20話 学びを得る
ベアークから第六魔力の扱い方を乞うてから三日目。リオとレンシュラも教会のある町に到着したと連絡があり、道中何事もなかった事に安堵する。
ササハのほうも、変わらず屋敷には黒の毛玉が転がっているし、嫌がらせなのか部屋の物が減ったり、壊されていることが続いている。
アムがわかり易く「いくら何でも盗みは駄目です! マサリーさんに報告しましょうよ!」と怒り、リジルはササハが何も言わないのならと静観してくれている。
(物が無くなるのは黒毛玉のせいだと思うのよね)
第六魔力のコントロール訓練を本格的に始めたせいか、ササハはそう思うようになった。
黒毛玉はササハを嫌い避けている。近寄れば逃げていくが、動きが遅いので捕まえることは容易い。ブルメアもそうだったが、人にくっついていることもあり、そして黒毛玉がくっついている人物はササハとあまり交流のない人たちだった。
(たぶんコイツ等は、わたしを好ましく思ってない人にくっついてる気がする)
ササハの姿を見ると気づかないふりをして去る使用人や、見えてないと思っているのか通り過ぎた後にガラス越しに映る表情が卑しいものを見る目をするメイドなど、そういった人に付いていることが多いから。
この件については誰に相談すべきか悩んでいる内に日が過ぎた。さり気なくベアークやツァナイにも黒丸毛玉について訊いてみたが、そんなものは見たこともないという反応だったのでそれ以上は言わなかった。
「どうかしましたか?」
頭上からの声にササハは慌てて顔を上げる。
「何か別のことを考えていたようですが」
「すいません! ……ちょっと考え事を」
今は朝の家庭教師の時間。
歴史の教科書を手に持ったケイレヴが、困り眉でササハを見ていた。
読み書き算術は問題ないと言われたので、ケイレヴとの授業は主に王国の歴史と、その時々に気になった時事問題や雑学、貴族間のマナーや裏マナーまで多岐に富んでいた。
「では歴史のお勉強は此処までにして、今日も気になることをお勉強しましょうか」
ケイレヴはそう言って教科書を閉じる。初めの頃は授業を中断してまでと言っていたササハであったが、ケイレヴが「教科書に書いてある内容は先生がいなくてもできますよ? 読めばいいだけですので」と言われ納得した。
なのでケイレヴは教科書には載っていない、または教科書を読んでも理解出来ない範疇を主に授業をしてくれるので、よそ事を考えがちなササハには分かりやすかった。
「じゃあ、先生は黒い毛玉って見たことありますか?」
「ありますよ」
「そうですよね。やっぱりない……え!? 今あるって言いました!? 黒くて、丸くて、口と手足がある毛玉なんですけど」
「ええ。教科書にも載ってますよ。こちらの492ページです」
「うそ!!」
ダメ元で訊いてみた質問に、肯定が返るとは思わず目を瞠った。
ササハがケイレヴから渡された教科書は全部で五冊。内訳としては、貴族の子供が学校に通うまでに習得する初級の問題集みたいなものが二冊に、歴史の教科書が一冊。あとの二冊は広く知識を吸収するためにと、様々な分野の雑学が詰まった本だった。
その雑学集の一冊を開き、ケイレブがこれですよと指を差した。
「呪鬼?」
「ええ。正確には呪鬼に育てている段階のようですね。これが『呪い』として完成すると、小鬼――海向こうの国で良くないものを表す化け物の形になると書いてます」
「の、呪い!?」
ササハは教科書にかぶりつく様に視線を戻し、該当のページを凝視していく。
ページには手書きのイラストが二つに、長々とした説明文が書かれていた。一度では内容が理解できず、二度三度と読み返して何となく『呪鬼』と言う未知の単語の上辺を理解した。
要約すると『呪鬼』とは
一、対象を呪う為の道具――呪具――を作成する際に生じる魔力現象
一、人の目には見えず、一部の人間や、例外として確認出来る場合もある
一、段階が有り、呪具が完成する前は黒い毛の生えた丸い形を取っており、呪具が完成を迎えると角の生えた小人の様な姿になる
――――と、簡単にだがそう書いてあった。
「先生、呪具ってなんですか?」
「人に呪いをかけるための魔道具ですよ」
「そんなのがあるんですか……?」
「通常はありませんね。なので呪いたい人は自分で作ります」
「うわ……」
魔道具は、魔法陣を付与して作られるのだが、魔法陣が魔力を自動で吸収するタイプか、魔石で代用する補充型の二種類がある。
「呪具は魔道具でいう魔法陣を付与するところまでは同じなのですが、燃料となる魔力が特殊なんです」
「普通の魔力じゃ駄目なんですか?」
「ええ。負の感情などで汚された、汚染魔力に近しい魔力が最適です」
「??? 魔力って汚れるんですか?」
「あくまでイメージの話ですが。海向こうでは負の念や、怨念などと呼ばれていたりしますね」
知らなかったとササハは納得する。この場にリオや、とにかく別の人物がいれば、もっと詳しく聞けと呆れられるだろうが。
そう言えばフェイルの黒い煙も汚染魔力だと、前にレンシュラも言っていた。
「汚れた魔力は元に戻るんですか?」
「我々では元には戻せませんね。けれど長い歳月をかければ消滅はします。例えば呪具など一箇所に集められた汚染魔力は目に見えることがありますが、元となる核を破壊した場合、汚染魔力は胡散します。しかし消えたわけではなく、井戸に一滴のインクを垂らしたら他と混ざり分からなくなりますよね。それと同義に、膨大な魔力に一滴の汚染魔力――といった感じでしょうか」
例えにササハは眉を寄せる。
「でも、それだといずれ井戸の水は真っ黒になりませんか」
「そうですね……。魔力は循環していて、井戸にも新しい水が入り込んでいる状態なのですが、消滅も待たず、上回るのであればそうなります。ですので、汚し続けるのはよくありませんね」
そうにっこり微笑んだケイレヴに、ササハは息を呑む。
(なら、フェイルが沢山いる状況はよくないのかな)
ちょうどのタイミングで、昼の時刻を示す時計の音が鳴る。
ケイレヴがササハの使用する机から離れ、帰り支度を始める。ササハは立ち上がってケイレヴを呼び止めた。
「あの、もう一つだけ質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「もし呪具を見つけた場合はどうしたらいいですか?」
勉強中、黒丸毛玉を見かけた事がない。
ササハは緊張を滲ませケイレヴを見る。ケイレヴは少し首をかしげた後、変わらぬ笑顔で答えた。
「危ないので、押し流してしまえばいいですよ」
意味が分からなかった。
◆◆□◆◆
「今日もよろしくお願いします」
「お願いするっす!」
後の二時。訓練場でササハとハートィはベアークに礼をする。
ベアーク自身も頼られることが嬉しいのか、満更でもなさそうな態度で、お嬢様に危険な事はさせるなとマサリーからの圧を何とか受け流している。
ハートィが訓練場に来る時はいつもツァナイがついて来ていたが、今日は空に浮かぶ彼女の姿がない。
黒い人影は未だササハの視界に映り込むが、ササハはそれにも慣れ、彼らがツァナイのように飛んでいるのを見たことないなと思う余裕さえ出てきた。
「ハートィは今日も打ち込みをするか?」
「お、お願いします!」
ベアークの声掛けにハートィが特殊魔具を具現化させる。
ササハはまだ自身の特殊魔具を持ってないため、カタシロを使ってハートィの邪魔をすることで練習としていた。
ベアークの盾に巨大ハンマーで打ち込むハートィに、ササハが紙カタシロをけしかける。ハートィのハンマーがカタシロに当たると、カタシロは魔力が抜けるのかへろへろと地に落ちただの紙へと戻る。
ツァナイが言うには血を滲ませたカタシロは遠隔でも操れると言っていたが、ササハにはまだそれが上手く出来ない。なのでハートィの攻撃に当たらないように操作をしつつ、叩き落とされても遠くから魔力を送る訓練中なのだ。
(やった! 今日は二体同時に動かせてるわ!)
紙カタシロが苦手なササハだったが、スピードを重視するなら布より紙のほうだ。理由は分からないが、紙のほうが速度が出るのだ。逆に鈍い動きでなら布カタシロのほうが多数動かせるが、高く飛ばし空を駆け巡らせるならやはり紙のほうである。
二枚の紙切れがハートィの攻撃範囲の内側に入り、ハンマーの頭ではなく手の平によって払い落とされた。
「えぇ! それはずるだよ!」
「ずるくないっす! むしろフェイル相手だったら、触らなくても近寄っただけで煙にやられるっすよ!」
「それはそうだけど! むぅ!!」
ササハの実力はまだまだのようである。
カタシロが落とされても新しい子を投入させるのではなく、遠隔操作で復活させるという自己ルールを設けているため、ササハは遠くから魔力を送る。
その間にもハートィはベアークの作った盾に打撃を与え、しかし大したダメージにはならず疲労だけが募っていく。
「一撃の威力が弱いなら数で打ち込め。盾の厚さは一番薄いものだぞ。叩き割る気持ちで来なさい!」
「はい!」
そうして渾身の力を込めたハートィの一撃は、僅かの振動すら与えることが出来ずに弾き返される。
特殊魔具への魔力供給が途切れ、ハートィは荒く肩で息をする。
まもなく冬が始まる季節。漂う空気は冷たく、ササハもベアークも汗一つかいていない。そんな中ハートィだけが、呼吸を荒げ、額から流れた熱い雫が顎の輪郭を伝い次々にと滴っている。
特殊魔具の具現化は何度か途切れたが、その度に再度具現化させ、それが幾度も続いている。
(第六魔力量は申し分ないんだがな)
最初に盾を展開してから、何もしていないベアークがハートィを見る。
武器との相性が悪いのか、ハートィの攻撃は見てくれだけで威力がない。これが小さな、それこそ連射が可能な飛び道具であれば良かったかも知れないがそうではない。
「少し休憩をするか?」
「だ、大丈夫っす! もう少しだけ、お願いしたいっす」
ぜえぜえと引きつった呼吸音が響く。
ハートィがもう一度右手にハンマーを握りなおした時、遠くで見ていたササハがふいに近寄ってきた。
「お嬢さん? 危ないっすよ」
ハンマーに視線を向け歩いてくるササハに、ハートィが忠告する。
「あのね、わたし思ったんだけど軽いせいじゃないかな?」
「え? ああ、そりゃウチの攻撃は軽いっすけど、なのでその分沢山打ち込んで」
「そうじゃなくて、このハンマー自体が軽いから叩いても力が出ないのかなって? だって、ハートィの持ってるハンマーより、大工さんが持ってるハンマーのほうがずっと重そう」
「重そう……?」
確かにハートィの持つハンマーは軽い。触れるとしたらササハでも片手で軽々持てるだろう。
「そりゃ、特殊魔具なんで軽いのはしょうが無いっす」
「特殊魔具だと軽いの?」
「特殊魔具がと言うより、魔力の塊なんで。重さがなくて当然じゃないっすか」
「魔力って重く出来ないの? その量を増やしてみたりとかで」
「無理っすよ。空気と一緒で、魔力なんて形もないし、重くなんて――――」
出来ないよな? とハートィは自信なくベアークを振り返ってしまった。
ベアークも似たような顔をしており、小さく首を横に振っている。
「そっか。魔力って重く出来ないんだ。ごめんね、知らないのに変なこと言って」
「いえ、そんなことないっす! 気にしないでください!」
しょんぼりと俯いてしまったササハに、慌ててフォローを入れる。
見当違いなことかも知れないが、現状を思って言ってくれた言葉だ。不快になんて思うはずはない。
しかし。
「重さ……量……」
ハートィは小さく呟いた。
魔力の密度は変えれても、元から重量なんてないものだ。重さなんて発生させるなんて出来ない。
(確かに軽いんすよね、コイツ。腕輪部分の魔具自体の重さしかないし、でも)
感触はある。ベアークの盾に打ち込んだ時、かつてフェイルと戦った時に攻撃を加えた際に。ぶつかる。自分の体重分しか加わる力がなく弾き返される。
(重さが無いから威力がない。けど重さは変えられない。だから数で少しずつ削るしか無い……削る? ハンマーで岩を……フェイルを削れるか? ウチのハンマーは軽いから岩フェイルを叩き壊せないし、だから数で削るしか……)
「ハートィ!?」
「?」
ぼうとしていたハートィの思考に、驚いたササハの声が飛び込む。どうしたのかと顔を上げれば、ササハはハートィの手元を凝視し、ベアークも同じ様な顔をしている。
「二人共、いったいどうしたんすか? 変な顔っすよ?」
へらりと笑って見せて、ハートィは思考に没頭していたことを誤魔化す。
「ハートィ! それ! 手、手のやつ!」
「手?」
「お前、特殊魔具の形状が変わっておるぞ!」
「へ? ベアークさんまで何言って……え?」
言われてハートィは自身の右手を見る。変わらぬ長い柄が見えて首は傾げたまま。しかしその先端。丸い筒状のハンマーの頭が、鋭く尖ったくちばしのような形へと姿を変えていた。
それはまるで――
「ツルハシ? …………え! 何でっすか!? ウチのハンマーがツルハシに変わってるっす!!」
「本当になぜだ!? 一度具現化した特殊魔具が形状を変えるなんてっ??」
「あ、触れる。ハートィ、このさきっちょの部分わたしにも触れるよ! 他の人が触れるくらいって凄いんじゃなかったけ!」
「え? え、いや、え? ぅえ???」
ツンツンとササハがくちばしに似た頭部を突いて見せる。驚きに目を丸めるベアーク以上に、ハートィは目を回しそうだった。
「きっとパワーアップしたんだよ! ハートィ、試してみなよ!」
目を輝かせるササハに促されるまま、ハートィはベアークを見る。ベアークも困惑したまま特殊魔具を具現化し、無言で何度も頷いてみせる。
何がなんだか分からない。
ハートィは形状の異なった特殊魔具を大きく振り上げ、ササハが急いでその場を離れる。少しの期待と緊張を乗せ振り下ろされたツルハシは、見事にベアークの盾を打ち破った。




