13話 怒られた
鼻血を流して倒れたササハを見つけたのは、窓に無数に浮かび上がった手形にビビって、外に逃げた双子だった。
手形はツァナイが根性で一時的に可視化出来るようにしたもので、あんな事が出来るとは知らなかったと後に言っていた。
ササハはすぐに屋敷に担ぎ込まれ、医者が言うには不慣れな魔力コントロールの負荷に、身体が堪えきれなかったせいらしい。そのため心拍数が上がり、血流が乱れた。下手をすると血管破裂につながることもあるからと、こっぴどく怒られた。特にレンシュラとマサリーに。ベアークは心配のあまり涙を流すばかりで、何を言っているのか理解出来なかった。
「今日は一日寝ていろ! 大丈夫だとかほざいて出歩いてたら、ベッドに縛りつけるからな」
本気のレンシュラの冷えた声音に、ササハは涙目で必死に頷いた。
まさかこんな事になるだなんて。
ツァナイは行動範囲があるのか、おろおろしながらも塔から遠く離れることはなかった。
アムとリジルに看病されながら、ササハは大人しく一日を終えた。
◆◆□◆◆
「もう全然大丈夫ですってば」
翌朝、食堂の前でレンシュラから健康チェックをされた。
「朝食をサンド系にしてもらったんだ。だから、別のとこで食べようか?」
小さめなバスケットを持っているリオが笑顔で言う。よく見ればレンシュラの足元にも、やけに大きなバスケットが二つ置いてあった。
「昨日なにがあったのか、詳しく話してくれるよね」
「あ……はい」
食堂はドネとブルメアが避けているだけで、いつ来てもおかしくはない。だから人に聞かれる心配のない場所で洗いざらい吐けと、そういう事である。
天気の良い空を窓越しに眺めながら温室へと向かう。
ササハの体調はすっかり回復し、異常も後遺症もない。
レンシュラを先頭にリオの後ろを歩いていると、すれ違った後にメイドたちの視線を感じる。小声で二人の容姿をほめる声も聞こえたりして、自分はこんなにも耳が良かったかなと内心首を傾げた。
温室に入り、その事をリオに聞いてみたら、あっけらっかんと答えが返ってきた。
「多分、魔力循環で五感が上がったのかもね」
「魔力循環?」
「そう。魔力を血液みたいに身体に流す事だよ。殆ど一時的にしか効果はないけど、身体能力補助と似たようなものだよ」
確かレンシュラが、ロキアで城門の壁を登ったと言っていた事があったが、それと同じことだろうか。
「それで、なんで昨日あんな場所で魔力コントロールの練習なんてしてたの?」
いきなり本題に入るリオに、ササハはテーブルの椅子を引く。
双子からも話は聞いていたのだろう、レンシュラも不機嫌そうな目を向けてくる。
「魔力コントロールなんて知らないはずだ。誰から聞いた?」
「…………ツァナイさん」
「――は?」
「ツァナイさんが教えてくれました」
「あ! レンに言うの忘れてた。双子の傍にカイレス長女の霊がいるんだって。前、双子の巣に行った時にササが視たって、言うの忘れてたや。ごめん」
「・・・」
「レンシュラさん?」
テーブルに肘を付き、レンシュラは口元を隠している。
「レンとカイレス長女は仲良しだったんだよ」
「え……あ、」
レンシュラはリオを睨んだが、本当の事だろうとリオは悪びれない。
「カエデさんの事があっただけだ」
それだけを言ってレンシュラは黙った。
バスケットの中身を広げながら、軽食の他にフルーツやデザートも入っていたので、ササハはフルーツを手に取った。
「カイレス長女は双子の保護者みたいなところがあったからね。双子のことが気がかりなのかな?」
「二人には知られたくないって言ってたから、教えちゃ駄目だよ」
「そうなの? まあ、無理に教えたいわけでもないし、りょーかい。――じゃあササに魔力コントロールを教えた犯人は判ったね。なら、薬草畑の近くで倒れたって聞いたけど、そこには何の用事で? 訓練前に約束でもしてたの?」
「それは……」
すでに心配はかけまくっている。ここは正直に話す他ない。
「最近、黒い影も見えるようになったの」
「黒い影?」
「たぶん亡くなった人の霊で、ツァナイさんは害はないから気にするなって」
「あれ? ロキアでも普通に霊を認識してなかったっけ」
「ちょっと違うの。ツァナイさんも、ロキアであった女性の霊も、透けてるだけで顔とか分かったけど、最近見えるようになったのは殆ど真っ黒で……あ、でも、ロキアで行方不明になった人たちの霊とは似てる……」
黒い影のような霊。思い返せば、ロキアで母の居場所を示してくれた霊たちは、黒いシルエットしか分からない者たちだった。
「昔、カエデさんも似たような事を言っていた。殆ど自我を失くし、そこにいるだけの霊は黒いシルエットのように見えると」
ツァナイも母から聞いたのだと言っていたし、手出しさえしなければ無害なのだろう。
「そっか。ササはその影の霊が怖くて、カイレス長女に会いに行ってたってことであってる?」
「ツァナイさんにあったのはたまたま。あそこは薬草の匂いがして落ち着くから、別に約束とかはしてなかったの」
心の安寧を図っていただけだ。
「レンシュラさん。黒い毛玉みたいなのって、お母さん何か言ってたりしましたか?」
「黒い毛玉? さあ、それは聞いた事がないな」
「そうですか……」
「人影だけではなく、そんなものも視えるのか?」
「いえ、ちょっと気になっただけなんで」
靴のことを思い出し、咄嗟に誤魔化してしまう。
こちらはきっと人為的。気にしないほうが良いのだと、取ってつけたように笑った。
◆◆□◆◆
「ササハさん、これ。新しいスケッチブックです」
昨日は一日安静にし、家庭教師もお休みだった。
ニコニコ細目のケイレヴは特に事情は訊いてこず、代わりに新しいスケッチブックを二冊もササハに手渡した。
「そろそろ無くなる頃かと思いまして」
「すごい。どうして分かったんですか?」
「あ、やっぱり無くなってました? では、早速先生に見せて下さい」
「え――」
「駄目ですか?」
駄目ではないが恥ずかしい。
一冊目のスケッチブックは持ってきているが、まだ誰にも中は見せていない。昨日倒れた時に見られたかも知れないが、ササハが自主的にスケッチを差し出したことはないのだ。
「上手く描けてないんですけど」
気を紛らわせる為に描いたので、被写体も身近なものばかりで面白みはない。なにより素人の落書きに、恥ずかしい七割、けど見てもらいたい三割といった様子だ。
ササハがおずおずと差し出したスケッチブックを、ケイレヴは嬉しそうに受け取った。
「今拝見しても?」
「ど、どうぞ」
目の前でスケッチブックを開き、時間をかけてページをめくる。
その中の一枚でケイレヴの手が止まり、すぐに吹き出す声が続いた。
「こ、これは」
「ぅ――先生のメガネです」
「ンフフ。次は先生自身も描いてくださいね」
「………………はひ」
ケイレヴのメガネは釣り上がった形をしており、何となく印象に残っていた。なので何となく描いてしまった。メガネだけ。
ササハは顔を赤らめ縮こまる。とてつもなく恥ずかしい。ケイレヴがまた楽しそうに口元を緩めているので、それが嬉しくもありむず痒い気持ちにもなった。
「ありがとうございます。これを先生にプレゼントしたりは?」
「だ、駄目です! ……恥ずかしいから」
「そうですか。残念です」
「…………いつか、もっと上手に描けるようになったら、良いですよ?」
「それはとても楽しみですね」
「ぅ、頑張ります」
「フフ。ところで、お茶淹れましょうか?」
「いえ、今はいいです」
ケイレヴはスケッチブックをササハに返し、教科書を手にする。
「前回は地図の見方を勉強しましたので、今回は現在の領地ごとの特徴を学びましょうか」
「はい!」
ササハは元気よく返事を返し、三冊のスケッチブックを丁寧に机の端に置いた。
昨日体調を崩したこともあり、今日の授業はこれまでの半分の長さで終わった。本当は今日も一日休んだほうがいいとマサリーには心配されたが、ササハ自身がそれを断った。
(早くこれからどうするか決めないと。その為にもいっぱい勉強して、ちゃんと考えなきゃ)
特務部隊に入隊するための検査も、いつ受けるのかササハはまだ明確な答えが出せていない。
ササハは一人で唸りながら部屋へに戻る途中、偶然ブルメアと出くわした。
今度は互い正面に相手を捉え、久しぶりにまともに顔を合わせた従姉妹に、ササハは驚いて足を止める。
「こんにちは!」
声をかけたが、ブルメアは視線すら寄越さず通り過ぎようとする。ササハは道をあけ、すれ違おうとしてブルメアの肩に以前見た黒丸毛玉がいるのを見つけた。
しかも黒丸毛玉は、以前見た時と少し違っているようだ。
(大きくなってる?)
ササハは毛玉を払い落とそうとブルメアに手を伸ばす。
「触らないで!」
「っ!」
肩を掴まれると思ったのか、触れる前にササハの手が払いのけられる。
ブルメアの整えられた爪が僅かに皮膚を裂き、ササハの持っていた勉強道具が床へと散らばる。一冊の教科書がブルメアの足元で開き、ペンで書き込んだページが晒される。
それを見たブルメアの表情が、ぐしゃりと歪んだ。
「今更、なによ……」
「え?」
血が滲んだ手より床に落としたものを気にしていたササハに、ブルメアが冷たく言い放つ。
「今更勉強したって無駄なのよ!」
ブルメアが教科書を踏みつけ、開かれたページが嫌な音を立て破れる。
「ゼメア伯父様じゃなく、あんたが死ねば良かったのに!」
ブルメアは叫び、逃げるようにその場を去る。遠ざかるブルメアの肩越しに、毛玉が楽しそうに笑んでいるのが視えた。
「――あれ? 今、喧嘩売られた?」
ササハは遅れて苛ついた。




