5話 山積みで沈みがち
神殿で案内された部屋には、宿屋に預けていた荷物がきっちり置かれていた。
「うわあ、広い!」
室内の広さは十分で、テーブルやらベッドといった家具も揃っている。
「ベッドもでけぇな! おれ窓側が良い!」
「ならわたしは」
「待ちなさいよ! 左右で二台ずつに別れてるんだから、男女別にするべきでしょ! だからササハはあたしと反対側よ!」
「そっか、分かった!」
「すげー。ふかふかだ!」
一目散にベッドへと走る二名に、レンシュラは頭痛を耐えるように渋面を作る。そもそも本当に神殿に泊まるつもりなのかと、いや荷物の移動まで勝手ができるなら拒んだところでかと一人唸り自己完結する。念の為、部屋や持ち込まれた荷物に細工がされていないか確認しなければと思いながら、重い足取りで中へ踏み入った。
「やめろ、埃が舞うし寝台が痛む」
「! ……ごめんなさい」
ベッドの弾み具合にはしゃいでいたノアに注意をすると、驚きの表情を向けられ素直な謝罪が返される。しかしその言葉は反省から出たと言うよりも、子供が大人の顔色を窺うような節があった。
こんな時、レンシュラは堪らなく嫌な気持ちになる。自分では何気ない言葉であっても、ノアは想像以上にその一言を真面目に受け止める。その様があまりにも以前の彼とは違っていて、それがまだレンシュラの中では上手く消化しきれておらず無意識に違うと感じてしまうのだ。
(煩わしい…………)
レンシュラはそんな思考をしてしまう自身に対しため息を吐き、なのに勘違いでもしたのか、ノアの肩がビクリと跳ねて彼の空色の瞳は逃げるように下へと向かう。
「いや、今のは違うからな」
「?」
「怒っている訳ではないから」
「うん……」
「…………」
「…………」
しょげている様子ではないが、すっと大人しくなったノア。レンシュラは何よりもそうさせてしまう己自身が疎ましく、煩わしかった。
しん、と静かになった男二人に、ササハとミアは一つのベッドに集まり小声で話す。
「なに? あの二人喧嘩でもしたの?」
「んー、喧嘩じゃないけど、レンシュラさんはリオに怒ってるのに、ちゃんと怒らせて貰えなかったことに更に怒ってるし落ち込んでるみたいなの」
「なにそれ? どういう意味??」
「色々あったのよ」
「???」
ミアは少し気にした様子を見せたが、自分から深く追求するつもりはないらしく、すぐに話題を切りかえた。
「まあ、あたしが首を突っ込むような話じゃ無さそうだし、それよりこっちよ」
「うん?」
「さっき書き写した呪文、解呪しないといけないでしょ? そのためにもまずは古文字の解読、そのための資料集め――大神官様からの依頼なんだから、中央神殿が管理している秘蔵書物だって見せてもらえるかも知れないじゃない!? うだうだモジモジしている暇なんてないわよ!!」
「そ、そうだね」
やる気のミアが立ち上がり、それにレンシュラが待ったをかけた。
「まずは安全確認。各自すぐに自分の荷物に異常がないか確認しろ」
「「「はーい」」」
同じ言葉を返しながらも声音は三者三様に異なり、ササハは元気に、ノアは少しだけ面倒そうに、出鼻を挫かれたミアは至極残念そうに肩を落としながら言った。
「つ、疲れた……どこ探してもいねーんだけど・・・ちょっと休憩・・・」
すっかり疲れ切った様子のノアが、出て行く時は一緒だったレンシュラを伴わず一人で帰ってきた。
「大丈夫、お水いる?」
「ほしいー」
ミアと一緒にテーブルに積まれた書物の山と格闘していたササハが、ベッドに突っ伏したノアに飲水を差し出しに立ち上がる。
約一刻前、神殿所有図書の閲覧許可は簡単におりたため、四人は揃って保管室へと向かった。殆どが目当ての物ではなかったが、それでもいくらか関係がありそうな書物を見つけ、根こそぎ持ち出してきた。
その後ササハとミアは部屋に残り書物を読み漁り、レンシュラとノアはケイレヴを探すべく部屋の外へと出た。
「どこに行っても、大神官様ならつい先程どこそこへ~、さっきまで居たのに~、ばっかりで全然どこにも居なかった」
結局ケイレヴには会えず、初めての場所で緊張疲れしたノアは一人戻ることにしたようだ。
「ならレンシュラさんはまだ大神官様を探してるの?」
「そうなんじゃね? いざという時のために色々見て回る――とも言ってたけど」
「いざという時って?」
「さあ? レンシュラがそう言ってただけだから、おれには分かんねーよ」
ケイレヴの捜索半分、建物や敷地内の構造把握のための探索半分。レンシュラはそのつもりで未だ一人動き回っているのだが、それを察することが出来る人物は残念なことにこの場にはいない。
「それよりそっちは大丈夫か? なにか分かったか?」
早々に書物とのにらめっこは諦めたノアだが、解呪の状況は気になるようでちらりとテーブルを見やる。
「全然、まだまだだよ。そもそも海向こうの文字をちゃんと読める訳じゃないから、術に関係ありそうな本かどうか、挿絵や知ってる文字からあたりをつけて選別してる途中なの」
ササハは母であるカエデが術を使っていたため、文字自体目にする機会は多かった。だがその文字も正しく意味を理解出来ているのかと問われると返答に困ってしまう。
(そもそも、神殿にある本で解呪できるなら先生が自分でやってる気もするんだけど……)
ケイレヴは自身では出来ないのだと言い、ササハたちに解呪を頼んだ。
「やっぱ大神官さまと話すには、大神官さまの頼みごとが終わってからじゃないと無理なんかなー」
ノアはげんなりした様子を見せながらも、休憩は終わりとばかりに積み上げられた本へと近寄っていく。ノアにとって海向こうの文字など見たところでさっぱりなのだが、一人なにもせずなんて事も出来なかった。
(なんだか先生の良い様にされてるみたいでヤダけど)
ササハは胸の内を吐き出すように息をつき、書物の山へと戻ることにした。
――――――そのころ。
レンシュラは再び封印された扉のある小部屋へと戻っていた。それまでも神殿内を外部の人間が歩き回っているというのに咎められることもなく、レンシュラの今の行動もケイレヴの想定の範囲なんだろうなと、苛立ちより諦めが勝った。流石に神官たちのプライベート区域まで足を運ぶことは出来なかったが、再び訪れた小部屋の施錠がなされていないことから、扉の解呪を進めない限りケイレヴとの接触は難しいだろうと感じた。
(舐められたものだな)
最初は――それこそササハが初めてカルアンの屋敷に来た頃。あの頃は教団も王家も、フェイルを消滅させられるササハの能力を知れば、すぐにでも利用しようとするだろうと思っていた。
しかし実際は、教団も王家も大した働きかけはしてこず、むしろ知った上で見逃されていたのではと疑えるほどだ。
「はあ……」
レンシュラは重い疲れを吐き出し、壁に背をつけ座り込む。
「面倒だ」
嫌でも考えてしまう。この地は自分たちに――――ササハにとって安全な場所なのかどうか。悠長に相手の言うがままの行動を取っていて問題はないのだろうか。ケイレヴは何を知り、どういった意図でササハに近づいていたのか。
神殿や王家はフェイルの消滅をどう捉えているのか。奴らがササハへと向けるのは歓迎の握手か、はたまた服従させるための首輪か。もしくはそのどちらでもない狂った刃か。
過保護だと言われた。そう遠くない過去の話。レンシュラは己がこれほど心配性で、肝が小さい人間だとは思っていなかった。
レンシュラはこれまで沢山の『失くしもの』をした。気づけば置き去りにされていた。顔も知らない産みの親。自分を拾ってくれた恩人。その恩人と一緒に自分を受け入れてくれた女性。そしていつの間にか近くに居ることが当たり前になっていた友人。そしてもしかしたら、これからも――――――。
「………………っ」
レンシュラは自分の奥歯が軋む音に眉根を寄せる。
そして無駄に時間を消費している暇などないと、杭で縫い止められたように重い身体を持ち上げ立ち上がった。
「一旦戻るか」
部屋に子供たちばかりで残してきたのが気になった。
そうしてレンシュラが建物の外へと出た時。
「――――!?」
背後から刺すような視線、いいや、強い殺気を感じ勢いよく振り返る。咄嗟に短剣を引き抜き、元を辿ったがそこには誰もおらず人影すら見つけられなかった。
つい今しがた感じた殺気は既になく、レンシュラはすぐさま身を翻し部屋へ戻るために走り出した。




