齢者ばかりだった。
とにかく祖母の目撃情報が欲しいと、近くを歩いていた老爺に問えば「牛の晩餐?」「うちのばーちゃん、です!」と言われ。必死の説明に知っているとある家を紹介され向かえば、全く無関係の老女が出てきた。それならばと同じ問いかけを老女にすれば新たな心当たりを告げられ、その先でまた同じ展開を繰り返す。
終いには孫娘やら嫁やらと勘違いされ、あれこれ用事を頼まれる始末。しかし、やたら食べ物は勧められたため、お腹はいっぱいになった。
(最後に、もう一度だけカタシロを飛ばしてみようかな)
ほぼ沈みかけの西日に、重い腰を上げる。
パフォーマンスと間違われるのは駄目だと学習したので、周囲を入念に確認し今度はたったの一体だけ。裁縫が苦手なササハの代わりに、祖母が縫ってくれた桃色のリボンを付けた布人形。
それとは別に一枚の白い紙を取り出して眺める。布人形とただの正方形の紙。
ササハは白い紙切れのほうに力を込めた。
「……やっぱり、ばーちゃんみたいには出来いないか」
何の形も成していない、正方形の紙。本来、祖母が使うのはこの紙だ。折り目も切り込みもない紙なのに、祖母が紙に生命――正確には違うのだが、魔力とも違う不思議な力をササハはそう呼んでいた――を吹き込むと、淡い光を放ち勝手にその形に折りたたまれていく。
ササハはそうやって、何度も祖母が紙に命を吹き込む場面を見てきた。それをどうしても真似したくて、何度も安くはない紙を無駄にして、出来ないことに泣いて祖母を困らせた。
(行け!)
出来ないことは諦めて、今度は布製カタシロを飛ばした。淡い光を纏い、ゆらゆらと飛ぶさまは遠目からでもひと目を引くはずだ。
祖母の目に直接留まらずとも、人伝にでも届いてくれと一縷の望みをかけた。
「今のわたしじゃ、この高さが限界かぁ」
高くは飛ばせない。せいぜい、ササハが手を伸ばして飛んでみても、ぎりぎり届かないくらいの距離。祖母なら、町全体を見下ろせる高さまで飛ばし、そのまま一周させることだって余裕なのに。
苦笑を浮かべ、高度を落としたカタシロを飛んで両手で捕まえる。そのササハの手を、横から伸びてきた大きな手の平が捕らえて引いた。
「――ぇ!?」
突然のことに大声も出せず、ササハは引かれるままに顔を上げた。
布人形を握った両手は、手首を一纏めに大きな手に掴まれている。掴んでいる手はこの辺りでは珍しい褐色で、ゴツゴツして大きい。
覗き込まれ、対面した顔は見知らぬ男のものだった。
「……ひぃ」
「――あ、」
ササハの引きつった裏声に、男は慌てて掴んでいた手を離した。
「……すまない。叫ばないでくれ。怪しいものじゃない。ただ…………」
男は言葉を詰まらせ顔をしかめる。
背の高い、体格のいい男。かろうじての夕日を背にササハを見下ろしている。瞳は赤みがかった金色で、男は何か用があるのか、ササハの前から動かず、ササハも男の作る影の内で縮こまるように背を丸めた。
「ぁ……あの、なにか、わたしに」
視線を逸し、地面に向かって用件を問う。すると目の前で立っていた男が急にしゃがみ込み、途端視界が明るくなった。
「……?」
男との距離は変わらないが覆い隠す影はなくなり、見下ろしていた朱金の瞳が、今はササハを下から見上げている。どこか申し訳無さそうな様子に、ササハは知らず身体の強張りを解いた。
「さっきは本当に悪かった。つい、知り合いと見間違えて」
しゃがみ込んだまま男が言う。
「俺はレンシュラ・シラー。カエデと言う名の女性を知っているか?」
ササハは無言で首を横に振り、男は続けて「ならゼメアとう言う名の男性は?」と、それにも同じ反応を返した。
「本当か? 三十代の――夫婦で今年九つになる子供がいるんだが」
「すいません、本当に心当たりありません」
「……そうか」
レンシュラと名乗った男は二十代半ばほどか。レンシュラは眉間をくしゃくしゃにすると、首裏を押さえしゃがんだまま項垂れた。
ようやく相手を観察する余裕が出てきて、ササハはレンシュラをまじまじと見下ろした。ウエーブがかった黒髪は耳後ろ辺りで刈り取られ、左のこめかみ辺りから目元まで続く大きな傷がある。
僅かに対峙した間に見せた表情は苦々しいものが多く、しかし大きな体躯を屈め小さくなってくれたことは、彼なりの気遣いだったのかも知れない。
ササハは、項垂れるレンシュラを真似するようにしゃがみ込み、窺いながら相手を待った。
ササハには何の用も無かったが、なんとなく、このまま立ち去ることは出来なかった。
「……先程」
「?」
「カタシロを飛ばしていただろう。あれはどこで」
「え! カタシロ! お兄さん、カタシロのこと知ってるんですか!!」
ササハがレンシュラの言葉に詰め寄ると同時に、遠くで鐘の音がした。夜を告げる七つ目の鐘だ。気づけば辺りは薄っすらと暗がりを広げ、抜ける潮風も冷たくなっていた。
レンシュラは小さく舌打ちをし立ち上がった。
「名前を教えてもらえないか?」
ササハに手を差し出し、立ち上がらせる。
「色々と話を訊きたいんだが、これから用がある。出来れば明日、改め」
「大丈夫です! 明日暇です! わたし、ササハって言います!!」
「そ、そうか。――見たところロキアに住んでるわけじゃなさそうだが、旅行者か?」
「はい。今日ロキアに着いたばかりです」
先程までの距離感はどこへやら、ササハは食い気味に返答を返す。
「今日着いたばかりなら、宿泊先は? 俺は町の入口から一番近い宿を借りている」
「だったらわたしも同じところに……あ、でもその宿、お高かったりしますか?」
「いや、だいぶ安い」
「やったぁ!」
野宿も辞さない覚悟というか、村を出てからはほぼ野宿だった。小さく飛んだササハに、レンシュラが僅かに笑った。
「なら、明日の――先の八時は大丈夫か?」
「八、の鐘ですか? 先? あ、もしかして今の時計の時刻ですか? すいません。わたし時計は持ってなくて」
「いや、気にしないでくれ。鐘なら……二の鐘。二の鐘の頃に宿屋の前で待っておく。――それでいいか?」
「はい! なんなら一の鐘でも構いません!」
「二の鐘だ」
「むぅ」
「悪いな。じゃあ、明日」
「はい! わたしも――明日、絶対っ……お話しましょう!」
もしかしたら、祖母の手がかりに繋がるかもしれない。
ササハは今すぐにでも聞き出したい気持ちを押さえ頭を下げた。
見えないが頭上で僅かに息が漏れる音がし、すぐに頭をくしゃくしゃに撫でられた。
「暗くなる前に宿に行け。町に入ってすぐのところにある」
「はい」
軽く手を上げ、レンシュラはあっという間に大通りへと消えていった。
辺りはすでに薄暗く、西日の残骸が完全に消えるまでそうかからないだろう。ササハは少し乱れた髪を整えながら、しばらくの宿泊先へと歩き出した。
◆◆□◆◆
「何かあった? レンが遅れるなんて珍しい」
「……、悪かったな」
「別に責めてないって。つか、すんごい嫌そうに言うじゃん」
見上げる空には星が煌く。
ポツポツと灯りのともる居住区からは切り離された、住民のいなくなった町の残り。
その廃墟と化している場所で、レンシュラを待っていたのは一人の男。男はフードを被り、崩れたブロック塀に腰掛けている。
「そっちこそ――見つかったのか?」
「うぅ……、見つかりませんでした」
「……はあ」
「ねえ、どうしよう! どっちも昨日まではあったのに! 朝起きたら無くなってるとか嘘だ!!」
「うるさい」
フードの男はぐすぐすと泣き真似をする。たまにあることなので、レンシュラは面倒くさいと表情に出し、黙り込んで待った。
「ひどい。慰めの言葉一つくらい」
「気は済んだか」
「済むわけ無いだろ!」
「・・・・・・」
「無視!?」
男が座っていた塀から立ち上がり、外套についた砂を払う。
「もういいよ……、あれ? 上着持って来なかったの? 夜は冷えるよ」
「取りに行こうと思ったんだが……、いや、大丈夫だ」
「? まあ、いいや。行こ」
不思議そうにしながら、男は身を翻す。くるりと反転し、合わすかのように吹いた風にフードが緩む。ずれたフードを被り直すことはせず、男はするりと後ろに流すとフードの形を気にして整える。
「リオ」
「ん?」
呼ばれ、フードを外した男が振り返った。レンシュラとは歳の離れた、男と言うよりは青年。
まだ幼さを残す顔立ちで、髪は淡い金髪に、瞳は青空を残したハチミツ色をしていた。
「タリスマンならついでに探してやる」
「転移の魔道具も探して下さい!」
「それは知らん」
「高かったんだよ! すっごく、すぅ~っごく、高かったんだよ!!」
「だろうな」
「他人事だと思って!」
地団駄を踏む勢いで踵を返す。
「なんなんだよ。レンのケチ! もう、いいよ。行こ!」
「夜だぞ喚くな」
「お前のせいだろ!」
人気のない、廃墟となった元居住区。
すっかり夜に様変わりした風景に、賑やかな声が遠ざかっていった。