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1話 ササハ

 お気に入りの木の上。ササハは朝露の匂いが立ちこめる中、大きく深呼吸し辺りを見渡した。


 届く野鳥の声はかしましく、それに合わせるように山の色彩も徐々に明るさを取り戻していく。

 過ぎる風は夜の冷気を僅かに残し、ササハの艷やかな髪をしとりと撫で付ける。山の終わりからは民家が広がり、そのどれからも、まだ生活の煙は上がっていない。


 昼間とも、夜とも違う静けさと温度。ササハは大きく伸びをすると、もう一度だけ深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。今足場にしている木も、ササハが何度も上り下りしているせいか、他の木と比べて少しだけ手触りが変わってしまった気がする。

 放っておけばいつまでもこうして居られるが、それでは駄目だと目を細めて遠くを見る。確認したのは全部で三箇所。

 数日前から仕込んでおいた罠は全て――仕掛けた時のまま、獲物が近づいた形跡すらなかった。


「場所が悪かったかな? ……ばーちゃんなら、()()()()でいい場所も見つけられるのに」


 深いため息をつき肩を落とす。罠を回収するにも気が乗らない。

 足場にしていた枝に両手をかけ、するりと身を曲げる。自身の倍以上もある高さから飛び降り、軽い足取りで、ササハは山の傾斜を(くだ)っていった。

 過ぎる冷気は強く速い。このあとは家に戻り、畑の手入れをして朝食だ。

 ふた(つき)前までは祖母と二人で行っていた日課。今はササハ一人。


「さあ、今日も路銀稼ぎ頑張ろぅ!」


 返事が貰えなくなってから、増えてしまった独り言。ササハは器用に右腕を上げながら、でこぼこ道の段差を飛び越えた。






――“じゃあ行ってくるね。明日の夜、遅くても明後日までには戻るから“

 二ヶ月前、唯一の肉親である祖母は、そう言って家を出た。

 六十を過ぎたばかりの祖母は、年齢によらず身軽な上に好奇心旺盛。可愛いもの好きの明るい性格の持ち主だ。趣味は裁縫で、着れなくなった服や布を再利用し、別の服や日用品などに作り変えるのが得意だった。


「ササハ。これもお願いね」

「はーい」


 朝の日課を終えたササハは、村に一軒だけある宿屋に来ていた。

 ササハの家はアジェ村という農村近くの山中(やまなか)にあり、村人も滅多に近寄らない山だが、ササハはそこで祖母と二人、慎ましく暮らしていた。


 農村といっても、遠く離れた町との中間くらいにあるため、三日に一度、乗合馬車の立ち寄り拠点にもなっていた。そのせいか小さな農村ではあるが、食事処を兼ねた宿屋が一軒だけ出来た。

 その宿屋を営むのは三十すぎの女主人で、器量良しの彼女は、定期的に立ち寄る商人たちの間でも人気なのだとか。


 そんな人気者の女主人の宿で、ササハは昼食の準備を手伝っていた。

 女主人は芋の入った麻袋を片手で持ち上げると、ササハから斜め前の席に横向きに腰掛ける。


「聞いて女将さん。もうすぐ、目標額までお金が貯まりそうなの」


 ピクリ、と女主人の肩が揺れた。


「今日もこのあと、ハンスじーちゃん家に仕事に行くんだ」

「仕事って……、ササハ」

「ん? ――なあに、女将さん?」


 ショリショリと芋を剥く音が止み、ササハは顔を上げた。

 いつの間にか手を止めていた女主人と目が合い、ササハの手も止まる。


「女将さん?」

「アンタ結婚しな」


 発せられた言葉は唐突で、意味を理解するのに手間取った。


「けっこ…………え? 結婚?!」

「そう。結婚」

「ぁ、え? なに、急にどうしたの? 結婚て……。そもそも相手もいないのに、なん」

「結婚して、所帯を持って、真っ当な生活をするんだ」


 どこか突き放すような声音に、ササハはムッと唇を尖らせる。


「真っ当な生活って、わたしはそうじゃ無いとでも言うの?」


 ササハは正面から女主人を見返し、だが、逆に女主人の真摯な双眸にたじろいでしまった。


「そうだよ。アンタは出来てない。何も分かっちゃいない。年頃の娘が狩りの真似事して、村人どうしで金をせびって? こんな小さな村、どこに人を雇う余裕があるんだい? 皆、一人残されたアンタが気の毒で、無理に仕事だって言ってくれてるんだ」

「そ、……」

「シュリンさんを探しに行く為の路銀だって? もう二ヶ月だ。いい加減現実を見なよ。シュリンさんは――アンタのばあさんは、もう帰って来やしないよ」

「そんな事ない!」


 ササハは勢いよく立ち上がり、反動で椅子が後ろに倒れた。


「ばーちゃんは、絶対に帰ってくるもん」


 目頭に熱を感じ、慌てて拭う。

 転がった椅子もそのままに、ササハは宿屋を飛び出した。途中、女主人の引き止める声が聞こえたが、速度を上げて振り切った。

 いつもなら食事の手伝いの後、女主人は三人分の昼食を作ってくれる。ササハは二人分を持ち帰り、祖母と一緒に食べていた。

 祖母がいた二ヶ月前までは。


 祖母は夏の終わりが近づくこの季節、決まってとある町に出かけて行った。

 ロキアと言う名の港町。ササハの住む村から馬車を乗り継ぎ、片道五日ほどかかる距離。何度聞いても、誰が聞いても、祖母はその町を訪れる理由を教えてはくれなかった。

 毎年、一度。必ず祖母はその町へ向かう。馬車で往復十日の道のりを、きっちり十日で戻ってくるのだ。町での滞在時間など、いったいどれ程だと言うのだろうか。


 そして今年もまた、祖母はロキアに旅立った。ほぼ移動しかしていないだろう旅に。いつものことだった。なのに今年は、連絡も報せもないまま行方が分からなくなった。


 ササハは夢中で走り、無意識にたどり着いた場所で足を止めた。

 着いた場所は村の入口。たまに行き交う馬車が立ち寄る場所。祖母が戻って来た時に、一番に報せが来る場所だ。


(そうだ。ハンスじーちゃんとの約束)


 そこから右手の奥まった所には、老夫婦が住む家がある。老夫婦は家畜の飼育の他に、出入りの馬車の休憩所をして収入を得ていた。そして今日ササハが頼まれた仕事は、そこの動物たちの世話をすることだった。


(約束は昼の馬車が来てからだから、今行っても意味ない。けど――)


 先程の女主人の言葉が、どうしたって気になる。

 少し話をしてみようかと。本当に迷惑になっていたのなら申し訳ない事だと、重い息を吐き出し戸口へと近づいて行く。

 日も昇り、気温が上がったためか、木製の扉は半分ほど開いていた。


「おまえさん、またあの子に仕事を頼んだんだって? いい加減にしておくれよ」


 機嫌の悪そうな強めの声が、ササハの耳にも届く。


「うちだって余裕なんて無いんだよ。……まったく、知らない間に勝手な約束して。今日来ても何とか断っておくれよ」

「でも、なあ。可哀相じゃないか」


 どくんと心臓が脈打ち、耳鳴りがした。

 外開きの扉のせいで中の様子は見えないが、(けん)を含んだ声は未だに夫を非難し続ける。

 音は立てなかった。呼吸音すら漏らさず、ササハは静かに気配を殺してこの場から逃げ去った。

 帰り道は覚えていない。気づいたら自分の家まで戻り、入り口の扉を背にへたり込んでいた。






――”ありゃりゃ。まぁた、こんなところで~。寝るならベッドへ行きな。ばーちゃんもう、おんぶも抱っこもしてやれないよ”


 扉が開く音と同時に、嗅ぎなれた土と薬草、あとは沢山の陽の匂いが冷たい室内に流れ込んだ。


――”ほら、お土産。髪飾り。職人さんの一点物だって。ばーちゃんとお揃い~。ん? 一点物なのにお揃いなのかって? 手作りだったら全部一点物ってことじゃないのかい? わかんないけどさ! それよりさ、ここ。この(かんざし)みたいなの、(はし)そっくりだろ! ばーちゃん笑っちゃった! ちょうど二本あるし、いざと言う時に、え! ササ箸知らなかったけ? 武器? そうだね。いざという時は、そういう使い方も出来なくはない。で、箸って言うのは――……”


 ふ、と意識が途切れ、ササハが目を覚ますと室内はすっかり薄暗くなっていた。

 テーブルに突っ伏していた身体は重く、窓でも開いているのかやけに肌寒い。無意識に髪に手をやり、去年土産でもらった髪留めをさすり、ササハは夢を見ていた事を理解した。


 山の中にある、祖母と二人暮らしの家。四人は座れる大きめのテーブルは、祖母が薬草やら何やらを煎じるためである。家の入口からはすぐにダイニングへと繋がっており、薄く開いた窓からは、沈みかけの夕日がかろうじて差し込んでいた。


 何の連絡もせず、仕事も、情も無碍にした。

 だらりと重い身体を丸めれば、かけられていた上着が床にずり落ちた。


「え?」


 記憶にない、見知らぬ上着。

 ササハは上着を拾って立ち上がり、薄暗い室内にポツリと灯る明かりに気がついた。そして、その側に腰を降ろしていた人物が、勢いよく立ち上がるのを見た。


「あ、ササハ起きた? えーと、ボク……あ! その、勝手に入ってごめん! 父さんが女将さんのところに用事があって、そしたら女将さんがササハが元気ないって、ここの家の鍵貸してくれて、それでっ」

「……ヨーク?」


 そう早口に捲し立てるのは、隣町に住む幼馴染であった。

 商家の跡取り息子で、姉ばかり三人いる末っ子長男。彼の家は村への運搬業も請け負っており、父親の付き添いで村に来るうちに知り合った。

 いつも父親の後ろに隠れている、引っ込み思案の大人しい男だ。外に出る遊びよりも、ルールのややこしいボードゲームをやりたがる。ササハは外で遊びたくとも、祖母以外の大人は大抵彼の味方をした。


 ヨークは何故か気恥ずかしそうにしており、右手には赤い組紐(くみひも)が結ばれている鍵を握っている。その鍵はこの家の合鍵で、宿屋の女主人に預けていたものだ。

 かかっていた上着はおそらくヨークの物で、ササハは礼を言って返した。

 日が急速に傾いていく。部屋の暗がりは増し、不愉快な寒さが広がった。


「ずっと待ってたの? 起こしてくれたら良かったのに」

「よく寝てたから悪いかなって」

「気にしなくていいのに。――――それで? 今日はどうしたの?」

「え、えーと、その……女将さんから、何か聞いてない?」

「女将さん? ううん、何も」


 ササハが首を横に振ると、ヨークは残念そうに腕をさすった。


「その、ササハはこれからどうするの? 仕事とか、住む場所も、こんな場所に女の子一人じゃ危ないし。だから、それだったら、隣町(こっち)に引っ越したほうが良いんじゃないかって皆言ってるみたいだけど……」

「平気よ。今までも何とかやってこれたし」

「でも、独りぼっちで大変じゃないか」

「独りじゃない。ばーちゃんがいるし」

「え……」


 思いもよらない返答だったのか、ヨークは僅かに驚き、すぐ悲しそうに眉根を寄せた。そして、やたらと優しい声音でササハの名を呼び、励ますようにササハの両手を取り握った。


「おばあちゃんのことは残念だったけど、無理しなくていいんだよ」

「なに? 残念って――――」


 辛かったんだね。分かるよ。と慈愛の目を向けられて、しばし言葉を失った。


「なに言って……!」


 ササハは顔を赤くし、ヨークの手を振り払う。ヨークは一瞬ぽかんと呆けていたが、先程よりも更に表情を歪め、悲しそうに語りだした。目にはうっすら涙さえ浮かんでいる。


「ササハだって、本当は分かっているんだよね。ただ受け入れられないだけ。呪われた町って――人が消える町って、君のおばあちゃんはそんな噂があるところに行って、二ヶ月経っても帰って来ない。……それが一体どういう事なのか、理解しなきゃいけないのに心が追いついてない」


 まるで聞き分けのない子供を諭すようにヨークは続ける。


「でも、いつまでも悲しんでるだけじゃ駄目だ。受け入れて、前を向かなきゃ。おばあちゃんだってきっと悲しむよ? ――違う?」


 煩いやめろと、怒鳴ってやりたかったが声は出ず、ササハは小さく首を横に振ることしか出来なかった。終いには涙までこぼれ落ち、悔しいのに、見られたくないのに、止めることが出来ない。

 ヨークはその涙をどう解釈したのか、両手を伸ばしササハを抱き寄せた。


「大丈夫だよ。ボクがいるから。大丈夫、泣かないでササハ」


 喉がひりついて、頭の奥が焼けるように痛む。

 励ましの言葉とは裏腹に、どこか悦が滲んだヨークの声音に、今すぐにでもその口を塞いでやりたくてたまらなかった。実際そうしようと思えば、方法はいくらでもある。だが、これ以上誰の迷惑にもなりたくなかった。

 ヨークが持つ、赤い組紐にぶら下がる鍵を睨みつけ、唇を噛みしめる。


「ぉ、ねがい。一人に、して」


 か細い声は相手に届き、ヨークは「分かった」と微笑みながら頷いた。目を合わせることは出来なかったが、涙は拭い、なんとか笑い返して家の外へと見送った。


 途端、足の力が抜け、下手くそに息を吸った。

 手足は震え、立ち上がりたくともしばらくは叶いそうにない。せめてもの抵抗に、止まらぬ嗚咽を無理に手の平に吸い込ませた。









 次の日の早朝。日も昇らぬ夜の続きの内に、ササハは村を出た。

 全財産と最低限の荷物だけを持ち。村の仲間に乞うて貯めていた路銀はどうしたって使える気がせず、書き置きとともに置いてきた。そもそもの路銀集めも、前にササハが祖母を迎えに行くと言った時に、女主人が「先立つものもないのに無謀」だと、たしなめられたのがきっかけだった。


 誰にも、何も言わず、礼も別れもしなかった。

 かろうじて村が見える辺りまで駆けて、ようやく――――足を止めて振り返った。そして深く深く頭を下げ、今度はゆっくりと歩き出した。

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