23話 滲んだ空
とりあえずの処分として、ササハから呪鬼の存在を聞き出したドネは、黒い毛玉がくっついていると言う使用人たちを謹慎処分にした。一部、物を盗んだり、ガラス片を仕込んだりと、実害を出した者は解雇せざるを得なかったが、ササハには特に教えてやるつもりはない。
未だ呪鬼という黒い毛玉はササハ以外の者には視えないし、信じ難い話ではあるが、ササハが言う黒いのがくっついていた使用人たちは、実際に罪を犯している者ばかりであった。
「お嬢様大丈夫ですか?」
夜、ササハの髪を梳かしながらアムが言う。
ササハ付きの二人のメイドは、おしゃべり好きなアムが、主に身の回りの世話を行ってくれていた。
「わたしがアムやリジルにも言わないでってお願いしてたせいで、ドネさんに怒られたでしょう?」
「ドネ卿すっごく怖かったですけど、気にしないで下さい」
「ぅ……ホントウニ、ゴメンネ」
「嘘ですよ~」
冗談だと笑うアムに、ササハはほっと息を吐く。
「リジルにも謝らないとね」
朝や夜の身支度の時間に、ササハがリジルと会うことは少ない。
「そうだ。二人のほうは大丈夫なの? その、誰かに意地悪されたり、変わったことが起きたりしてない?」
ふと、いつも世話になっている二人のメイドが心配になった。アムやリジルに黒毛玉がくっついているのを見たことはないが、普段ササハと接する機会が他の使用人たちより多い二人だ。
黒毛玉がササハを避ける素振りを見せているため、何となくササハだけが標的にされているのかと思っていたが、他の誰かを巻き込む可能性までは考えていなかった。
「私のほうは何も。個人的な話をしたりしないので、リジルさんのことまでは分かりませんが」
あまり仲が良くないのだろうかとササハは顔に出し、アムがリジルは誰にでもそうなのだと肩をすくめる。
「あ、でも。私リジルさんとは部屋が隣なんですけど、たまに夜出かけているみたいです」
「夜に?」
「はい。それも深夜に。以前、物音がするなと思って廊下を覗いたら、リジルさんがフードを被って出ていくのが見えたんです」
「それって……もしかして服装は、お仕着せのままだったりしない?」
「え! そうです。お嬢様もご存知だったんですか!」
「そういう訳じゃないんだけど……」
以前ハートィが言っていた、ヴィートの密会相手がフードを被ったメイドだったはずだ。
(もしかして、リジルとヴィートは恋人どうしなのかしら)
ぽ、と顔を赤らめたササハにアムは全てを悟った。
「ちなみにお嬢様はお相手をご存知なのですか?」
「い、言わないよ?! アムも、本人たちが秘密にしてるなら言っちゃ駄目だよ」
「いいなぁ。リジルさん羨ましいなぁ」
「アムは恋人いないの?」
「信じられないことにいません。絶賛募集中なんです」
「確かに信じられないわね」
「でしょう。やっぱりお嬢様は分かっていらっしゃる」
くすくすと、小さい声で笑い合う。
香油を垂らし、髪を梳かしくれていたアムが終わりましたと顔を上げる。
ササハはアムにお礼を言い、今日は早く寝ることにした。
◆◆□◆◆
月明かりが弱い夜。薄雲が空を漂い、眠れぬ夜に辟易したハートィは一人訓練場にまで足を伸ばしていた。
特殊魔具を具現化し、まだ慣れない形状の武器を振り回す。
血を見たのは久しぶりだった。なので興奮しているのだろうか。身近に潜んでいる悪意も、だからといって自身が何かを出来る訳でもない平常が気持ち悪い。
「はあ、はあ、はあ」
がむしゃらに振り回すだけの鍛錬は身体を痛めつけるだけで、ハートィは汚れることも気にせず土の上に寝転がった。
「呪具……」
昼間のササハとドネの会話を思い返す。そんな物騒なものが、このカルアンの屋敷にあると言うのか?
ハートィには何も分からない。姉と、双子の弟に比べて、ハートィは出来損ないだった。
第六魔力量は姉のほうが断然上だし、戦闘センスにおいてはヴィートが優れている。それに比べてハートィは魔力量もセンスも人に自慢するレベルもなく、あえて言うなら最近、回復が速い事にようやく気づいたくらいだ。しかしそれも、一番どころか上位ですら無いだろうと疑念する。
いくらササハやべアークがすごいと褒めてくれようとも、誰よりもハートィ自身が――――己を信じられないでいた。
「あー……星が見えない」
それにすぐ弱る。空には雲ひとつ無く星は空に輝いているのに、それが見えないのは全部ハートィのせいだ。前髪に隠れた左頬に熱い雫が伝う。
冷えた風が吹き、このままではいけないと無理矢理に身体を起こした。
「帰ろ」
こんな時間に湯を沸かせばヴィートを起こしてしまうかも知れないが、我慢してもらおう。ハートィは擦るような足取りで歩き出した。
家と呼ぶには縦に長い建物。まだ居住部分である一階は、木々に遮られて見えないが、部屋の明かりはすでに消えているだろうと予想する。
「――あれ?」
しかしハートィの予想は外れ、窓から明かりを確認出来るだけでなく、扉。出かけた時にはきっちりと閉めたはずの入り口が、開いたままになっていた。
奇妙な違和感がハートィの心臓を鷲掴む。
歩調は自然と速まり、数歩先には弾けたように走り出した。
「ヴィート?」
ほぼ叫ぶように弟の名を呼び、中を覗き込む。入り口からは弟の存在は確認出来ず、眼前にある階段を無視した一階奥の扉。そこは双子の居住スペースであり、左のドアはハートィが。右の扉はヴィートの使う自室となっている。
そしてその二つの部屋の真ん中にあるキッチン兼ダイニングの扉が、入り口の扉同様、開け放たれていた。
「ヴィート? いるの?」
確認の呼びかけに返事はない。
ダイニングに一歩踏み込み、開いたままの扉の影に一人の女性が立っていた。
「こんばんは」
「!?」
声をかけられ、すぐに痺れる痛みを横腹から全身に差し込まれた。
「遅いじゃないですか。待ちくたびれましたよ」
何かしらの魔道具。長い針が飛び出している指輪をハートィの腹に差し込んで、影に潜んでいた女性――――リジルが、フードを外しながら微笑んだ。リジルは使用済みの指輪を外し、床に落とすと同時に踏み潰す。
割れたガラスの音が響き、ハートィが床に倒れる。何とか動かせる首を捻じるも、部屋の中でヴィートの姿を見つける事は出来なかった。
「安心して下さい。あの間抜けはまだ途中なんで、上で寝てると思いますよ」
途中? と揺れる思考をリジルの笑い声がさらにかき混ぜる。
「さあ、此方に付いて来てください。ほら、自分で立って。図体ばかりデカイ豚を私が運べるわけ無いでしょう」
倒れたハートィの腕を蹴りながら、リジルが笑う。ハートィは従うつもりなど微塵もないのに、立って歩かなければという焦燥が無理に手足を動かしている。
「ああ、もうすぐ終わる。そうしたらやっとご主人さまの元へ帰れる」
うっとりとした声を漏らすリジルは、起き上がろうとするハートィの髪を掴んで、引きずるように立ち上がらせる。
「早くしなさいよ、豚」
「うっ……」
ヴィート。ヴィートはどこに?
どこかに逃げてくれていたら良いが、そうでは無いと頭の隅で理解する。
「こんな豚と、間抜けな弟を守るために死んじゃったなんて、あんたたちの姉も本当に可哀そう」
ハートィの意志を無視する身体が、目の前の女に言葉を返すことすら許さない。
「だから、今からお姉さんにお詫びに行きましょ♪」
ハートィの髪を離したリジルが、楽しげな声を上げた。




