8話 探す
「ぅう……もう、全然さっぱりだぁ~」
神殿で過ごすこと七日。ササハは本と紙束だらけのテーブルに突っ伏す。真向かいの席ではミアがランランと目を輝かせ本を読んでいるが、隠しきれない疲労が目下の隈から窺えた。
文字の追い過ぎで霞む目をきつく閉じ、ササハは突っ伏した状態で肩を落とす。リオーク家で呪具を壊した時のような力技は、かけられている魔法や術によって影響が異なるかも知れないので、まずは正攻法で解けないか試してからにしようという事になった。
そして正攻法を試そうとしたところ――――――魔法ではなく術の正しい解き方を知っている者などいない事に気がついたのである。
ササハが見たこれまでの術というものは、すべて母であるカエデが行ったもので、解いても術者本人が、というパターンであった。あとはお札など物体として存在するものは、破るなどして破棄していた。
「やっぱりここは物理の力で」
「通常の人には見えない・触れない・浮かんでる、なんてものに効く物理ってなによ?」
ササハの独り言に、ミアが的確に突っ込む。それに答えなど持ち合わせていないササハは、分かりません……と、しょんぼりする。
「だって、だってだって無茶だよ! 海向こうの国の文字って何千年とか、ずっとずっと昔から沢山あるらしいのにそれを全部調べて理解するだなんてっ!! このままじゃ文字の勉強をしてるだけでおばあちゃんになっちゃうよ!」
「大丈夫よ。せいぜいおばさん止まりよ」
「気が長すぎるよぉ!!」
現在ササハたちが呪文解呪のため行っているのが――――魔法陣の解除方法を参考に、呪文の解呪も出来ないかということ。通常、魔法は術者本人が放つものと、魔道具や呪具など何かしらの対象物に魔法陣を刻み発動させる二通りが存在する。今回の呪文解除も、状況としては魔法陣と似たようなものであると仮定してみる事にしたのだ。
魔法陣解除を術者以外が無理やり行う場合、術式の解析を行い、手を加えられる隙を見つけるのが一番安全な方法である。解析が成功すれば術式の書き換えや、魔力の差し込みで術式自体を歪ませる事が出来る。しかし無作為に行うと暴走を引き起こし、予測もつかない危険が発生してしまう可能性がある。
そのため呪文の解析を行い、しかし解析のためにはそもそもの正しい文字・単語を理解していなければならず、結果勉強を通り越しての研究のようになってしまっている――――というのが現状であった。
無学から始まり、ある程度の知識が入るとあまりに遠い道のりを知り、なんと無謀なことをしているのかと今更実感が湧いてきたのだ。
不安に表情を曇らせるササハに、ミアが今度は真剣な眼差しを向けた。
「でも、他に方法もないし、ササハの言う力技? は前に試して無理だったじゃない」
「それを言われるとっ!!」
そう、神殿に来て三日目の夜、リオーク家でやった呪具の破壊と同様に、魔力の塊をぶつけるという力技を試すことは試したのである。
「けど、神殿では危ないからって全力は出してないし」
流石にぶっ倒れるほどの一撃をいきなりお見舞いすることは憚れ、徐々にぶつける魔力量を増やして――と試してみたが、七割程度の魔力量をぶつけてみたところでササハが全力を出したところで難しいのでは? と予測がついてしまった。
なにより過剰な魔力放出など、身体の負担を考えると何度も行うことではない。
「一度だけでも全力を試してみないと……反対されるなら夜中に一人で」
「声に出てるわよ」
「聞こえてないフリして!!」
「どうしてもって言うなら、シラー先輩の許可をもぎ取りなさい」
「危ないから絶対駄目って言われちゃう!!!」
「なら残念ね。諦めなさい」
「むうーーーーーー!」
無謀を犯さなければ得られぬモノもあると言うのに。心配から眉を寄せるレンシュラの顔を思い返し、ササハはうだうだ不満を体現するしかなかった。
その時、テーブルに頭を乗せていただけのササハの首元で、下げていたチェーンが首筋を撫でた。チェーンの先には自身の特殊魔具と、母が使用していた特殊魔具が通してある。
(そう言えば――――)
どれくらい前だったか、まだ母と二人村で暮らしていた頃。カエデがお札を作成しているのを横で見ていた時だ。
「そうだ! 確かあの時!!」
「わ、え? なに!? 急に立ち上がらないでよ」
「ミア、試したいことが出来たの! 手伝って!」
「へ???」
困惑するミアの手を取り、返事を待たずに部屋を飛び出した。
「うぅん。やっぱり神官様でも、海向こうの文字は読めないんだな」
神殿の建物を繋ぐ簡易屋根の廊下。今日は日差しが強いためか、和らいだ風が吹き抜け、何冊かの本を持ったノアは外の景色に興味を取られる。そのすぐ後ろをレンシュラが歩いているが、彼もやや疲れたように空の青さへと目をやった。
ノアがちらりとレンシュラを振り返り、何も言われなかったため通路から外へと一歩踏み出した。温かな日差しの下で、気分転換がしたくなったのだ。お咎めの言葉が続かなかったことに更に歩を進め、身体をほぐすように大きく伸びをした。
「わはは、すっげーいい天気な」
「本を落とすなよ」
言いながらこちらへ寄越せと手を出すレンシュラに、落とさねーよと反抗してみる。
「ササハもミアもすげーよな。難しい本いっぱい読んで、ずっと調べ物してくれてる」
ノアとレンシュラも呪文の解呪のため文字の解読を試みてはいたのだが、如何せん大人しく机に齧りついている状況が耐えられなかった。なので二人のお役目は資料の整理などの荷運び、時折ケイレヴを探しに出かけたり、神官の中に海向こうについて詳しい人物がいないか探してみたりすることだった。
レンシュラも日差しの中へと降り立ち、ぶんぶんと腕を振りながら身体を動かしているノアを眺める。
「未練はないのか」
レンシュラが訊いた。唐突に、何の脈絡もなく。
「――――なにが?」
「兄に身体を譲りたいんだろう」
それはつまり、ノアにとっては死を意味することになる。
ノアはレンシュラを振り返ることが出来なかった。
「…………だから、なんだよ。別にいいだろ」
「よくは――――」
ないだろうと続けたかったが、何故かその言葉は出なかった。今レンシュラの目の前にいる青年は見た目に反して幼く、彼もまた失った時間が多い子供であった。
「何か、やりたいこととか無いのか?」
上手いことが言えず、思春期の父子かと思うような事を訊いてしまう。お互いどうした急にと奇妙な空気が流れたが、レンシュラはめげずに口を開いた。
「好きなものとか、欲しいものとかあるだろ? ないなら作れ」
「お前今日おかしいぞ。熱でもあるんじゃないか」
「うるさいお前のせいだ」
「はあ???」
イラッとした様子の声が返る。
「ササハは?」
名を出したレンシュラに、ノアがビクリと固まる。
「ササハはお前が思っているよりずっと、お前のことを大切に思っている」
「………………」
ノアは答えない。答えられなかった。
少しの沈黙が続いた後、俯いて動かなくなったノアに今はここまでかと息を吐き出し、それと同時に二人を呼ぶ声も届いた。
「あ、いたいたー。ノアー、レンシュラさーん!」
建物の扉から顔を覗かせたササハが、二人の姿を見つけるなり手を振り駆け寄ってきた。
「ちょっと試したいことが出来たんです! なので手伝ってください!」
「「??」」
手を振る反対側の手には、ほぼほぼ引きずられているミア。
「走らないで! だから、走るなって言ってるでしょ!」
「痛っ! カドっ、ミア、今本の角で殴った!」
「あんたが無理やりするからでしょ!」
「うわん、ごめん!」
本を振り上げ威嚇されているササハに、これまでの居心地の悪さが吹き飛んでいった。




