38話 なんでもない誰かの話①
「ルイス!」
離れた場所から少女が声をはり、名を呼ばれた少年は振り返った。少女の瞳は深い海の色をしており、キラキラと輝いて見えた。
「なんだよエリー。そんなに急いで、なにかあった?」
「なんだよじゃないわよ! 聞いたわよ、ルイス! あなた王都の魔法学校に行くことになったんでしょ!! すごいじゃない!! どうして幼馴染の私に一番に教えてくれなかったのよ! おめでとう!!」
エリーと呼ばれた少女は、興奮冷めやらぬ様子でルイスへと詰め寄った。エリーの表情からは純粋な驚きと、何より心から祝福してくれていることが伝わりルイスの表情も自然と柔らかくなる。
「まだ家族以外、誰にも言ってないのに。エリーは情報が早いねぇ」
「さっきあなたの家に寄った時、おばさんが嬉しそうに話してくれたの。ルイスが王都の学校に受かったって。でも当然よね! ルイスの魔力量は村一番、ううん、領都の大きな街で比べても一番じゃないかって言われてたんだもの。もしかしたら将来は、王城に務める魔法使い様にもなれるんじゃない?」
「流石にそれは言いすぎだよ。運良く魔法使いになれたとしても、僕みたいな平民じゃあ王城勤めは無理だよ。せいぜい地方に派遣されるくらいで、そんな良いものでもないんじゃないかな~」
謙遜するように言いながらも、どこか得意げなルイスにエリーは苦笑を浮かべる。
「あなた達そういうトコロはそっくりよね。同じこと言ってる」
困ったように眉を下げたエリーに、ルイスの表情がムッとしたものに変わる。けれどエリーはその嫌悪感など慣れた様子で、年下の弟を諭すかのように穏やかな声で続けた。
「ルーベンも平民出身じゃ上の役職には就けないから、苦労するだろうにって心配していたわ」
「…………別に、アイツのは心配じゃなくてただの僻み。双子とは言え兄貴のくせに、弟の僕が先に王都に出ちゃうから嫉妬してるだけさ」
そう返すルイスにエリーは何も言わず、優しいだけの笑みを向けていた。
ルイスという少年は両親と双子の兄の四人家族で、小さな村で暮らしていた。父親の本職は狩人であったが、母親のほうはそれなりの商家の娘だったらしく、小さな村の平民一家としては生活水準は高かった。しかしその生活は決して余裕があったからそうなった訳ではなく、ただ母親が無意識ながら高望みし続けた結果でもあった。
生活を切り詰め、自給自足で満足できれば良かったがそれでは足りず、父は余剰な生活費を稼ぐために外に出るようになった。そしてその日数は日に日に、年々、期間も額も増え続け、いつしか家に父親がいないことが当たり前となるほどであった。
「ただいま~……」
自宅に戻り、ルイスは小さな声で扉をくぐった。
「ああ、おかえりルイス! 私の自慢の息子! やっぱりあなたはお兄ちゃんと違って良い子ね。お母さんも誇らしいわ」
「う、うん。ありがとう」
ニコニコとご機嫌の母親は、すぐ隣の部屋に兄がいることを気に留める様子はなかった。
この女性は昔からこうだった。いつもなにかと比較し、優劣をつけ評価を下してくる。
「あ、もしかして今から夕飯の支度するの? 瓶の水ってまだ余裕あったけ? すぐに汲んでくるよ」
「何言ってるの。そういう事はお兄ちゃんに任せて、あなたはお部屋で勉強なさい」
帰ってきたばかりで、なにか理由をつけて家を離れようとしただけだった。
「ルーベン! ルーベン! 何してるの、暇なら水を汲んできて頂戴。……全く、あの子はどうしてああなのかしら。ルイスはお兄ちゃんと違って賢い子に育ってくれて、本当に良かったわ」
母親の言葉は独り言なのか何なのか。ルイスは逃げるように自室へと急ぎ、そんな彼に別室にいる兄の様子は分からなかった。
いつからだったか、双子の子供部屋だった場所はルイス専用になっていった。別に部屋がいくつも余っているという訳でもなく、勉強が得意な弟のために母親がそうさせたからだった。
(ルーベンの奴はなんで学ばないんだ)
勉強のことではない。その時々の立ち回りだとか――――面倒な人間の躱し方だとかの話だ。
(アイツは本当に馬鹿だ)
昔はエリーと三人、いつも一緒に遊んでいた。それがいつしか双子の距離は離れ、唯一、エリーの存在が双子を繋ぎ止めているだけとなった。
(本当に、馬鹿な奴だ……)
ルイスはそれ以上考えることを止めた。
その半年後、ルイスは王都へ向かうため村を出た。
「ルイスなら絶対大丈夫よ! でもお休みの日には帰ってきてよね。私もルーベンも、王都のお土産、楽しみに待ってるからね」
そう言って見送りに来てくれた幼馴染の隣には、俯いてルイスのほうを見ようともしない兄が、服の裾をエリーに掴まれ嫌そうに立っていた。
「分かった。ものすっごいお土産を持って帰るから、待っててねエリー」
ルイスも祝う気のない兄の存在を無視し、敢えて幼馴染の少女にだけ笑顔を向けた。
「僕……本当に、凄いお土産を持って帰ってくるから、だから」
「ん? 何って言ったのルイス? 声が小さくて、上手く聞き取れなかったわ」
「ううん。なんでもないよ」
職を得て帰る自分を、待っていて欲しい。
「じゃあね、一応ルーベンも元気でね」
ルーベンは弟の言葉に返事はせず、代わりにエリーが大きく手を振りながら見送ってくれた。
(大丈夫だ。僕なら問題なく学校を卒業して、魔法使いの試験にだって絶対に受かるさ)
そう、期待に満ちたルイスの自信は、学生生活を数ヶ月過ごす頃にはぼっきりと折られていた。その理由はルイスの能力が低かった訳ではなく、ルイス自身が世間を知らず己を過大評価していたからである。
まず、ルイスの通う学校は貴族の子供たちが中心だった。その中に特別枠――と言う程ではないが、実力と資金面をクリアできれば家名なしの子供でも通うことが出来き、人数だけで言えば圧倒的に貴族家の子供のほうが多かった。
そんな中ルイスは己の魔力量は中の上か、ギリ上の下。実技もそれなりには出来る――――がただそれだけ、という事を知った。
しかも知識面やこれまでの経験などは、家庭教師などをつけてもらっていた貴族の子供たちには到底敵わず、数ヶ月程度でその差を埋めるなんてもちろん出来るはずもなく。
更に言えば実力も知識も、上には上が居るもので貴族の家に生まれ、親からその才能を、血を受け継ぎ、幼いころから才能を磨くために金銭を惜しまず大切に育てられたであろう英才。そんな存在に、小さな村の浅い知識しか持たない平民が、勝つどころか追いつくことすら無理な話であった。
(僕は全然、凄くも何でも、なかったんだ……)
そこで奮起し、己の限界と向き合えば良かったのだろうか。
――“ルイスはお兄ちゃんと違って“
ルイスもまた、母親の言葉に縛られていた。誰かとは違うから、誰かより優れているから認めてもらえるのだと。
(僕程度なんて、いっぱい居た。一番じゃなかった、僕より上の奴なんて……いっぱいいたんだ)
特にルイスの自信をへし折るのに貢献してくれたのが、同じクラスの貴族の子息。その子供はルイスより魔力量も多く成績もよくて、実技でも好成績の学年一位の男。
(ゼメア・カルアン)
貴族の中でも、四家門と名を上げられる程の特別な家の子供。届かぬ頂きがあるのだと知り、ルイスの目は曇った。自分が歩んでいる先ではなく、他人の頂きが気になって足元が見えなくなった。
それからルイスは中間の成績を維持し、最終学年となった。途中勝手に意識していたゼメア・カルアンは家の問題で忙しそうにしており、気づけば学校で見かけることが極端に減った。そうして彼の存在が自然と遠ざかったころルイスは最後に一つ、かろうじて残っていた希望――いや、願望のためだけに学生生活を何とか維持させていた。
その願望とは魔法使いとなり、職を得てから幼馴染を迎えに行くというもの。途中、楽観的に見ていた魔法使いの試験も、平民にとっては厳しい現実であるということにようやく気づいた。秀でた能力のない、そこそこ程度の平民など、豊かな心付けが出来る貴族には到底及ばないのだと。
それでも全てが今更で、半端にでも費やし投げ出すには惜しく、なのに本気で挑む覚悟もなく。
気づけば最終学年、最後の学期。試験も間近に控えたある日、ルイスは幼馴染と兄が結婚をし村を出たことを知った。
そうして結局ルイスは魔法使いの試験は受けず、学校も卒業はしたものの家に帰ることもなく、そのままどこかへと行方をくらませ姿を消した。




