37話 最後の内緒話
「ササハ……」
数歩後ろへ下がったササハに、落ちた声が縋った。
目の前に立っている彼は、最初こそ困惑の表情を浮かべていたが、次第にそれは悲しみと怒りへと変わっていった。
「ササ」
「やだよ、嫌だ」
何かを言われる前に拒絶を示す。
「それに、ノア……の体をあげる? なに言ってるか分かんない。だいたい、そん……そんなこと出来るわけないし!!」
ササハの脳は思考することを拒み、似たような言葉ばかりが続く。
「ササハ頼む! 頼むから」
「……嫌よ」
「ササハ!」
「だからやだってば! わたしはノアがいい! ノアにいなくなって欲しくない!!」
勢いだけの感情を吐露すると、ササハの片方の目から涙がこぼれる。ひと粒でも決壊を許してしまえば、止めることも出来ず熱い雫は溢れ続けた。
「わたしは、ノアが…………」
俯き、何もかもぐちゃぐちゃだ。静まった屋内にササハのすすり泣く声が響き、それを慰めることも出来ず目の前の彼は立ち尽くすばかり。
しかし何を考えているのかそんな空気の中、ケイレヴが馬鹿みたいな提案をした。
「良ければ先生が魂を入れ替える方法、教えましょうか」
は? とササハもノアも顔を向ける。
「実は先生の知り合いに他人の身体を乗っ取って、それはもう長生きしている人がおりまして」
ササハもノアも言葉に詰まって、ただただケイレヴの言葉を理解しようと脳を忙しくさせる。なのにケイレヴは混乱する脳に追い打ちをかけるように、新たな情報をぶち込んでくる。
「その男――――いえ、今は女性の身体に入っているのですが……とにかくその気持ち悪い人は自分だけでなく、他者の魂の入れ替え――――正確には魂の出し入れ、ですかね? 例えばほら、今貴方が握っているその赤い石。その赤い石の中の魂と、貴方自身の魂を入れ替えることも出来ますよ」
ササハは嫌な気持ちになり、ケイレヴを止めようとした。しかしササハの足は動かず、静止の言葉すら発せなかった。
「実際お二人も見てるんですよ。フェイルとなった先代リオーク家当主――――当主殿は《黄金の魔術師》によってフェイルにされたわけではありません。あれは赤い石を入手した後、中の魂を押し出し、代わりに当主殿の魂を入れたからあの老爺がフェイルの呪いに縛られることなったんです」
ササハは急に身体が動き、その勢いのままケイレヴに詰め寄ろうとした。よく喋る口が閉じるよう、引っ叩いてやろうと拳を握り込んだ。しかしササハのグーパンより速く、前方にいた人物がケイレヴに殴りかかったため足を止めた。
「っ、避けてんじゃねーぞテメェ!!!!」
「危ないじゃないですか、乱暴は止めてください」
「ふざけんな! くそがっ!! こっちがまともに自分の人生も歩めなかったガキを何とか説得しようと奮闘してたところに、余計なこと吹き込みやがって!!!! お前のせいで全く! 全然要らない方向に! やって欲しくない決意固めちまったじゃねーかぁくそがぁーーーーー!!!!!!」
「…………リ、リオ?」
ケイレヴ相手に特殊魔具まで使用して斬りかかったノアであったが、難なくかわされる。数撃ほどだがケイレヴに敵意どころか殺意を乗せた剣を振り下ろしたところで、ふと思い出したかのようにササハへと振り返る。そして足早にササハとの距離を縮めると、真剣な表情でササハの右手を掴んだ。
「ササちゃん!」
「え、はい!?」
「あのくそ馬鹿神官のせいで時間がなくなっちゃったから、後はササちゃんに託すしかなくなったんだけどゴメンね!!!!」
「なに、何の話??」
「自分なんか死んでもいいと思っているこの子の話」
そう言ったノアは自分の胸元にもう片方の手をあてた。
「死ん……」
「混乱してるとこ悪いけど、本当に僕の時間は無いみたいだから勝手に話すね。あのね」
いまいち彼の言葉が理解出来ず、なのに異様に震えるササハの肩をノアは両手でしっかりと掴み視線を合わせる。
「まず、この身体の持ち主はこの子――ササちゃんがノアって呼んでたあの子のもので間違いないよ。僕じゃない。幽霊だったのは僕のほうで、この子の体には勝手にお邪魔してただけ。でも、それは去年ロキアでのごたごたが解決するまでは、僕も記憶がなくってこの子の体に残ってる記憶から、色々と思い込んでたところもあった訳で……て、いや」
今はそんな言い訳してる場合でもないかと、苦い表情で自嘲する。
「でもそれからも僕はこの子のことちゃんと話さなかったのは、この子が嫌がったからなんだ。思い出したくないみたいだったから……。《赤の巫女姫》に記憶を奪われてたせいもあるだろうけど、この子自身、辛い記憶だったから僕たちが無理に把握させちゃうと、危ないかもって」
「……危ないって?」
「勝手に身体を借りてた僕に、要らないからって譲ってしまいそうだった……」
ササハの表情がくしゃりと歪む。
「僕もリオークで残りの記憶を取り戻すまでちゃんとは分かってなかったけど、お兄さんがフェイルにされた時、この子もその場にいたんだ。なのに自分だけが生き残って、お兄さんはフェイルにされちゃって。………………放っておいたら僕に身体明け渡して、自分は心のずっとずっと奥に隠れてしまいそうだったから、何とか説得しようと……生きたいって思ってほしいなって、そう……思って《赤の巫女姫》のあと、刺激しないようササちゃんたちとも距離をとってから、話とか頑張ってみようとしたんだけど」
「私がそれを邪魔してしまった感じですかね」
けろりと口を挟んできたケイレヴに、ノアは血管ブチ切れ状態で「煩い黙れクソボケ神官が!」とまくし立てた。
いやいや落ち着け僕、時間の無駄だとササハへと意識を戻すと、ササハはノアを凝視したまま再び大粒の涙を流していた。それに彼は困ったような笑みを浮かべ、泣く子供あやすように緩くササハを抱きしめた。
「役立たずでごめんね。僕の薄っぺらい言葉じゃ駄目だったや」
そうしてノアは決心してしまった。ケイレヴからの情報に。自分の代わりに使ってくれる彼に明け渡して眠るのではなく、大好きな兄を助けるために――――そのためなら、その時までは生きようと。
「…………ぁ、……?」
「ん?」
「リオは? …………いなくなっちゃうの?」
いつの間にか背中に回っていたササハの手が、ノアの服にシワを作っていた。
「リオには、もう会えなくなっちゃうの?」
「………………そう、なるかな」
誤魔化すことも、茶化すこともせず彼は答えた。
「本来の――当たり前の状態に戻るんだ。ふふ、ササちゃんてば僕とのお別れがそんなに寂しいの」
きっとこれまでの状況は色々な偶然が重なってあり得ただけ。二つの魂が一人の身体に存在していられたのは、主導権が強い側があえてその席を譲ってくれていたからに過ぎない。
「レンにも、僕の代わりに元気でねって言っといて」
「やぁ、だ……自分で、ぃ……ひぅ、うぅ……」
(全部は伝えられなかったけど、残りはササちゃんが直接聞いて欲しい。そして何とか心残りに――――生きたい理由になってくれたら、どれほど………………)
彼はもう一度だけササハを――今度は強く抱きしめると身体を離した。名残り惜しそうに、本当に最後のお別れなのだと、嫌がるササハを置いてけぼりに終わりへと向かう。
「ありがとうね、ササちゃん」
「待って、まだ。まだちゃんと、リ――」
「それと最後に」
リオと呼ぼうとしたササハの口を、彼は人差し指で止める。そして意地でもササハ以外には聞かせてやるかと、内緒のひそひそ話をするように、彼は小さな小さな声でササハだけに教えてくれた。
「あのね、僕の本当の名前はね――――」
そうして告げられた名は、ササハの耳にしか届かなかった。




