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2話 星空の夜に

 星空が近い夜の山。

 ササハがそこに辿り着いたのは、村を出てからちょうど二十日経ったころだった。

 節約のためにと、乗合馬車は使わず歩くことにした。体力には自信があったし、馬車で五日程度の距離ならば、その倍の日数もあれば大丈夫だろう――などという安直な考えはすぐに吹き飛んだ。


 道に迷い、人に助けを求め、助けられ。何だかんだと遠回りをし、目的の町は山を越えた反対側だと教えられた時には、迂回するために来た道を戻るなどという選択肢は浮かばず、最短距離を突っ切っることにした。そして今はその山を登りきり、半分ほど(くだ)った辺りにいる。


「あれが、ロキア」


 山際の、切り立った崖の上から町を見下ろす。

 三方を山と海に囲われた、港町ロキア。町の周りには高い城壁が半円を描き、灯りのともる家々を守っている。しかし、その灯りも現在では町の半分ほどしか残っていない。

 あの町のどこかに、祖母が居るのだろうか。

 ササハはもうひと踏ん張りと山を下ろうとし、視界の隅で動く影に気がついた。


「なに……、え? 子供?」


 かろうじて、それが人間の子供だと認識出来るほどの距離。段々に波打つ足場の向こう側。性別までは分からないが、十にもみたないであろう小さな後ろ姿が見える。

 子供が立っている場所は先のない山の終わりで、平たく言えば崖の手前。その奥底からは水の流れる音が聞こえていた。


 動揺しつつも辺りを見渡してみたが、他に人の姿はなく、夜の景色が広がるばかり。

 ササハのように、山を生活圏内としている地元の子供なら良いが、――いやそうであっても、こんな夜遅くに子供が一人でいるのは不自然だ。

 流石に目の前の急斜面を下ることは出来ず、遠回りに山の内側へと戻る。なぜかこの辺りは、野生動物を見かける事が少なく、大きな音を立てても心配はなかった。

 人の手の入っていない山道をかき分け、しばらくして子供が居た辺りまで下りてこられた。


「はぁ、はぁ、あれ? い、いない?」


 呼吸を整え子供を探す。先程ササハが居た場所には水音しか届かなかったが、案の定崖下には川が流れており、流れも速い。落ちたら一溜まりもなさそうだ。

 まさかと、両手を地面につき、急勾配の岩肌を覗き込む。

 身を乗り出しすぎていたのか、がらりと体重を預けていた岩場が崩れる音に、ササハの身体が下へと傾いた。


「――――あぶない!」

「!!」


 腕を捕まれ、力任せに引き戻される。

 一瞬浮いた足を砂利に引っ掛け、遅れて胴へ回された腕が、ササハを後ろへと引っ張ってくれた。その際、何かがカツンと音を立て崖下へ落ちるのが見えた。

 それを咄嗟に追いかけようとして、腹に巻き付く力が更に強くなった。


「何やってんだ、死にたいのか!!」

「ぐえっ」


 強い圧迫感にササハが鳴いた。鳴くと同時に、自身の状況に理解が追いつき、心臓がありえない速さで伸縮運動をし始めた。


「ご、ごめんなさい! ありが」


 勢いよく振り返り、互いの鼻先が触れそうな距離に驚いた。

 一番初めに見たのは、ハチミツ色の透き通るような瞳。しかし、次の瞬間には投げ出すように身体を押され、相手がササハより少し年上くらいの青年だということを知った。

 旅人にしては軽装――というよりも、むしろ今から自室で寝る直前なのではと疑うようなラフな格好に、見る限り荷物も所持していない。髪の色は瞳の色より淡い金色で、人形のように整った顔立ちをしている。しかも、なぜだか裸足だ。


「あなた大丈夫なの?」

「は? それはこっちの台詞なんだけど?」


 思わず口をついた言葉に、青年が苛立った声を返す。


「あ、違うんです。裸足……いえ、こんなところで人に会うなんて思っていなかったので、驚いたと言うか。そんなことより、ありがとうございました。もう少しで落ちる――」


 そういえばさっき何か落ちたな、と思うと同時に、ここに来た目的も思い出す。


「そうだ、あの子!」

「え?」

「子供を、多分十歳くらいの小さい子で、さっき上から見かけて」


 身振り手振りで説明するも、相手は怪訝そうな顔をするばかり。

 もしかして、とササハは青ざめ、再度崖下を覗き込もうとした。それに青年がぎょっとし、先程とは違う方の腕を掴まれた。


「何だよお前、本当に死にたいのか?」

「違うわよ! ただ、子供が落ちちゃったかと思って、それで」


 腕を掴まれたまま、ササハは崖下を覗き込む。目を見開いて周囲を見渡し、子供の姿がない事に安堵する。


「子供? ……お前の連れか?」

「え? いいえ」

「見間違えだろ? 小さい子供が夜遅くに、こんな場所にいる訳がない。動物とか木の影がそう見えただけじゃないのか?」

「そんなはずない! ちゃんと、人間の子供だったもの」

「なら、一体どこに……」

「……」


 冷たい風が吹き、ぞくりと背筋が震えた。

 振り返った背後は薄暗いを通り越した真っ暗闇で、正面は落ちたら終わりの崖っぷち。運良く川に落ちても、どうなるか分からない。親の姿はもちろん、子供が居たであろう形跡すら一切残されていない。

 ここで不幸な事故が起きていない事を、ササハは願った。それがつい先程の話でも、遠い昔の話であっても。


「どこにって言われても……いや、言わなくていいからね! 何か思いついても知りたくないから!!」

「別に何も言ってないし、一人でうるせーな」

「あー! あー! なにも聞こえないー!!」

「だからうるせぇ!!」


 青年が立ち上がり、ササハは咄嗟に青年の服を掴む。


「どこ行くの」


 しかし青年は何も答えず、振り払うように背を向ける。ササハは一度だけ崖下を見ると、青年を追いかけた。

 先程子供の姿はなかったが、別の物は見つけたのだ。


「待って、落とし物。さっき引っ張ってくれた時、持ってた物落としちゃったよね」


 指差す方は崖の向こう。川へと伸びる岩肌の途中に、木の枝に引っかかった何かが見える。

 シルバーのチェーンに通された、複雑な彫り物を施した装飾品。中央には何色かは分からないが、宝石か魔石か。大きめの石が埋め込まれている。


「あれって祝福のタリスマンでしょ? 子供が生まれた時、神殿か教会でお祈りをしたらもらえる祝福のお守り! わたし、本物は初めて見たわ!」


 興奮気味に言い切って、ぎくりとササハは固まる。

 祝福を授けてもらえるのは、貴族か寄付の出来るような裕福な家だけ。また渡すお気持ちの額によって、装飾品の質も変わるらしい。

 となれば、中央に立派な石が付いているあれが、如何ほどの(もの)なのかササハには検討もつけられなかった。


「す、すいません。今すぐ、何とか、取ってまいります」


 青ざめ、手頃な棒でもないかと目をかっ開く。

 それに青年は眉を寄せ、面倒そうに手を振って見せた。


「いいよ。要らない」

「どうして? 大切なものでしょう?」

「…………別に」


 顔を逸らし、青年は今度こそ背を向け歩き出した。

 見送った背に、会話を交わす人物がいなくなり、流れる水の音が鮮明になる。


 要らないと、言われたものを再度見る。――祝福のタリスマン。

 話でしか聞いたことがなく、村ではもちろん隣町の幼馴染(ヨーク)さえも持っていなかった高価なお守り。子供が生まれてから、次の歳を迎えるまでの間。その期間内に祈りと、それなりのお気持ちを捧げることで与えられる。

 タリスマンの裏面には子供の名前と、その誕生日が刻印され、十八歳の成人になる歳までは所持しているのが良いとされている。


 ササハはしばらく崖下を眺め、かと思えば振り切ったように、近くに放り出してしまった荷物を引き寄せ中を漁り出した。

 出てくるのは携帯食料やわずかの衣類に、よくわからない小物の数々。それらを悔しそうに眺めながら「ばーちゃんなら、えいやあ! の一発なのに」と独り言をこぼす。

 ササハが取り出したのは数体の白い人形(にんぎょう)と、ヒトガタに切られた白い紙の束。人形は使い古しのシーツを切り抜いたものを数枚重ねて縫い合わさただけの質素なもので、何体かはリボンが縫い付けられていたり、糸で顔が作られていたりと謎の個性を持たされている。

 紙束の方も人の形に切り抜かれてはいるが、手の部分は切り離されてはおらず蛇腹折りに繋がっている。


(紙カタシロは苦手だけど、でも長さを考えるとこっちじゃないと……でも、うっかり川に落としでもしたらばーちゃんに『また貴重な紙を無駄にして!』って怒られ……うぅ)


 ササハは一瞬だけ紙の束を握りしめ苦悩の表情を浮かべ、しかしすぐに覚悟を決めたように顔を上げた。


(失敗するのはしょうがない。その時はその時よ!)


 そしてササハは紙の束を両手で握り込むと、目を閉じて静かに息を吐き出した。するとヒトガタに切り抜かれた紙の束は淡い光を放ち、カタカタと振動を始める。ササハは紙束を握る指を解き、両掌の上に紙束をを置くと、蛇腹に折りたたまれていた紙人形たちがパタパタと宙に伸び上がっていく。

 紙人形が最後の一枚になりササハがその一枚を掴むと、慎重に崖下に腕を伸ばし意識を集中させた。


(長さが、少し足りない)


 長い長い白の紙切れは、不安定ながらも風に飛ばされることもなく、一直線に崖下へと伸びていった。しかしあと僅かというところでそれは止まり、目的のところまでは届かなかった。

 一枚の紙人形の半分ほどの距離。ササハは地面に腹ばいになり、出来る限り腕を伸ばした。

 下手をすれば天地が逆転し、頭から水底へと向かうだろう。指先は震えだし、額からこぼれる汗が目に入り、集中力が途切れそうになる。


 ササハはこの、祖母から教わった()というものが得意ではなかった。魔法とは違う、通常の魔力を使わない不思議な力。


 祖母はこの術のことを“カタシロ“と呼んでいた。通常は紙や木片から作るらしいのだが、紙はそれなりの値段がするため、術が苦手なササハが使うのは失敗してもいい布人形ばかりだった。

 紙カタシロは単体を飛ばして連絡手段に使ったり、今のようにいくつも連ねて何かに巻きつけたり。祖母はそれを狩りで獲物を締め上げるために使用したりなど、ササハが習得しきれなかった多くの事が出来きる人だった。


(重さに、耐えられるかな)


 一番端のカタシロが、なんとか枝にかかったチェーンに届く。するりと腕の部分がそれに巻き付こうとし、ならばと前のめりになってしまった体重に、手元の土がボコリと崩れた。

 ころころと転がる小石が、眼下の闇に流されていった。


「――あ、ぶなっかたわ。落ちるかと思った」


 ササハは咄嗟にすぐ下の岩肌を掴み、心臓が浮く心地を味わった。と同時に、背後で砂を踏みしめる音が聞こえて振り返る。

 そこには、すでに去ったと思っていた青年が、何かを掴もうと片足立ちで前のめる、という奇妙なポーズで立っていた。


「――……~~~~~」

「あれ? やっぱり戻って来たの?」


 ササハは汗だくの額を拭い、腹ばいの体制のまま青年を見上げた。暗くてよく見えないが、心なしか顔が赤いように見える。

 青年は怒ったような形相になったかと思うと、ササハの腰帯を掴み、無理矢理に引っ張り起こした。ササハは投げ出されるように尻もちをつき、あいたたと尻をさすりながら青年に恨めしい目を向ける。

 僅かな月明かりを背に、青年はササハを睨みつけた。


「おれはさっき、要らないって言った」


 なんとなく視線が外せず、見上げたままの状態でカタシロが手元に戻ってくる。


「確かにそう言ってたね。でも大丈夫。気にしないで」

「気にするだろ! いい加減、本気で、落っこちるぞ!」

「落ちないように気をつけてるよ」

「このっ・・・んぁああ~~~~~~!!」

「言っておくけど、あれを拾いたいのはわたしの為だからね」

「は?」

「だって貴方、要らないって言ったでしょ。だから拾って、わたしのものにするの。高価なものだし、付いている石だけでも売れば、結構な額にもなるかも知れないじゃない」


 ほんの僅か、青年の纏う空気が冷えた。それが逆にササハには可笑しくて、つい小さな笑みを浮かべてしまう。どうやら目の前の青年は、とても嘘つきらしい。


「それが嫌なら、自分の落とし物だって主張することね」


 絶対取ってみせるから、とササハは立ち上がり腕をぶん回す。

 先程かいた汗が冷気を取り込み、冷たい雫へと変化する。中断された集中力を強引に引っ張り戻し、ゆっくりと息を吐き出していく。今度こそ――だと言うところで、青年が興味を乗せた瞳で邪魔をしてくる。


「それはなんだ? 魔道具か?」

「違うわ。違うけど、使うのがすっごく難しくて、まだ得意じゃないの」


 だから邪魔をするなと、ササハは再びカタシロに意識を集中する。体内をめぐる暖かなモノが流れ出す感覚と、なのに上手く次に繋げられず、何度も何度も同じことを繰り返す。

 少しでも距離を稼ごうと、先程のように腹ばいになる。すると背後から戸惑った、控えめな声が降ってきた。


「さ、支えてやるから、落ちるなよ」


 返事を返す前に青年はササハの横に膝を付き、腹を両手で支える。なんか支え難いと青年はベストポジションを思案し、しばらくして一緒に腹ばいになって腕を回す体制で落ち着いた。一人の時とは違う安定感に、ササハは慎重に身を乗り出した。

 するすると下りていくカタシロに、二人は同時に息を殺す。紙の腕がチェーンに巻き付くも、力が足りないのか持ち上がりはしない。


 ばーちゃんなら出来るのに。玉になった汗が輪郭を離れ地面を湿らせていく。

 上がる体温とは裏腹に指先は血の気を失い、小刻みに震えてしまう。思わず指を緩めそうになり、回された腕の力が強くなるのを感じた。

 反射的に青年を見たが、青年はササハを見てはいない。ただ、じっと眼下のお守りを見つめている。


「ふぅぅ~~~~~~んぬ!!」


 力の抜けるような掛け声と共に、一点集中。

 銀色のタリスマンが大きなカーブを描き、星空へと舞った。

 勢いに任せて釣り上げられたそれは、カタシロたちを連ね背後の茂みへと落下する。

 薄暗がりの茂みには、月明かりを反射する銀色が確かに存在していた。


「……や、やったー!!」


 飛び起きようとし、集中しすぎゆえの酸欠に目眩がし、力が入らない。僅かだけ茂みに這い寄り、カタシロを回収しながら目当てのものに手を伸ばした。

 ずっしりと、想像したよりはるかに重い。これまで軽いものならカタシロで浮かせることは出来たが、この重さのものを持ち上げることは出来なかった。

 嬉しそうに土を払い両面を撫でる。

 規則的なヘコみのある裏面には、話で聞いていた通り、名前と生年月日らしき文字が刻まれていた。


「え! この日付……今日じゃない!」


 視界に入った文字に驚き、思わず声に出す。

 すでに遅い時刻だが、まだ日付を跨ぐ程ではないはずだ。


「ノア?」


 そういえば名前を聞いていなかったなと、書かれている名前を勝手に読み青年へと振り返る。

 青年は先程居た場所から動いておらず、座った状態でササハを見ていた。


「はい、返すわ。お誕生日おめでとう、ノア」


 お互いが手を伸ばせば届く距離。

 両手でタリスマンを差し出したササハと、なぜか大きく目を見開き固まってしまった青年、ノア。

 ノアは差し出されたものを受け取ろうとはせず、ただ途方に暮れたように、タリスマンを一瞥し立ち上がった。

 と、同時に僅かな光を放ち消えてしまった。


「へ?」


 タリスマンを差し出したままの手が震え出す。


「……嘘、なんで。人が、消えた?」


 それまでノアが居た場所を見つめ、意味もなく逡巡する。落ちたわけではない。光って消えたのだ。人間が。どうやって? 普通に考えて生きている人間に、そんな芸当できるわけ――・・・。




 しばらくして、夜の山に少女の叫び声が響いた。

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