40話 なんでもない誰かの話③
懐かしい、学友とすら呼べる間柄でもなかった人物。その人物とは翌朝には別れ、ルイスは双子の片割れがいるであろうロキアへ急ぐことにした。
ゼメアもロキア方面に向かう様子であったが、何やら訳ありなのだろう。互いを詮索することもなく、別々の経路を行く。
ルイスは人目を避けるため森を縫っていたが、ゼメアのほうはまるで身を隠すとでも言えばいいのか、魔道具らしきローブを羽織り、見るからに顔色の良くない妻を気遣いながらも休まぬ様子にただならぬものを感じさせた。
「……その、気を付けて」
「ああ、ありがとう。そっちもな」
気の利いたことも言えず、ルイスは心配からか僅かの名残惜しさを感じたが、それ以上は何も言わなかった。
そうして再び一人に戻った旅路。ルイスは足元ばかり気になる悪路を進むのを止め、近くの町へと続く広い道を行くことにした。
それから五日程。馬車なども乗り継ぎ、ルイスはロキアの町へ無事辿りついた。ルイスが兄と幼馴染がこの町に移り住んだと知ってから、それなりの年数が経っている。まだ二人がロキアにいるのかは分からないが、他に心当たりも手がかりも無かった。
しかし町に入り、数日ほど町を彷徨いたルイスは、自身の心配が杞憂であったことを知った。
数名――町の住人がルイスの顔に反応したからだ。おそらく双子の兄であるルーベンと間違われているのだろうが、住人の様子から察するにルーベンはあまり良くない方向で顔を知られているらしい。だからなのか、ルイスのことも訝しみながらも関わらぬようにと避けている様子だった。
(ルーベン、お前なにかやったのか? エリーは……エリーも変な目で見られたりしてないだろうか)
何となく嫌な予感がし、ルイスは一度町を出てから隣の町で簡単な変装をした後ロキアへと戻ってきた。髪色を変え、顔の印象が変わるよう人生初の化粧もしてみた。正直ルーベンの身内を名乗り家を聞き出すよりも、血縁関係はない知人のふりをして兄の様子を探りたかったのだ。
そうしたほうが良くない噂も引き出せると思ったから。
案の定、ルーベンに纏わる噂は碌なものがなかった。まともな職にも就かず、賭博で借金を作り、酒に溺れ、あまつさえ薬にすら手を出しているらしいとか。何よりルイスが許せなかったのが
「妻を……エリーを売っ、た?」
おまけに子供が一人いるらしいが、その子供も酷い扱いを受けていると聞かされた。
(ふざけるな、ふさけるな! ふざけるなよっ!!)
路地裏で情報を買っていたルイスは、すぐにその場から駆け出した。ルーベンの居場所はすでに知っている。家族のために家を買ったらしい。
だけれどその愛する家族と住まうために買ったはずの家が、愛する幼馴染を売って得た金で買い、その家で唯一の子供を虐待し隠している。
信じられない、という思いと、アイツならという思いが綯い交ぜになり、なのにそれらの感情一切、焼き尽くしてしまいそうな怒りにルイスはルーベンの家へと急いだ。
幸い――――なのかは分からないが、その時ルーベンは家にいなかった。施錠された扉を破壊し、屋内を駆けずり回った。きっとあの時、あの状態のまま兄と遭遇していたらルイスは兄を殺していたかも知れない。それほどの怒りと、憎しみと、嘆きに支配されていた。
そしてまもなく日も沈むかというころ、ルイスは隠されていた地下室でやせ細った子供を見つけた。子供は犬のように首輪をつけられ、鎖に繋がれていた。首輪にはご丁寧にも子供の名前だろうか、ナイフで文字が刻まれたプレートが付いていた。
「リ、オン? おい、君、大丈夫か? すぐに助けてやるからな!」
プレートに刻まれた文字はリオン。それを口にすれば、やはり子供の名前だったのか虚ろな瞳がルイスへと向かい、恐怖に揺れ動き伏せられた。
「ごめなさ、お父さん、ごめん、なさ」
髪の色は変えていたが、化粧はルーベンに会う可能性を考え家に向かいながら拭い取った。リオンはルイスを見るなり怯え、やせ細った身体を小さく丸め震えていた。
ルイスはなんとかリオンを安心させたくて、自分は叔父でリオンの父親ではないこと。リオンをルーベンの元から連れ出し、助けたいのだと必死に言葉を重ねた。
しかし錯乱状態に陥ったリオンがそれを理解することはなく、ルイスは仕方なく強硬手段を取ることにした。
「とにかくここ――いや町からも抜け出そう! 別の町まで一度逃げて、アイツとは落ち着いてから話し合えばいい!」
一方的な主張であったが、それが最善だとルイスは自分に言い聞かせるためにもはっきりとした声音で言った。
外に出るならば首輪を外してやりたいと思ったが、リオンが自分で外してしまわないよう首輪の留め具は強力に接着されていた。なので接着剤のついていない、皮の部分をナイフで切り裂いた。その際もリオンは震え縮こまるばかりで、ルイスのことを見ようとさえしなかった。
(もうすぐ城門が閉まる。その前に滑り込めれば、少なくとも半日は時間が稼げる!)
纏っていたローブで子供を包み、ルイスは町の外へ出るため城門を目指した。
この時、ルイスも冷静に状況判断が出来ていなかったのだろう。何とか閉門間際に町の外へと出ることは叶ったが、その姿は目立っていた。加えて大した用意も出来ず、子供一人抱え、しかもその子供はやせ細り衰弱しているときたため、ルーベンが追いかけてきた時の事を考え山道を行くことにした。
「ごめんな、少し休憩しよう」
ローブに包まれ、されるがままだったリオンを下ろし、僅かの水と食料を食べさせようとした。まだ物を食うだけの体力は残っていたようで、リオンは貪るように食料を口に運んだ。
「歩けるか? どうしても無理なら負ぶるけど、でも……足場が悪いし危ないからな」
衝動的に町を出たことに眉を寄せながらも、引き返すなんて気は微塵も起こらなかった。リオンの手足は枯れ枝のように痩せていたが、まだ歩けないほどではなく、リオンはよろよろと立ち上がった。
「…………ぉ……おと」
「ん?」
「おとう、さんじゃ、ないの?」
おどおどしながらも、リオンはルイスを視界に入れた。
「違うよ。僕は君のお父さんの弟」
「お父さんの、おとうと?」
「そ。で、君のお母さんの幼馴染――仲良しの友達でもあるよ」
「おかあ…………っ」
リオンは泣き出しそうな顔になり、それ以降は何を聞いても応えてくれなくなった。
それからしばらく、二人夜の山を歩いた。リオンのペースに合わせ、少しだけ、僅かな距離でもロキアから離れなければと懸命に足を動かしていた。その時だった。
「――――――え、」
続く木々を越えた遥か向こう。
「なに、あれ?」
ルイスの目に、空中に浮かぶ黒い人影が見えた。それは異様で大きく、空に浮いている時点でおかしいのに目が離せず、ゆらゆらと揺れる黒の中に振り向いているのか、真っ赤な光がこちらへと姿を顕にした。
「逃げろ!」
ルイスはリオンの手首を引っ掴み、全速力で駆け出した。
いま来た道と言うよりも、とにかくあの化け物と正反対の方向。途中リオンが転びかけ、その度に引きずるように手を引き、下手をすれば折っていたかも知れないが気にかけてやる余裕はなかった。
(なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ!!)
危ない、やばい、捕まってはいけない。追って来ているのか、背後を振り返り確認することすら出来ず、とにかく走った。
そうして
「わ!」
木々の迷宮が終わろうとした時、二つの小さな影が真横から飛び出してきた。
(、子供?!)
見知らぬ、二人の子供。どうしてこんな夜更けに、少年と呼べる年齢の子供が山にいるのか。
「にいちゃん怖いのが来る! こっちに向かってきてるよ!」
「いいから逃げるぞノア!」
少年たちはどうやら兄弟のようで、幼い方の子供は身を震わせている。
「そうだ化け物! 君たちもはやく逃げ――――」
言いかけ、ルイスは眼前に広がる切り取られた崖に言葉を途切れさせる。
(なんてことだ……こんな場所、逃げ場がないじゃないかっ)
今更耳に届いた川の流れに、覗き込まなくても流れが速そうだというのが察せられた。
「こっちだ! 後ろからやばいのがきて――――――――――――――」
そこでようやく後ろを振り返ったルイスは、すぐ真上。今正に自分たちへと手らし箇所を伸している化け物を目にし、咄嗟にリオンを腕に抱きその場を飛び退いた。
飛び退く方向を選ぶだけの判断力はなかった。とにかくあれに、あの黒と赤の化け物に触れてはいけないと、無意識の反応をしたのだ。
子供を抱えたルイスの身体は空に投げ出された。飛び退いた先は崖の向こうだったのだろう。それでも
(この子、リオンだけは――)
子供を抱く腕に力を込め直し、少しでも己の身で衝撃を和らげられないかと反転し空を見上げる体制になった。そして見上げた崖の上には、残してしまった二人の子供。
その一人にリオンの姿があった。
「ノアー!」
リオンの隣。兄弟の兄らしき少年がルイスへと手を伸ばしていた。
え――――――?
ルイスは自身が落下していることすら忘れ、腕に抱いた子供を見た。
「そんな、間違え――――――っ!」
ザバン、と水面を打ち破り、眼の前が白くなる。
そうしてルイスは命を落とし、抱きしめていた子供の身体へと入り込んでいた。




