18話 会いに行こう
次の日、リオとレンシュラは朝早くに馬車に乗って行ってしまった。
眠い目を擦りながらササハも何とか見送りに間に合い、なぜかリオがげんなりとしていたが、理由を訊いても教えてはくれなかった。
昼から鍛錬の時間がなくなった為、ササハはマサリーと刺繍の練習をしていた。
「んー。全然上手くならない」
好きな柄をと言われて、星空を刺繍してみたいと言ったところ、グラデーションのある紺の布地に星を刺してみてはどうかと言われ、出来上がったのが――
「落石注意?」
「ふふ。なんて大きなお星さまですこと」
もう星というより岩の塊そのもの。色だけはカラフルで、丸とも何とも呼べない歪な塊になってしまった。
「お母さんは裁縫上手だったのに……どうしてここは似なかったのかしら」
「お嬢様もいずれ出来るようになりますよ」
それには練習あるのみ。
ササハは一息吐き出し、刺繍枠をテーブルに置いた。
「ねえ、マサリー」
「なんでしょう?」
「マサリーはツァナイさんって人知ってる?」
「――存じておりますが、その名前をどこで?」
困惑の表情を浮かべるマサリーに、ササハは慌てて両手を横に振った。
「えっと、レンシュラさんとお母さんの話をしてた時に。お母さんの弟子? だったって聞いて……」
「まあ、そうでしたか。――そうですね、ツァナイは、ハートィとヴィートより三つ上の女性で、双子の姉であると言うのは聞かれておりますか?」
「少し前に亡くなったって……」
「はい。昨年の末頃、フェイル討伐の際にヴィートを庇って」
「え? ヴィートを庇った?」
「私はそう聞いております。戦闘中にヴィートが片目を負傷してしまい、逃げ遅れたのを庇ったと。ヴィートの目を失明はしなかったものの、それに近い状態にはなったみたいで、ヴィートは特務部隊を除隊することになりました。ハートィもその時一緒に」
そこまでは知らなかったと、ササハは言葉に詰まる。
本人の知り得ぬところで聞き出す形になり、ササハは俯いた。マサリーは隠している事ではないし、大丈夫だと言ってくれたが後ろめたさが残る。
「今からツァ――二人のところに行って来てもいい?」
「もちろんですとも。ですが上着をお持ちになって、暗くなる前にはお戻り下さいね」
ササハは嬉しそうに頷く。
「それと……もう一つね」
「はい。何でございましょうお嬢様」
テーブルに広げていた刺繍道具を片付ける手が止まる。
「ブルメアさんはまたここに来てくれる?」
マサリーは少し目を見開いた後、自分には分からないと申し訳なさそうに言った。
◆◆□◆◆
ササハは双子の薬草畑の近くまで来て、以前ツァナイに声をかけられた木の前で立ち止まった。双子の前ではツァナイと話せないので、出来ればあちらから外に出て来て欲しかったのだ。
しかしそう都合よくツァナイが出てくることはなく、どうしたものかと頭を捻る。
「そうだ。カタシロを飛ばしてみよう」
今回は紙カタシロ。カルアンの屋敷にはメモに使ってもいい紙まで置いてあるので、失敗したとしても怒られないのだ。
(直接手で持てる連結カタシロよりも、空中に浮かすほうが難しいのよね)
ササハは早速と上着の内ポケットから、人型に切り取ったカタシロを取り出した。空中に浮かす様を想像しながら力を込め、あ、と思った時には人型の紙は一瞬にして燃え上がった。
――ちょっとあんたぁぁ!!!!
「ひゃい!」
ササハにすれば大音量。声のほうへと振り返れば、焦った様子のツァナイが大きく目を見開いて、ササハに人差し指を突きつけていた。
――何やってんのよ! この間、倒れたばっかりでしょ!!
「ツァナイさん!」
――ちゃんと確認しなかったアタシも悪いけど、力の制御が出来ない内は無理するんじゃないの!
ササハの周りをくるくると飛び回り、時には突進してはすり抜けてを繰り返すツァナイ。どうやらツァナイはカタシロを飛ばそうとするササハの魔力を感じ取って、外に出て来てくれたようだ。
「大丈夫ですよ。あれからちょっとずつ、コントロールの練習してたので!」
ツァナイが何か言う前に、ササハがにっこり笑う。ツァナイは暫く何か言いたげに口を開閉していたが、眉間にシワを寄せぐっと堪えた。
――本当に無理だけはしないでよね
「はい!」
ササハは返事だけはいい。
何とか納得した様子のツァナイは、空中で仰向きになると表情を変えた。
――それで今日はどうしたの? わざわざこんな場所で自主練?
「ツァナイさんがお母さんの弟子で、カタシロの扱いが上手だって聞いたので、教えて貰えたら嬉しいなと思って……駄目ですか?」
――駄目ではないけど……難しいわね
「どうしてですか?」
――何かあった時、アタシじゃフォローしてあげられないからよ
言葉ではアドバイス出来ても、いざ失敗した時。ツァナイに出来ることはあまりない。
眉を下げたツァナイに、ササハも仕方ないのかなと肩を落とす。が、ツァナイがそうだ! と一回転した。
――ハートィがね、林の奥で自主練してることがあるの。一緒にやれば?
想像していなかった提案に、ササハは首を傾げる。
「ハートィが自主練って、何のですか? もしかしてカタシロ?」
――違うわよ。特殊魔具。あの子も前は特務部隊にいたからね、たまに特殊魔具を持ち出して一人で鍛錬してるみたいなの。カタシロも、特殊魔具も、扱う魔力は第六魔力でしょ。力の流し方とかは触れ合ったほうが分かりやすいし、どうかしら?
「お願い出来るならしたいです!」
――なら案内するわ。ちょうど少し前に出て行ったから、いると思うのよね
「ありがとうございます!」
ふよふよと浮かぶツァナイは障害物なんて関係なく、ついて行くのが大変だった。
敷地内であるはずなのに、森の中にいるような感覚にササハは辺りを見回す。
空を見上げれば木々の隙間から双子の暮らす白茶の塔は見えるが、あれ程大きいと思っていた屋敷は見えなくなっていた。
ツァナイと何気ない会話を交わしながら歩く。
彼女は猫と双子が好きで、大きな音が嫌い。ツァナイの第六魔力が強いことに気づいたのはカエデで、ツァナイは紙を使わず第六魔力だけで模ったカタシロも扱えるらしい。けれどそれは生前の話で、今は大したことは出来なくなってしまったと話してくれた。
そう遠くない場所だったようで、大した距離もいかず、着いたとツァナイが教えてくれる。ツァナイの視線を辿って先を見れば、林の中の開けた場所でハートィが大きなハンマーを片手に立っていた。
「あれがハートィの特殊魔具?」
小声で訊いたササハに、ツァナイはそうだと頷いた。
自分の事は絶対双子に話すなとササハは念を押され、ハートィに声をかけるべく草むらを出ようとしたが、
「……ひぅ」
ササハに背中を向けながら、湿った声を漏らすハートィに足が止まる。
ハートィの零す雫が光を反射し、泣いているのだと遠目からでも分かった。ササハは戸惑いに踏み出しかけた足を迷わせ、乾いた枝を踏み折った音を響かせてしまった。
ビクリとハートィの肩が震え後ろを振り返る。
「あ、あの……こんにちは」
「お嬢さん?」
ハートィはササハに驚いた後、急いで前髪で隠れた目元を拭う。
ササハはそろりと茂みから抜け出し、ハートィへと近づくも、ツァナイが心配そうにあれこれ指示を出してくる。
――どういうこと! 何があったの!? 誰かにいじめられた? ちょっとあんた早くアタシの妹を慰めなさいよ!!
ハートィの周りを飛び交いながらツァナイが声を荒げる。
ササハはハンカチを差し出しながらハートィをなだめ、涙はすぐに収まった。
「何かあったんですか? 嫌じゃなかったら、その、理由を訊いても……」
俯くハートィの後ろで、ツァナイが容赦なく聞き出しなさいと、両手を振り上げている。
そんな事を言われてもと、ササハは内心で眉を下げ、ハートィには出来るだけ何でもないような表情を装った。
暫くしてハートィがポツリと口を開く。
「お嬢さん、ウチ嫌な奴なんす」
「え? 嫌な奴? ハートィが?? そんな事」
「そんな事あるんです!!」
「えぇ……??」
「ウチ……ウチ……」
再びハートィの声が引きつりだし、それに伴いツァナイの眼光も鋭くなる。
どうしたら良いか分からず、ササハは自分より高い位置にある背中を一生懸命なでた。
そうすればハートィの涙腺は増々緩んだ。
「お嬢ざぁぁぁん!!」
「なに? 何でも言って? どうしたの!」
「ヴィードがぁ、ヴィ、う」
「ヴィート? ヴィートがどうかしたの?」
「ぎ、のう、夜に、」
「うん」
「じらない、メイド、の娘と、あっでっで」
「うん……うん?」
「げざ、ヴィードのごど、むじじぢゃっだぁぁぁぁーあー!!」
「……???」
どう言う事だと、ササハは少し考えた。
ハートィの言葉を訳すと、昨日の夜にヴィートがメイドの女の子と会っていて、そのせいで今日の朝、ハートィはヴィートを無視してしまった。――という事だろうか。
「別に良いんじゃない?」
ヴィートが女の子と会おうが、ハートィが何か気に食わないことがあってヴィートを無視してしまったとしても、そういう時もあるのでは?
しかし、そう思ったのはササハだけのようで、ハートィはこの世の終わりの様な悲壮さを漂わせ、ツァナイは見たこともないほど目を吊り上げてササハを睨んでいた。
「えーと、ごめんなさい。もっと詳しく話を訊きたいから、どこかに座って話そう?」
でないとツァナイの顔が戻りそうもない。
ササハは急いで辺りを見回して、適当な場所などないことに絶望した。




