25話 まだ
音はなく、大地が振動する様な感覚にササハは目を見開く。
ツァナイが鎌を振り上げて、おそらく「逃げて」と言っていた。最後の言葉はハートィにも聞こえたらしく、驚き振り向く彼女と一緒に、頭上にかざされていた鎌の切っ先を自覚してしまった。
振り下ろされる黒の刃に、ササハも、ハートィも、ただ無感動にそれを眺めていた。
そこに割り込んだ背中。
「ぐぁ、ああああ!!」
「ヴィート!」
ササハとハートィを押しのけ、割り込むように鎌へと飛び込んできたヴィートが、自身の右肩に鎌を食い込ませ受け止めた。
「あああ、あああああ!」
「ヴィート! ヴィート!」
鎌はフックで貫くようにヴィートの肩を貫通し、ヴィートの身体を軽々と横薙ぎに吹き飛ばした。
ヴィートは塹壕の土壁に当たり、おもちゃの人形のように跳ね返って地面に落ちる。ササハはそれに気を取られ、ふいに暗くなった周囲に顔を上げた。
ツァナイが、ツァナイだったものがササハを見下ろしている。
「お嬢さん! 逃げて下さい!」
ハートィが特殊魔具を具現化させ、しかしその形状はハンマーを模しており、ハートィ自身も立っているのがやっとの様子であった。
ハートィが大きくハンマーを真横に動かす。円形状の土壁内は広く動きを制限するものではなかったが、それ以上に身体が限界を迎えていた。
「お、お嬢さんは……助けを呼んで来て下さい」
ハートィではなくヴィートの声。
「ヴィート! 貴方」
「ジブンはだいじょ、ぶなんで、へへ、ごメーワクかけました」
立ち上がり、ササハの横を通り過ぎようとするヴィートの右腕は、肩が黒く染まり垂れ下がるだけの異物のようである。
「ねえちゃん、ごめんね。――……姉さんもごめん」
ハートィは振り返らない。
顕になっているヴィートの右目はすでに人のものではなく、咳き込んだヴィートの口から黒毛玉が転がり落ちる。
まだ、毛玉?
「ねえちゃん、ジブンも――ぐ!」
ヴィートの右目からは黒の蛇が伸びたままで、依然ツァナイと繋がっている。その蛇の腹が何度も膨らみ、伸縮するのを、ササハ思わず掴んで止めた。
「ぅあ、あああ! なに、なにを」
ササハが黒い蛇の腹を握りつぶし、痛みがあるのかヴィートが右目を押さえ膝をつく。
「良くない気がする」
「おじょ……?」
「わたしにも分からないけれど、これ以上は駄目な気がするの!」
ハンマーを振り回し、ツァナイの気を引いていたハートィも視線を寄越す。ツァナイの動きは鈍く、だがハートィの攻撃も一切効いておらず猶予は今しかない。
「まだ呪具は完成してないと思うの!」
「! お嬢さん、それは――」
ヴィートが驚いた顔をしてササハを見る。
その間にも蛇の腹は膨れ、とうとうツァナイへと食らいついていた頭がササハへと牙を向けた。同時にツァナイの動きがぎこちなくなり、ハートィはツァナイを大きく叩き飛ばした。それでも同じ塹壕内。
ササハへと向かってきた蛇は、ヴィートが無事な方の腕で庇い、蛇の牙はヴィートの腕へと沈んでいる。
「ジブンが……勝手をしたんです」
「ヴィート?」
「ジブンのせいで姉さんを死なせたのに、ねえちゃんの目まで奪っちゃったから」
ヴィートは泣きそうな顔で笑っている。
「ジブンがやった。呪具も、ジブンの意志で作りました。あのメイドの女の子が言ってたんです。姉さんを蘇らせられるって。呪具を媒体に、ジブンの目はねえちゃんに、身体は姉さんにあげられるってっ、だから…………なのに……」
ヴィートは言葉に詰まり唇を噛む。
「でも、呪具がまだ完成してないって言うのなら――――ねえちゃん!」
弟の大声にハートィは振り返る。
「今から呪具を壊すから、ねえちゃんは姉さんを助けてあげて!」
不完全なら、まだジブンでも壊せる。
ヴィートは自身の右目に指を突き立てた。弾き飛ばされたツァナイが起き上がり、ヴィートに駆け寄ろうとしたハートィの足が止まる。黒い蛇がヴィートを止めようと大きく膨れ上がりヴィートへと巻き付いた。
水気を含んだ嫌な音にササハは目を逸らしたくなる。しかし蛇がヴィートを飲み込もうと大きく口を開けたのを見て、ササハは蛇の巻き付いた腹を蹴って頭へと飛びついた。
蛇の牙がササハの腕を刺し、腕が黒く変色していく。蛇に大きく触れた事で気がついた。ヴィートの目に何か埋まっている。
ヴィート、蛇の、知らない記憶がササハへと流れ込む。
雨が降っていた。足場が悪かった。油断していた。得意になっていた。
特務部隊の訓練は順調で、辛いが難しいと思ったことはなかった。一番末っ子のジブンは二人の姉に頼りっぱなしであったが、この事に関しては下の姉よりは優秀なのだという自覚はあった。
見下してはいない。だけれど驕りはあった。情けないジブンでも誇れる部分があったのだと、浮足立っていたのだ。
だから、ジブンでは手に負えない驚異に遭遇した時、何も出来なかった。一人でも通用すると仲間から離れたのに無謀をして、自業自得なのに死んだのは姉だった。
更に二人目の姉も同じ時に馬鹿な弟を庇って視力を失い、なのに失意を理由に逃げ出したい弟に寄り添って、怪我を負ったのは弟だと、偽りの理由を用意してくれた。姉を死に追いやって逃げるのかと、誰にも言われることはなかった。
「ぐ、ぅああ、ああ」
ぐちゅりと嫌な音がしササハはハッ、と意識が戻る。
蛇の牙が緩んだ。目を向けはしなかったが、ヴィートとが自身の目に埋め込んだ異物を取り出しのは分かった。
白い欠片。蛇を通して伝わる。ツァナイの遺したカケラ。それをヴィートは握りつぶす。
パキン、と砕けた音が響き、巻き付いていた蛇がボロリと崩れ落ちる。足場をなくしたササハも、ヴィートと一緒に地面に倒れた。
ササハは立ち上がれない。蛇に噛まれ腕は動かすことが出来ず、かろうじてハートィの背中が見えた。視界がかすむ。ヴィートも動く気配はなく、息をしているのか音を探ることすら出来ない。
ハートィの特殊魔具が鋭く形を変えたのが分かった。そのくちばしをツァナイへと振り上げる。泣いているかも知れない。だけどササハはハートィと変わってやることも出来ない。
振り下ろされたハートィの武器は黒い煙を吹き飛ばし、赤黒い、石が――――――………………。
「まだ寝ないほうがいいですよ」
声がした。
「せん、せ?」
「はい先生です。お茶、淹れましょうか?」
肩を支えられている。姿は見えない。
ただササハの視界の中には倒れるハートィと、その向こう。霧散したはずの黒い煙が、ぞろりぞろりと集まり、形を成そうとしているのが視えた。赤い石は、未だ輝いている。
だめだ。まだ、駄目だ。
大きな手の平がササハの背中を押す。
「あと少し、頑張って」
「はい」
ササハはどうしてかツァナイの元へと辿り着き、ササハを抱き込んだツァナイは黒の煙から開放されて涙を流した。
ありがとう。ありがとう。
透けていくツァナイはゆっくりとササハを地面に横たえて、愛しい妹と弟にキスをして空に溶ける。
意識を失ったササハの右手には薄っすらと痣が浮かんでおり、誰にも見られることはなくすぐに消えてしまった。
◆◆□◆◆
リジルは夜の森を走っていた。
荷物も何も持ち出すことも忘れ屋敷を抜け出し、人目の付かぬ道を長時間駆けた。馬車は使えない。目的地は決まっている。
「ご主人さま! 助けて下さい、ご主人さまぁ!」
深い森。人なんていない。獣よけの魔道具は持っているので、リジルは何も考えずに声を張り上げた。
痛い、痛い。化け物に吹きかけられた黒い息が肌を蝕み、リジルを虐めるのだ。愛しいあの人に美しいと褒められた自身を、無残な姿にしたアイツ等が憎くて許せなかった。
リジルがある岩場で辺りを見渡していた時、背後で枝葉が擦れる音がした。
「ご主人さまぁ!」
暗い木々の向こうから、リジルと同じローブを被った男――顔の半分をマスクで隠し、口元だけ露出がある男が立っていた。
「ご主人さま! ご主人さまぁ!」
「おかえりなさい。上手く出来ましたか?」
優しい、とも取れる声音で男が言う。
リジルは涙を拭う仕草をしながらも、頬を染め、男にしなだれかかる。
「言われていたことは全て実行しました」
「実行? 成功したではなく?」
男の言葉にリジルはビクリと肩を震わせる。
すり寄っていた身体を離し、しかしその間、男からはリジルには一切触れていない事には気づいていない。
「成功もしました! 呪具を作り、石と呪具の接触もさせました!」
「ではその姿は?」
「あ、これは……まさかあんな化け物がいるとは思わず」
「それで?」
「え?」
「カルアンの娘との接触は見届けましたか?」
「いえ、……あの。だって、こんな酷い怪我、私死ぬかと思って」
「では何も見ていないのですね」
「それは!」
「役立たずが」
ズクリと腹に熱を感じ、次に耐え難い痛みにリジルは絶叫を上げる。
「カルアンの娘がフェイルと接触した際、どうなるか確認しろと言ったはずですが?」
「あああ! 痛い、助けて、死んじゃう。助けてぇ!」
腹にナイフを刺されたと思ったが違う。傷はない。ただ腹の辺りに魔法陣が纏わりつき、それがリジルの肌を侵食していた黒の威力を助長させた。
皮膚が、血肉が焼き爛れる感覚。リジルは汚い悲鳴を上げ、聞き苦しいと感じたのか男は青い石の付いた魔道具をかざし、リジルの声は聞こえなくなった。
「どうだったのぉ~?」
背後から声がし、男は弾かれたように向き直り膝を折る。すぐそばには息絶えたリジルの遺体があるが、次第に黒が広がり土くれとなって崩れていった。
「途中で失敗したようです」
「はあ?」
「――申し訳ございません」
金色のたっぷりの巻き毛に、長い爪には光沢のあるネイルを施した女。女は寒さを感じないのか、肌を露出させる衣服は薄く、スリットの入ったドレスは身体のラインをくっきりと浮き立たせている。
「折角石を使わせてあげたのに、無駄になっちゃったぁ」
「ですが、そちらの成果は確実であるかと」
「そう」
「あの石と、大量の第六魔力と汚染魔力があれば」
「うふふ。なら、まあ今回はそれでいっかー」
「なんと寛大なお言葉……、ムエルマ様はやはり心優しい聖女様でございます」
「やぁだー。まあー? そんなこと有るかもだけどー。うふふふ」
女――ムエルマは笑みを浮かべながらも、その目が笑っていないことに男は気づいている。
「あの御方のためにも、まだまだ足りないのよぉ」
だから、ね。とムエルマは真っ赤な唇を歪める。
弧を描いた赤は、夜空に浮かぶ三日月を連想させた。




