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22話 まだ秘密

 リオはこの数日、いやに眠くて仕方がなかった。

 超凶悪フェイルである《黒の賢者》が消滅した。その時の記憶は鮮明なのに、その後の記憶が飛ばし飛ばしで曖昧だった。記憶障害だとか、意識がなくなったということではなく、ただ色んな事が億劫で。思い出そうとすれば思い出せるが、忙しく動き回るレンシュラの指示に乗っかる形で、気づけば日数が経っていた。


 特に目的もなく、リオは一人でロキアの町を歩いていた。

 昨晩のうちに雨でも降ったのか、地面が僅かに湿っている。

 朝露とは違う、土の匂いが濃い細道を歩く。夜遅くまで人の通りがあったこの道も、朝の早い時間。リオ以外の人影はなかった。


 波の音がする。潮風は少しだけ強い。

 鳥の鳴き声に顔を上げ、いつの間にか町の外れまで来てしまっていた。日に焼けた赤茶の屋根に、大きな木の生えている家が見える。家の周りは封鎖されており、リオはそれを横目に見るも、足を止めること無くさらに奥へと進んでいく。

 ふらふらと、あてもなく朝の散歩を惰性で続ける。


「あ。リオだ。おはよう」


 突然、後ろから声をかけられ、驚いた表情でリオは振り返った。


「ササハ?」

「こんな朝早くにどうしたの? お散歩?」

「まあ……そんなとこかな」


 リオは立ち止まり、ササハが足を速め近くまで来る。


「もう出歩いても大丈夫なの? 体調は?」

「うん。いっぱい寝て、いっぱい食べたから。すっかり元気!」

「良かった。それで、キミも散歩?」

「そう。レンシュラさんにいっぱい心配かけちゃったみたいで、ようやく出てこれたんだー。人が増える前に色々行っとこうかなって」

「山の中には入れないよ」

「だから行けるところまで。リオも一緒に行く?」

「じゃあお供させてもらおうかな」

「うそ? ホントに??」

「何で驚くの?」

「断られると思ってた」


 そう言ってへらりと笑うササハに、リオは苦笑する。

 ササハが少し先を歩き、リオがゆったりとその後を追う。声を張らなくても届く距離。


「リオも何かあったの? レンシュラさんが元気ないって心配してた」

「そうなの? んー特には。何も?」

「そっかー。あ、見て! でっかい蜘蛛の巣! 昨日の雨ですごいことになってる」

「本当だ」

「水滴がキラキラしてキレイだけど、重さで糸が切れそう」

「触っちゃ駄目だよ」

「触らないよ。蜘蛛は怖いし、触りたくないわ」

「ふふ、なにそれ。蜘蛛苦手なの?」

「だって、リオは知らないだろうけど、山には蜘蛛とかいっぱいいるんだよ。うたた寝してた時に、何か口に入ったと思ってぺってしたら蜘蛛で」

「急に怖い話はやめて」

「だから怖いって言ってるじゃない。ちなみに食べて無いからね! ちゃんと生きてて逃げてったからね」


 嫌なことを思い出し、眉を寄せてササハは空を見る。まだ薄っすらと白い、早朝の色。すっかり落ちた気温に、羽織っていたショールの前を引き寄せた。


「あ」


 もうずっと人の住んでいない、寂れた居住区の奥。


「どうかした?」


 廃墟が途切れ、山が始まるその直前。ササハが急に立ち止まった。

 そこはレンシュラがあの子を斬ってくれた場所で、その時リオはいなかった。

 雨の匂いが強い、湿った土の上。薄っすらと向こう側が透けて視える女の霊が、未だ、ぺたりと地面に座ってそこに居た。俯いていて表情は見えない。長い髪は地面に付く前にとけて消え、細く白い両腕を地面へと突き出している。


「ササハ?」


 ふらりとササハが一歩前に進む。


「どうしたの?」


 訊いたのはササハで、相手は女の霊。突き出した両手を重ね合わせ、地面の上で山を作るように座っている。息子と一緒に消えたかと思ったが、いまだこの地にとどまっていたのか。

 母親の霊は何の反応も見せず、ただ静かに手を添えている。その不自然な姿勢に、ササハはその前にしゃがみ込み彼女の手元を覗き込んだ。


「何かあるの?」

「え、なに? いったい何としゃべってるの?」


 リオが嫌そうな声で背後に立つ。きょときょとと辺りを見渡すが、リオの目にはササハ以外、誰の姿も確認出来ない。


「ねえ、本当に何が」

「あ!」

「今度はなにぃ!?」


 ササハのすぐ後ろでリオが後ずさりし、砂利を踏みしめた音が響く。


「黒い、石? ――すっごく、綺麗」


 母親霊の手の中。地面に手をついていたのではなく、掌で囲いをつくり、守るに黒い石を覆っている。透き通るブラックダイヤモンドのような石の内では、ちらちらと赤い光が揺らめいていた。まるで炭の奥でくすぶる炎が顔を出すように。

 そんな石が、透ける手を通して見えた。


「リオ。これなんだろう」

「え? なに?」

「これ。この燃えてるみたいな、綺麗な石。中で火が燃えてるみたいなの」

「? どこ? よく分からないけど、燃えてたら危なくない? 火事になるよ」

「火事!? だめだめ、ごめんなさい。ちょっと確認してもいいですか?」


 不思議なものを見つけたと思ったのは一瞬で、ササハは慌てて手を伸ばす。女はそれを避けることも拒むこともせず、ササハの右手が女の手をすり抜け黒の石へと触れた。その瞬間。

 突風が光の花びらと共に空へと舞い上がった。


「!?」

「な――!」


 ササハは一瞬目を閉じかけたが、甘い花の香がすぐ横を掠め、追うように目を見開いた。

 空には抱き合い、笑い合う母子(ははこ)の姿。笑みを零し、額を寄せ合って涙を流している。


――ありがとう


 かすかに聞こえた女性の声。

 空から親子の姿はなくなり、舞っていた花びらも最初から存在しなかったように跡形もなく消え去った。

 バクバクと心音が速まり、ササハは何が起きたんだと咄嗟に足元にあった黒の石を探す。しかしそこには湿った大地が続くばかりで、黒の石なんてどこにも存在しなかった。


「……よく分かんないけど、良かったのかな?」


 ありがとうと笑っていたし。

 そしてふと、ササハは自身の右手に(あざ)のようなものが出来ていることに気がついた。右手の甲。丸く、植物のような蔦が図形を描き、文様にも見える不思議なそれ。「あれ?」と思った直後には消えており、目の錯覚かと両目を擦ってみた。

 何もない。


「リオ。今――え! リオ?! なんで泣いてるの?!」


 振り返ればリオは大空を見上げ、ボロボロと涙を零し音もなく泣いていた。


「サ……?」

「なに? どうしたの? なにかあった?」

「ふ……あ、は、はは。なに、なにこれ? こんな」

「リ、きゃあ!」

「ははは、あっはは」

「危な、危ない! おろして! 止まって怖いぃ!」


 急にリオがササハを持ち上げ、高い高いの状態でくるくると回りだした。不安定な体勢なのに、遠慮のない速度に、ササハは必死にリオの腕にしがみつく。頭半分ほどはリオのほうが背が高いが、鍛えているとは言え細身の体格に不安が勝る。


「ササちゃん!」

「なによ! なんなのよ! 怖いからおろしてよ!!」

「サァサちゃん♪」

「やだ、リオがおかしくなったぁ」


 何が嬉しいのか、リオは涙の名残を拭うこともせずニコニコと笑っている。純粋に怖い。

 ササハはとうとう青い顔で半泣きになり、ようやく地面へとおろしてもらえた。べそをかきながら文句を言おうとしたが、リオにきつく抱きしめられて口を閉じた。隙間なく、痛いとさえ言い出せないほどの圧迫感に、本当にどうしたのかと心配になる。


「あのね」


 ササハの肩口で、落ち着いたリオの声が届く。


「やっと思い出せた」


 懐かしそうに、それでいてどこか楽しげなリオの声。

 ササハは抱きしめられたまま身動きが取れず、せめて顔だけでもと藻掻いたが無駄に終わった。


「思い出せたって、どういうこと?」

「僕ね、小さい時の記憶が曖昧というか、ほとんど覚えてなかったんだよね。八歳より前の――ちょうど九年より前の記憶」

「そ、それってもしか」

「しぃ」


 少し腕の力が弱まったかと思うと、覗き込むリオの瞳がすぐ近くにあった。

 前髪は触れ合い、鼻の先がくっついてしまいそうな程の距離。空は晴れ渡り、明るい日差しがそこら中におりているのに、ササハはリオの作る影の中に閉じ込められている。

 目の前のハチミツ色には空の色が落ちていた。


「名前、呼んでたよね」

「名前? 誰の?」

「ササが会った、僕じゃない誰か。ノアって」

「!」

「彼がそう名乗ったの?」

「違う! ノアが自分で言ったわけじゃないの! ノアは自分の名前、知らないって……覚えてないって言ってたから、わたしが勝手にノアって呼んだだけで、だから、その……」


 ノア・リオーク。その名前は目の前の彼のものだ。


「そんな顔しないで。責めてるわけじゃないよ」

「本当?」

「本当」

「でも……」


 眉尻を下げ、窺ったリオの表情はどこか寂しげだった。

 リオは「それに、事情を知らない人が聞いても変じゃないし。むしろいいよね」と笑って見せた。自分の名前で、他の誰かを――ノアと呼んでいいと。

 スッとリオの力が抜け、拘束されていたササハは開放される。リオは背筋を戻し、だけど両手はリオと繋がれたまま。今から手遊びをするわけでもなし、この手も離せとササハが繋がった両手を微かに引いた。すると繋がったままのリオの手もついてきて、上下に揺すってみても離れる気配が全くない。


「は・な・し・てぇ~~」

「あっはっはっは。嫌でーす」

「むぃぃ! なんなの! 本当になんなのよ!」

「だって、ササはまだ僕に用があるでしょう?」

「用?」

「訊きたいこととか。あるでしょう?」


 記憶を思い出したと言うリオに、訊きたいこと。一つだけあった。


「ノアのこと何か知ってるの??」


 自分の名前も覚えていない、謎の彼。本当は性別すら分からないけれど。

 ササハはリオに詰め寄り、リオもにっこにこの笑顔で迎えてくれる。


「知りたい! 教えて! ノアは、あの子は誰?」

「ふふ。言ーわない。秘密ー♪」

「は?」


 本気の低い声が出た。


「へ? ええ、なんで? だって、今、リオが自分から訊けって」

「でも、まだ内緒。教えてあーげない」

「は……はあ???? なにそれ!」

「ごめんね」

「ふぅんうぬぬぬぅ!!」

「ごめんってばー。そんな顔しないでよう。あーあ、ほっぺが凄いことに」

「触らないで! 馬鹿! リオなんて嫌い! 大っ嫌いなんだから!!」

「怒らない怒らない。ほら、高いたかーい」

「いやぁーー! おろしてーー!!」


 ササハは本気で怒ったし、本気で嫌がった。けれどリオには敵わなかった。


 風が吹いて雲が流れる。人の気配が動き出し、()もなくこの場所にも人がやってくるだろう。

 唐突なリオの悪ふざけ。ササハにリオの暴挙を止める事は出来ず、文字通り散々に振り回された。病み上がりの人間に対する非道な行いは、この後やってきたレンシュラによる本気の拳骨と、怒涛の説教を食らうまで続いた。

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