21話 あれやこれ
空が白み始めたころ、ロキアの町にある一軒しかない診療所。
レンシュラは音を立てぬよう中へと入る。まともに休息もとれていなかったが、今は身体を休めるより優先させたい事があった。
二階建ての手狭な診療所。少し耳が遠くなってきた老医師と、跡継ぎの息子夫婦が細々と続けている。建物が自宅と併設しており、この時間にはまだ誰も診療所の方へは出て来てはいない。
本来ならば出入りできない時間帯のところを、レンシュラは無理を言って出入りさせてもらっている。
現在ロキアの町は、事は荒らげず迅速に、しかし僅かの取りこぼしも無いよう徹底的にをモットーに、調査だ逮捕だので大忙しだった。
レンシュラは足音を殺しながらも、迷いなく二階の一室を目指す。
何か食べるものでも持ってくれば良かったかと思いながらも、手土産の送り主は眠ったままで結局何度も無駄にした。やることは山積みで、本当は用意してもらった部屋で少しでも休んだほうが良いのだが、もしかしたら目を覚ましたかも知れないと足を運んでしまう。
あの日、黒い異形を前に何も出来ず、何が起こったのかすら分からなかった。
近くにいた。側にいた。非力で無力な一般人で、武器も戦う術も持ってない、守ってあげなければいけない少女だった。
関係ないと、関わらせまいと情報を絞った。危険だからと詳細は教えなかった。油断していた。慢心だった。いざとなれば守ってやればいいなどと、及ばぬ力に遭遇し、ようやっと己の浅はかさを思い知らされた。
そう、重苦しい動作で扉を開けた。
「あ、レンシュラさん。おはようございます」
ハサミと布の切れ端を持っているササハが出迎えた。
「……お、お前」
「? そうだ! わたしの荷物ありがとうございます。暇だったんで今、カタシロ量産してるとこなんです。あ、ノアは少し前に寝ちゃいました」
なぜかササハがいるほうのベッドを占領し、リオが両手を広げ寝むっている。残りの空いたスペースにササハは腰掛けており、レンシュラは一瞬の硬直のあとものすごいスピードでササハとの距離を詰めた。
「大丈夫なのか?」
「わたしですか? はい、元気です!」
「ひどい熱が出ていた。……痛いところや、苦しいところはないのか?」
「全然。なんともないですよ」
「だが」
「だから大丈夫ですってば! ほら、ね」
「………………そうか」
ササハが元気元気と、両腕を顔の横で上下する。それを見て、レンシュラはようやく肩の力を抜いた。ベッドから足を下ろしているササハの前に膝をつく。腕をとって脈を測ってみたり、額に手を当ててみたり。ササハの少し汗ばんでいる前髪を掻き上げて、顔色が戻っていることに表情が自然と緩んだ。
ササハもつられて笑顔になった。
「今日って何日ですか? わたしどれくらい寝てました?」
「お前が倒れてから二日経ってる。今日は二十日だ」
「忙しかったんですか? 何だか疲れてる」
「これくらい平気だ」
顔を見合わせササハの眉が下がる。レンシュラの顔色は読み取れなかったが、僅かに充血した目が疲労を物語っていた。
「レンシュラさんも、ちゃんと休んでくださいね」
リオがタイミングよく寝息を立てた。
「十分休んでいる」
「嘘だぁー」
「それより腹は減ってないか? 何か食べたいものは?」
「ベタベタするからお風呂に入りたいです」
「それはもっと回復してからだ」
「またお湯沸かしてくれます?」
「いくらでも」
差し込む日差しが強くなっていく。潮風が大きく入り込み、一階から老医師が出勤してきた物音が聞こえ出す。
「やっぱり、まだ少し頭がぼうっとします」
「もう少しだけ寝ていろ。そっちの馬鹿はどかしてやる」
「また後でお話できますか? 色々、どうなったのか」
「ああ。説明してやる」
「あと……あと。夢でお母さんとお父さんに会いました。会って、お別れしました」
「そ………………」
「もし、レンシュラさんの知っている人たちなら、教えてほしいです。両親のこと」
ササハがへらりと笑う。
「お願いしますね」
レンシュラが少しだけ、泣きそうな顔をした。
その日の夕方には、ササハはすっかり調子を取り戻した。
外傷はかさぶたになり、熱もすっかり下った。ただ、ルーベンに絞められた首の痣だけがなかなか消えず、もう二日ほどは念の為入院することになった。診療所の方も通院患者はいても、入院用のベッド使用率はごく僅からしく、いくらでもという感じであった。
町のほうでは行方不明者騒動に領主からの調査が入り、別件――フェイルの事でレンシュラもリオも忙しいようだった。レンシュラ曰く、行方不明者騒動は違法薬物の売買組織による復職、だったと聞かされた。
逮捕者は計十名。違法薬物の運搬をメインとし、その傍ら手頃な人間を拉致して売りさばく。その拉致、人身売買を主に行っていたのが宿屋の店主で、隣のめし屋と情報を集めたり、宿に泊まる観光客の食事に薬を盛ったりなどもしていたらしい。特に単身の旅人や、他所からの観光客がターゲットになっていたそうだ。
また、買い手のつきにくい者や、騒ぎそうな身内など、邪魔だと判断した人物を『処理屋』と名乗る人物に依頼し、秘密裏に処分もしていた。
その処理屋こそがルーベンという名の男で、彼は彼で無差別に人を殺しては金品を奪って生計を立てていた。しかし、そのルーベンと言う処理屋の行方は現在不明。――と公の調査結果ではそう報告されているらしい。
「ルーベンさんのこと……、というか、フェイルのことって発表されないんですか?」
「報告はするが公表はされないだろうな。ここの領主にもどう伝えるかは……ラント様次第だ」
「ラント様?」
「――、お前の叔父にあたる方だ」
この二日の間、ササハとレンシュラは出来る限り話をした。
ササハが夢で会った二人の男女。その男女はやはりレンシュラの探していた人物で、十年前に結婚を反対されて家を出た貴族の次男坊とその恋人である女性。そして二人の間に産まれた、今年で九つになるはずの子供。
「お前、九歳だったんだな」
「違……違わな? いいえ、違います! わたし十六です!」
父の名はゼメア・カルアン。母の名はカエデ。祖母だった時は偽名を使っていたので、ササハにとっても驚きの事実だった。
「フェイルの中には呪いを使う特殊個体がいる。中でも五体の呪いは強力で、あの日、髑髏の山に埋もれていたのがその一体だ。個体名は《黒の賢者》。人体の成長を操作し、端的に言えば老いさせる。そして最後には骨だけが残る……。まあ、その呪いの内容は今回の調査で判明したんだがな」
「そんなのがあと四人もいるんですか?」
「そうだ。うち一体は前にも簡単に話したが」
「あ! 前に言ってた、フェイルを増やせる親玉ってやつですよね?」
レンシュラが頷く。
「フェイルは公表はされてはいないが、貴族の間ではそれなりに周知されている。その中でもカルアンはフェイルに対抗するため、王家と神殿より特殊軍事権を認められた四家のうちの一つだ」
「カルアン家って、最初聞いた時驚きましたけど、わたしでも名前をきいたことがあるくらいの有名貴族じゃないですか」
「東部のまとめ役だからな。……まあ、今は東部のフェイル担当一族とでも思っておけ。後で嫌でも勉強させられる」
「なんでですか?」
「お前もカルアン家の血縁者だからだ」
「・・・」
何の自覚も湧かないと、ササハの顔に書いてある。
しかし夢の話をレンシュラにした時、その人はササハの両親で間違いないと、悲しそうな表情で言われた。
そして父と母が、どうしてああなったかも教えてくれた。
「半分はお前が見た夢からの推測だが、ゼメアさんは九年前。何らかの理由でロキアに現れた《黒の賢者》と遭遇し、命がけで封印を行ったんだと思う」
《黒の賢者》は本来であれば、カルアンの管轄する領土内に封印されているはずであった。それが何らかの理由で封印が破れ、ロキアまで逃れて来た。偶然か、必然か。事実は分からないが、封印が解かれた《黒の賢者》と居合わせたゼメアは命を落とし、カエデとササハは呪いに触れておかしな成長の仕方をしてしまった。
「ばーちゃ……お母さんが毎年ロキアに行っていたのって」
「封印が解けていないか、様子を見に来ていたんだろうな。封印場所まで行かなくとも、町の近くまで行けば封印が弱まっているかくらいは把握できるだろうから」
種の状態の、黒いあの子も言っていた。ちょっとずつしか町に近づけないと。それは最近の話ではなく、長い年数をかけていたのだろう。
そして運悪くカエデはルーベンに襲われた。しかもルーベンはあの場所をずっと昔から把握しており――
「あの男が死体処理のため利用していたんだろうな。そのせいでゼメアさんの封印が弱まったのか……関係は無いかも知れないが」
「お母さんが誰か迷い込まないように道を隠してたけど術も絶対じゃないから……。たまたまあの人が見つけて、他の人には隠せてしまってたんでしょうか?」
「あの男はフェイルと強い縁があった。その影響もあって、カエデさんの術をすり抜けたのかも知れない」
今となっては確かめようの無いことだ。
「カエデさんはおそらく、《黒の賢者》の封印に近づく人間がいるなんて思わなかったんだろう。封印に異変を感じ、確認のため町に入りそこで……」
ルーベンに見つかり襲われた。
「カエデさんは……」
言いかけてレンシュラは言葉を切る。一つだけ、どうしても納得出来ないことがあった。
なぜ九年前のその日、カエデは《黒の賢者》の存在を一人で抱え込み隠してしまったのか。
少なくとも匿名ででも報せてくれていれば、娘と二人、知らぬ土地で暮らしていられたかも知れないのに。
「…………んぁぁぁーーーー!」
ササハは奇声を発しベッドへと寝転がる。
レンシュラの顔を見ないよう僅かに視線を下げ、差し込む光と影を眺める。
沢山人が死んだ。沢山の骸骨が、未だなお家族の元に帰れず残っているらしい。子供も、大人も。老若男女関係なく、老化しおかしな成長を遂げた判別し難い髑髏たち。唯一の手がかりは衣類や装飾品だけ。それぐらいしか残っていなかった。
「レンシュラさん。リオは?」
「アイツは駄目だ。今は使い物にならん」
ササハが目覚めてから最初の日以降。リオはササハの前に現れなかった。
「なぜかひどく落ち込んでいる」
「何かあったんですか?」
「さあ。知らん」
レンシュラも家との連絡と、現場でのやり取りでそれどころではない。
たぶん、ササハが誘拐事件に関わっていなければカルアンはその件には口を挟まなかっただろうなと、レンシュラは一人胸中に落とす。目の前の娘は、今後どう扱われるのだろうか。
「明日には退院ですよね?」
「……もう少し休んでいても」
「もう十分休みました。外、出たい」
「…………」
レンシュラはしぶい表情で眉間にシワを寄せた。




