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6話 陰口

 広い廊下はシンと静まりかえっていた。

 ササハは高い天井を見上げる。天井には昼間だと言うのに、それ以上の光を注ぐ照明用の魔道具が、同じ間隔を空けて奥までずっと並んでいる。


 確か昨日。用事があればこれを鳴らしてくださいと、マサリーから可愛らしいリボンを巻いたベルのような魔道具を貰った。しかし呼び鈴を持ち歩く発想はなく、部屋に置きっぱなしにしている。


 自分の部屋への道順は覚えているが、それ以外は食堂くらいしか自信がない。レンシュラは今、叔父と一緒にすぐ後ろの部屋にいるが、リオの部屋がどこなのかは知らなかった。


 長い廊下を真っ直ぐ進み、階段を下りる。一度部屋まで戻ろうと思ったのだが、一階を経由した道順しか覚えておらず、遠回りかも知れないが一度エントランスホールへと出る。


 何人かの使用人とすれ違い、使用人たちは立ち止まり頭を下げる。皆が皆そうするので普通の事なのだろうが、仕事の手を止めさせてまでする事なのかと、ササハは申し訳無さで知らず早足になった。


 部屋に行くにはエントランスホールから奥の階段を上がればいいのだが、遠目にササハと同年か、少し上くらいのメイドが三人いるのが見えた。彼女たちとの距離は遠く、それぞれがシーツのような白い布を持っていた。


 メイドたちはササハには気づいておらず、楽しそうにおしゃべりをしながら廊下の奥へと進む。ササハがいた村では歳の近い子供はおらず、同年代だったのは隣町に住む幼馴染くらいだった。


 声までは聞こえないが、楽しそうに笑う横顔が気になって見ていた。すると一人のメイドのポケットから、ハンカチが一枚滑り落ちた。


「あ」


 思わずササハは声を上げ、階段に向いていた身体をそちらに向ける。三人の年若いメイドはその事には気づかず、角を曲がって姿が見えなくなった。


(落としたこと気づいてない。追いかけなきゃ)


 ササハは走り出し、幸いなのか廊下には誰もおらず不信に思う者はいなかった。

 拾い上げたハンカチには、可愛らしい花の刺繍。ササハの鞄に入っているハンカチより、何倍も質がいい生地。こんなハンカチを買える人が働いているのかと思うと、おかしな気分になる。


 それよりもとササハはメイドの後を追いかけ、彼女たちが消えた角を曲がる。屋敷の奥まで来たところで、扉のない一室から若い女性の声が聞こえた。


 部屋は扉もないランドリールームで、メイドたちの声が廊下まで届く。

 ササハはその入口に近づこうとし、届いた声に足を止めた。


「本家のお嬢様見た!? やっぱり混ざりものとは違うよね~」


 混ざりもの?

 ササハの心臓がドクリと跳ねる。


「ちょっと、止めなよ。誰かに聞かれたらどうするの」

「そうよ。そういう事は思ってても口に出さないものよ」

「えー。てことはアンタも思ってはいるんだ。ぷふふ」

「だって、ねえ。どうせなら流民(るみん)の混ざりものより、ちゃんとした血統のほうが良いって言うかー」

「せっかくのカルアン家なのに、どうなのって思」

「それ以上言わないで」


 いつの間にかササハは入り口の真ん前に立ち、気づいたメイド達が一気に青ざめる。


 三人のメイドは慌てふためき、洗濯かごやら、小さな丸イスやらを蹴倒し立ち上がる。後悔よりも焦燥。青ざめ、目を大きく開く彼女たちの引きつった口元は、今も尚笑っているように見えた。


「お嬢様、これは違うのです!」


 ササハが何かを言う前に、一人のメイドが声を荒げる。先程のササハの言葉から、話を聞かれていた事は理解しているようだ。


「何が違うの」


 ササハが発したのはその一言だけ。


「私は言ってません! この子が勝手に!」

「何よ! アンタもそう思うって笑ってたじゃない!」

「お嬢様わたしは違います! 私は止めました! だから私は」

「なに一人だけ言い逃れしようとしてるのよ! 昨日部屋では、みすぼらしい女が来たって散々に言ってたじゃない!」

「な……嘘言わないでよ! この嘘つき!」

「いった、何すんのよ!」

「あんたこそ!!」


 一人が別の一人に張り手をし、それを皮切りに三人のメイドたちは互いを罵り掴み合う。その物音に他の使用人が集まりだし、男性の使用人が彼女達を取り押さえる。女たちは引っ掻き傷に血を滲ませ、髪も乱れ、それなのにまだ罵りあっている。


「お嬢様!」


 遠くからマサリーがスカートの裾を掴み、急いでこちらに向かってくるのが見えた。その姿が祖母と重なる。心配と驚きと、困惑と苛立ち。

 ササハは持っていたハンカチをいつの間にか床に落としていた。

 ただ拾ったハンカチを届けてあげようと思っただけなのに。


 その場はすぐにマサリーが取り仕切り、何事だと集まった使用人たちを仕事へと戻らせる。発端のメイド達は口々に言い訳を口にしたがマサリーには通用せず、別室へと連れられて行った。






「それでその三名は?」

「即刻解雇を言い渡し、今荷造りをさせています」


 昼の鐘が鳴る間際。ドネの執務室に移動したラントとレンシュラの元にベアークがやって来て、食事の時刻ではなく別の報せを持って来たことに、レンシュラが慌てて部屋を飛び出した。

 ドネは執務机の椅子に座っているが、ラントは書類人形を一体どかせてソファに座っている。


「その三名はどこの者だ?」


 ラントの言葉に、ベアークは持って来た書類を渡した。


「応募の際に送ってきた履歴書と紹介状です」

「ふむ……どの家もカルアンに抗議出来るような家ではなさそうだね」

「流民の混ざり者に追い出されたなど、恥ずかしくて口に出来るはずがない」

「けど、いいように噂は流されるかもね」


 ラントとドネ。二人の会話にベアークは無言を貫く。


「そんなに怒らないでくれよ。ベアークは本当に兄さんのことが好きなんだから」


 顔にも態度にも出していなかったはずが、ラントは困ったような表情で言った。


「しかしこの使用人たちは、なぜカエデの出自を知っていたのだ? 面接の際にそんな事まで説明してやってるのか」


 鼻で笑うドネにベアークが苦い表情を浮かべる。

 ゼメアの失踪は社交の場でも知られているが、その理由は真実から見当違いのデマまで多数存在している。その中には身分の低い女性と駆け落ちしたという噂も存在するが、三人のメイドは流民の娘であると知っていたような態度である。


「それが話を聞くにも自分は悪くない。周りも言ってるとそればかりで」

「周りとは?」


 ドネの声が冷える。


「……申し訳ございません。至急個人面談を行い、改めてご報告いたします」

「そうだね。雇った娘たちは一般のご令嬢でしょ? 特務部隊の人間ならまだしも、新人のメイドがカエデさんのこと知るくらい、この屋敷の人間は口が軽いみたいだ」

「…………」


 二人がかりの追求にベアークはただ顔色を悪くさせる。反論どこらか、返す返事すら見つけられなかった。

 よく回る口を動かしながらも、ラントは書類の上を走らせる目は止めなかった。


「ベアーク」

「はい」

「この者たちから、なにか甘い香りを感じたりすることはあった?」

「香り……でございましょうか?」

「ん。ないの?」

「香りの種類までは存じませんが、何度か香水の匂いがキツイと注意を受けていたと聞いてはおります」

「ふーん……まあ、いいや。とにかく後は任せるよ。書類はまだ読みたいから、あとでドネから返してもらって」

「かしこまりました。では、失礼いたします」


 ベアークは一礼をし、何も持たずに部屋を出る。

 ラントはもう一度書類と紹介状に簡単に目を通した後、纏めてドネへと、書類の川を逆流させて渡す。


「おい。順番が乱れる」

「ちょっとだけじゃないか。昔らかブテ(にい)は細かいんだよ」

「その呼び方は止めろと何度も言っているだろう! 干すぞ」

「怒らない怒らない。興奮すると、また貧血で倒れちゃうよ」

「ちっ・・・!」


 盛大な舌うちを漏らしドネはデスクの内側を蹴り上げる。物にあたるのは良くないとラントに言われ、血管を浮き上がらせた。


 ドネはラントをきつく睨み、ラントはその視線を気にせず口を開く。


「薬ですかね? ロキアの件でそちらにも嫌というほど報告上がってますよね」

「煩い」

「屋敷の人事管理はベアークに任せているんでしたっけ? 彼がここまで出来の悪い人間を採用するなんて、ちょっと信じられないな」

「……あの人も歳だからな」

「それ本人に伝えても良いですか?」

「やめろ」

「それでも、カルアンに対してやらかし過ぎでしょ」


 言って足を組んで黙ったラントにドネは視線は向けず、視界の中だけで感じ取る。こういうところは彼の実兄ではなく、自分自身に似てしまったと。


「あのクソが居なくなってから、お前に残されていたなけなしの可愛げも無くなったな」

「え?! なんです、急に??」

「独り言にいちいち反応するな。煩わしい」

「えぇ……理不尽……」


 そう言って眉を下げたラントの表情は、幼い時の彼となんら変わらなかった。

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