14話 知らなかった
「また一個減ってる」
ササハが魔力コントロールで倒れてから五日後。知らない内に、持ち物が無くなる事が増えた。
最初は単純に無くしたか、メイドたちが別の場所に置いたのかと思っていたがそうでもない。
靴を駄目にされてから本当に大切な私物は持ち歩いていたが、ハンカチが一枚無くなり、マサリーが用意してくれていた髪飾りが減り、大きいものではドレスが一着行方不明だ。そして今日また、青い石がついていた髪飾りが消えていた。
(せっかくマサリーさんが用意してくれたのに)
この屋敷に訪れた時には揃えられていた装飾品。費用は屋敷の予算から出ているらしいが、ササハの事を考えて手配してくれたのはマサリーだ。
この事はまだアムとリジルしか気づいておらず、ササハも魔が差しただけならと様子をみていたのだが。
(報告、したほうが良いよね……)
重い息を吐き出し、眉根を寄せる。
近頃屋敷の様子がおかしく、体調を崩し辞める使用人も出ているらしい。そのせいでマサリーもベアークも忙しくしており、これ以上の負担はかけたくなかった。
(黒い毛玉も増えてるし――関係あったりするのかな?)
廊下に出て、あてもなく歩き出す。
二階の手すりから下を見下ろし、行き交う使用人たちを何となく眺める。彼らの足元には黒い毛玉が転がっており、誰かにひっついている毛玉もいれば、ただ辺りを転がっているだけのものもいる。
黒い人影と似たようなものかと思っていたが、それにしても数が多すぎる。一度、毛玉を捕まえてみたら普通に触ることが出来、ものすごく嫌がられて逃げられた。
確かな感触が有るわけではなく、なのにちゃんとそこに有る。不思議な感覚。それ以来ササハが近寄ると毛玉達は中まで真っ黒い口を開き、毛を逆立てて威嚇してくる。
あれのせいなのかも知れない。屋敷の様子がおかしいのも、何もかも。
考え事をしている内にササハは普段来ない東棟、ドネやブルメアが居る区域へと来てしまっていた。特に出入りを禁止されているわけではないが、食事の席を共にしないほど避けられているため、無理に会うつもりもなかった。
居たたまれず踵を返そうとし、窓越しに角を曲がった廊下からドネと、そのドネを追いかけるようについて来るブルメアの姿が見えた。何となく八合わせるのが気まずくて、二人が廊下の門を曲がる前にササハは近くの部屋に入り込んだ。
部屋に明かりは点いておらず、通り過ぎた先にドネの書斎があったことを思い出す。
「待って下さい、ドネ卿!」
扉が完全に閉まっていなかったのか、ブルメアの声が室内にも届いた。
「領地の冬の予算案を私なりに考えてみたんです! 今年は例年に比べて農地も安定していたので、過剰分を特別報酬を与え、交換という形で徴収するのもいいと思ったんです。理由は――」
ブルメアは小走りにドネの速度に付いていき、時折紙の擦れる音が聞こえる。
「徴収した過剰分は物資として蓄えておくのではなく、別のものに変え」
ダン! と大きな音が響き、息を殺していたササハの肩も震える。
おそらくドネが壁を叩いた音だろうが、饒舌だったブルメアを止めるには十分だった。
「すでに予算計画は済んでいる。故に君の意見は必要ない」
低い、落ち着いた声がやけに残る。
それでもブルメアは諦めず、書類を握る手を震わせながら声を紡ぐ。
「み、見ていただくだけも――今後のためにも、ドネ卿の意見を聞かせて頂きたく」
「無意味だ。君がどれだけ情熱をかけようとも、日々の時間を、今を、過去を、これからの未来を捧げようとも関係ない」
ドネは声量を変えていないのに、その一言がやけに大きく響いた。
「我らの意思意向は求められてないのだよ。諦めたまえ」
それだけを言い残し、一つ分の足音が遠ざかる。窓越しに、俯き唇を噛みしめるブルメアの姿が見えた。
以前廊下ですれ違い、手を払われた時に見えたブルメアの手はインクで汚れ、目元は化粧で誤魔化していたが隈が隠しきれていなかった。
暫くして一つの足音が、来た方角へと戻っていった。
ササハは何も出来ず、暗い部屋でへたり込む。ブルメアは、彼女はいったい何を――。
「あの! すいません! 失礼、失礼しますっ!!」
ササハはすぐさま飛び起き、隣のドネ書斎の扉を叩くと、返事を待たずに中へと押し入った。
目が合ったドネは、びっくりした顔をしていた。
「ちょっとお話しいいですか!」
「…………いやだ、帰ってくれ」
「帰りません!」
「・・・・・・」
ドネは頭を抱え、おどろおどろしいため息を吐き出した。
空っぽの屑カゴをひっくり返し、ササハはドネの隣に腰を据える。低い位置からドネを見上げた。
「実はさっき隣の部屋にいて、話を聞いちゃったんですけどね」
ドネはササハを無視してペンを取ったと言うのに、ササハは気にせず話を続ける。
「ブルメアさんと話していたあれは何なんですか?」
「…………盗み聞きとはいい趣味をしているな」
「趣味じゃありません。たまたま聞こえただけです」
侮蔑を含んだ視線を向けてもササハは怯まない。
ドネは左手で目元を揉み込みながらも、書類から顔を外すことはしなかった。
「ブルメアさんは何のために此処にいるんですか?」
僅かにドネの歯が軋む音が響いた。
「キサマがそれを知ってど――」
ドネがササハを正面から見たのは、今回でようやく二度目だ。前回とは違う、真っ直ぐな強い瞳がドネに向けられていた。
ドネの表情から強張りが抜ける。
「あの娘は、ゼメアの代わりに領地を継ぐ予定だった」
ササハは何も返さず、無意識に手に力が入る。
「私はあくまで補佐であり、カルアンの直系ではない。あの阿呆うが屋敷を捨て逃げ出した後、本家から通達が来た。ラントの娘が成人するまでにゼメアが戻らなかった場合、ラントの娘――ブルメアに領地を任せると」
王国の成人は男女とも十八歳。ブルメアは現在十七歳なので、あと一年もなかった。
「あの娘はそれを粛々と受け止めた。貴族の子供であれば十五で行くはずの学院も辞退し、領主として必要な知識、経験を学ぶべく自分の家で過ごすより多くの時間此方へ足を運んでいた。学院への入学を諦めたのも、本家からの指示だ。外を知り、別の道を見つけられたら困るんだろう。抵抗したのかは知らんが、提出していた入学書を取り消したのは事実だ」
本来であれば学生である年齢。もしくは王国の女性は十六を過ぎれば婚姻を結ぶことは可能なので、進学せず嫁入りが決まっているかのどちらかだ。だが、ブルメアはそのどちらにも当てはまらない。
ゼメアが放棄した領地を継ぐため、自分で選んだのか、選ばされたのか。
「だが、今お前が現れた。本家も、法律も、どちらともお前で問題ないと言っている」
「え?」
「まともな知識も学もない、たかだか九年しか生きていない小娘なのに」
カルアンの血が流れてさえいれば、誰でも良いのだ。少なくともドネが居るから、ササハは何も出来なくても問題はない。
(本当は自分たちの為に、小娘共を囲い込みたいだけだろうが)
それをわざわざ説明する必要はなく、ドネは自嘲の笑みを零す。
全てが馬鹿らしいと、ひどく疲れたように肩が重くなった。
「分かったならもう出ていけ。これ以上子供の喧嘩に付き合わせるな」
「じゃあ、ブルメアさんは」
ドネの皮肉を聞いていないのか、ササハは真剣な表情でちぐはぐな言葉を返す。
「ブルメアさんは領地を継ぎたいって思ってるって事ですか?」
「……そうじゃないのか?」
「学校はもういいのかな?」
最後の一言は独り言だった。
ササハは立ち上がり頭を下げる。
「ありがとうございます。まずはブルメアさんと話してみます!」
「は? ――いや、待て。話し合うとは何を?」
「ここに住んでる人たちの為に、わたしたちはどうすべきかです!」
屑カゴを書斎机の下に戻し、踵を返す。「お邪魔しましたー」と元気な声で挨拶をし、ドネの書斎を後にする。
一人残されたドネは窪んだ目を見開いて、暫く呆気にとられた。
「……なんだ、あれは。あれも大概、阿呆うだな」
本当に似て欲しくないところばかり、そっくりだ。
ドネは椅子に深く身を預け、ゆっくりと目を閉じた。




