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39話 なんでもない誰かの話②

 ルイスが自身の母親の死を知ったのは、彼が消息を絶ってから七年が経過したころだった。

 学校を卒業後、定職には就かず各地を転々としていたルイスだったが、どういった経路で届いたのかしばらく滞在していた借家の一つに報せが届いていたのだ。しかし訃報が届いた時点ではルイスはその地を離れた後で、実際母親の死からルイスがその事を知るのに二年ほどズレが生じてしまっていた。


「………………本当に馬鹿だ」


 人目を避け、ひっそりと生まれ育った家を訪れたルイスは寂れた一軒家を前に膝をついた。


 ルイスが学校に入学する前、子供のころから薄々感じていたことだが、父親は家族から離れいずれ捨てるつもりであったのであろう。それを証明するかのように使用者(母親)の死後、放置されていたであろう家は最低限の整理だけがなされ、残されていた生活の痕跡は一人分だけであった。


 価値のありそうなものは何もなかったが、傷だらけの四人がけのテーブルには、表面の塗装が擦り切れている椅子は一脚だけ。ルイスが子供の頃にはあった食器棚はなく、かわりに長めの調理台にはワンセットのみの食器類が未だに放置されたままだった。


(僕は本当に、なんて身勝手な…………っ)


 母親はおそらく、兄弟のどちらも家を出たあと一人でひっそりと生活し、家族の誰にも看取られることなく死んでしまったのだろう。


 申し訳ないと思う以上に、自分自身が情けなかった。


(僕は……こんな時まで)


 来た時同様、ルイスは誰の目にも留まらぬよう村を出た。何も聞かれたくなかった。現実を突きつけられたくなかった。


 ルイスは逃げるように故郷を離れた。






「いや~、僕が最低でつまらい糞クズ野郎ってことは分かってたけど、ちゃんと自覚はしてなかったんだろうね。まさか親の死を悲しむよりも、自分の不甲斐なさにショックを受けるほうが強いって、どんだけだよって話だよね~」


 バチバチと爆ぜる焚き火を前に、ルイスは饒舌に自語りをした。空には満点の星空。月はまん丸で明るく、風はやんわりと冷たかった。


「お前、そんな少量の酒で悪酔いしすぎだろ……水の飲め、水!」

「うるせぇー! 美人な嫁さんと、可愛い娘まで得た約束されしお貴族様には、僕の気持ちが分かってたまるかぁーーー」

「あーあーもう、カエデごめんな。悪いけど水でも汲んできてくれね? コイツを沈められるくらいの大瓶にいっぱいくらい」

「嫁さんをこんな夜更けの森で、水なんか汲みに行かすな馬鹿夫ぉ」

「お前に対する嫌味に決まってるだろバーカ!」


 街灯など存在しない森の中。そんな場所で管を巻くルイスの前には一組の夫婦。かつて同じ学校に通っていたクラスメイト――ゼメア・カルアン。友人などと呼べる間柄ではなく、クラスメイトとして最低限の言葉は交わしたことはあったかも知れないが、交流を深めるための会話などはしたことがない。


 なのになぜそんな知人とすら呼べるかも怪しい男と共にいるのかと言うと、単に奇妙な場所で再開を果たしたからに過ぎなかった。


 実家の有り様を確認したあと、ルイスは何となく――――――双子の兄に会いに行ってみようと思った。理由は解らないし、現状抱いている感情の種類も明確ではない。だがそれでもルイスの足は自然と、昔に兄が移り住んだと聞いた港町へと向かっていた。今もそこにいるかは定かではないが、会えなくてもそれはそれで良かった。


 その道中、何となく人目を避けて移動していたルイスは一人森を歩いていた。別に馬車が行き交ってないほど辺鄙な場所を移動している訳でもなく、本当になんとなく……人と、知り合い関係なく誰かがいる空間を煩わしく感じるようになってしまっていたから。


 今のルイスは髪も髭も手入れはされておらず、半月の期間の話ではあってもみすぼらしい有り様で、視線そのものを向けられることが億劫になっていた。


「…………正直、君が僕の存在を認識していたとは思ってなかった」


 その言葉に、かつての同級生はルイスを見た。


 (ゼメア)と会ったのは本当に偶然だった。人目と、多少の金策のためにわざわざ人為的な移動手段や道を避け森を突っきっていたルイスの前に、赤子を抱いた夫婦が現れた。あちら側も何か訳ありなのか大きな荷物を抱え、草臥れた衣服や雰囲気を纏っていた。


 その時相手の存在に気づいたのは、ルイスではなくゼメアのほうが先であった。むしろルイスは人と接触するはずはないと思っていた場所での接触に驚き、すぐに相手から意識を逸らした。だが相手のほうはそうではなく、僅か思案したあとルイスの名前を呼んだ。


 そして互いそろそろ夜を過ごせるスペースをと場所を探していたこともあり、気まずいながらもようやく見つけた休息場所に共に腰を下ろすことにした。


「何言ってんだ。俺たちの学年で――――あー、嫌な意味で捉えてほしくないんだけどよ、平民出身の奴お前だけだっただろ。だから凄いと思ってたんだよ、勉強とか他にも、自力っていうか、色々何とかしてきたんだろうなって」

「……なにそれ。下々の頑張りは凄いねって話?」

「違うってば! だから、上手く言えねーけど、ほら勉強も家庭教師とか、習い事とか? そういうのも金かかるし。あ、いや、別に金がないって決めつけてる訳じゃなくて、一般的に考えて・・・…………一般的にってのも決めつけか?? あれ??」


 そう頭を抱えだした男の横で、少し前に嫁だと紹介してもらった女性が可笑しそうに笑っている。そしてとうとう「とにかく、凄い奴なんだろうなって思ってたって言いたいんだよ!」と叫んだゼメアに、ルイスは面食らったあと緩みそうになった口元を隠しながら俯いた。


 同時に僅かに感じていた居心地の悪さが一気に膨れ上がった。


 かつて自分と比べるまでもなく、別の世界で生きているような人物に凄いと思ってもらえていた。そんな人物からの純然たる賛辞。なのに今の自分にはそれを受け取るだけの余裕も素直さもない。むしろ惨憺たる今を暴かれたらと思うと、恐ろしくてしょうがないのだ。


「あー……そっちは結婚、子供までいるんだな。おめでとう」


 心の底から祝う気持ちなどない、取り繕った言葉を紡ぐ。言ったはいいもの大して興味はなく、かと言って自身に話題を振られたくないルイスは話題を移すべく赤子を見た。


「つか、ちっちゃいな。いくつくらいなんだ?」

「まだ産まれて二ヶ月くらいなの」

「え! 二ヶ月!? 奥さんも子供も、体調とか安静にしてなくても平気なものなの??」


 正直産後の詳しい経過など知らないが、いくらなんでも夜の森で野宿などさせていいものなのだろうか。だが、こちらも深い話をしたい訳では無い。


「それにしてもずっと寝てて可愛いね。女の子って言ってたっけ、将来はお母さんに似て美人さんになるのかな~」

「嫁にはやらんぞ」

「いらないよ! 僕のことなんだと思ってるの!?」

「いらないだと! こんなに可愛いのに!」

「可愛いけど、可愛いの種類が違うよね!?」


 カエデという女性が抱いている赤子は、ずっと眠っていた。ルイスがゼメアと再開してからまだ数時間ほどでしかないが、それでもおくるみごと抱っこ紐で抱かれている赤子はまだ一度も目を開けていない。


「――――本当に、大人しい子だね」

「抱っこしてみます?」

「・・・へ? え? 抱っこって、僕に言ってる??」

「カエデ?」


 唐突に、抱っこ紐を緩めるカエデにルイスだけでなくゼメアも少し戸惑っている様子だ。


「まだ首がすわっていないから、腕をこう」

「い、いやいやいやいや。いいよ。森の中移動してたから僕ばっちいし、何より赤ちゃんを抱っこしたことなんてないから上手く出来ないと思うし」

「ばっちいのは困るので、この布で包んでその上から」

「いや、ホントに勘弁してもらいたい」


 その時、それまでずっと寝ていた赤子が目を覚ました。くりっとした丸い目がルイスを捕らえ、逸らされることなく見つめ続ける。


「ササちゃん起きたの?」

「ささ、ちゃん?」

「そう、ササハって言うの。ササちゃん、このお兄さんはお父さんのお友達なんだって。おはよーって」

「夜だけどな!」


 にっこにこの笑顔で娘を構い出したゼメアに、カエデが声が大きいと眉を寄せる。ササハという名の赤子は、頬をつつくゼメアを一瞬見たが、すぐにルイスへと目玉を動かすと見つめるという作業を再開させた。


「ふふ。どうやら貴方のことが気になるみたいだわ」


 目なんてまだちゃんと見えていないだろうに、なのに赤ん坊はじっとルイスだけを見ていた。視力以前にうす暗くて本当に赤子がルイスを見ているかは定かではないが、無意識に伸ばしかけたルイスの右手は焚き火へと距離を詰めたことで正気を取り戻す。


「あ、あの、手をちゃんと拭くから、抱っこじゃなくて、ちょっとだけ触りたい、かも……」


 慌てて両手をズボンに擦り付け拭う。ついでだと言わんばかりにゼメアが濡れ布巾を顔面に投げつけてきた。典型的な貴族のお坊ちゃんかと想像していたが、それなりに粗野な態度も取るゼメア。しかしルイスがそれを気にする様子はなく、意識は赤ん子に向かったまま恐る恐る立ち上がった。


 まるで神聖な領域に踏み入れるかのように慎重に近寄ると、赤子を抱くカエデのすぐ近くで立ち止まりもじもじと指を交差させた。そして先程ゼメアがしたように、だが緊張のあまり震える指先で赤子特有のまろやかな頬へと人差し指を向かわせた。


 距離を開けていたときには気づかなかったが、柔らかなミルクの香りがふわりと漂う。熱心な赤子の視線はルイスの顔から、近づく指先へと落ちると、ちいちゃな、ちいちゃな、爪なんて精巧な飾り細工のような赤子の指が、ルイスの荒れてカサついた指を力強く握った。


「ひゅ、ぇぇえ?」

「ふ」

「お前、どっから声出してんだよ」

「だ、だって、指、力、小さ」


 ぎゅっと指を離さない手は熱烈で、なのにまだ生成途中とでも言いたげな柔らかな皮膚は、ルイスの荒れた指を無理に引っこ抜きでもすれば傷つけてしまいそうで怖い。


「どうしよ……動けないっ…………」

「ぶっは! なに泣きそうな顔してんだよ!」

「助けて~」

「あっはっはー!」

「ササちゃん、お兄さんが助けてーって」


 掴まれた指があまりにも熱くて、握りしめる手の平があまりにも小さいから、理由(わけ)も解らぬ涙が溢れて止まらなかった。

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