36話 思うようにいかない
エンカナの町から離れた山中。ごぷりとせり上がった血を吐き出し、男は近くの木に倒れ込んだ。
(呪いが返ってきた?! まさか先程の強力な魔力のせいで呪具が……!!)
白銀の世界では浮いている暗い色のローブ。男は返された呪いを何とか抑えると、爛れた器官で必死に呼吸をする。回復薬を取り出そうと上着の内を探り、しかし自業自得で焼かれた痛みのせいで手が震え、薬だけでなく忍ばせていた仮面もろともその場へと落としてしまう。
周囲に人の気配などない、冬の雪山。
(駄目だ、ひとまず……返ってきた呪いを解呪しなければ……)
男は薬と仮面を拾い、転移の魔道具を握りしめる。ほんの数日前までは、この場所では使えないはずの魔道具。男がこんな雪山へやってこれたのは魔道具のおかげだが、逆にここへ来る原因となったのも同じ理由であった。
《青の剣士》と《白の聖人》に何らかの異変が起こった、から。
ハルツの印持ちは《青の剣士》をこの地に留める為の結界を張っている――と両家には伝えられていたが、実際のところは違うらしい。
ハルツが守っているのは、隠していたのは《白の聖人》のほう。《青の剣士》の呪い、血筋がそうさせるらしい。しかし皮肉なことにそのせいで《青の剣士》は《白の聖人》を感じることが出来ず、見当違いの場所に固執し続けていた。
そしてそれを哀れに思ったのか、《白の聖人》は自身の一部を切り離した。もうそんなことしなくて良いと伝えるために。しかしその願いは叶わず、切り離せれた一部は目的も、自我も忘れ、ただ《白の聖人》と近しい魔力にのみ反応した。それがナキルニクの印持ちだった。
《青の剣士》は《白の聖人》にのみ固執し、他を拒み、この地で自由なのは《白の聖人》に近い魔力のみ。なのにその唯一は自我を失い、己の血筋に何となく反応しその後を追うだけの背後霊へと成り下がった。
それがこの地の奇妙な仕組み。なのにこの地で魔道具が――――他の魔力が効力を発揮できるということは。
(我を失っていた馬鹿な化け物が、自我を取り戻した!)
そして白の化け物は本来の目的の一つを果たした。自身を隠す結界を張り続けている、青の血筋の子を開放してやることを。しかしそれは半端に終わり、完全とまではいかなかったが。
(ああ、くそう! あの娘か! またあの娘が余計なことをっ!!!!)
男はエンカナの町に近づくことは断念したが、おそらく、あの娘が残りの《呪われた四体》を消してしまうだろうことは予測できた。なぜならあの邪魔な小娘を、邪魔だと思っているのは彼自身だけだったから。
男には心底理解出来なかった。
あの化け物共こそが国を守るためにも必要だと言うのに。あの化け物共がいるからこそ、海向こうの国々はこの国を忌避し、下手なちょっかいすら出してこない。多少自国民が化け物へと落とされたところで、それ以上の恩恵を得られると言うならばむしろ喜ぶべきであるはずなのだ。
(ムエルマ様もむしろ、あの娘に化け物共が消されることを望んでいる様子だった……)
故に男は一人で動くしかなかった。ナキルニクに潜ませていた自身の手駒に呪詛をかけ、そのせいで誰が犠牲になろうともあの娘を殺せれば安いものだと。
「ぅ、がふっ……」
しかしそれは失敗し、呪いは返ってきた。
(私が……私独りでもやらねば……!)
国の、この土地の安寧の為にも。男――――ダニエル・カレツァはそう決意を固め、王城へと戻っていった。
◆◆□◆◆
「……ササハ、下に居るのか?」
(…………ノア?)
聞き慣れた声に、ササハはのろりと首を回す。
「ぅ、重い。こいつ背負ったままじゃ下に行けないな」
「ちょ、貴方その人を乱暴に扱わないでください!」
ドサリと重たいものを落とす音と、珍しいどころか初めて聞くケイレヴの焦った声にササハの意識もはっきりとしていく。
階段を駆け上るケイレヴに続くため立ち上がり、地上の様子がうかがえる場所まで重い身体を引きずっていく。案の定声の主は想像通りの人物で、床へと落とされたのは未だ意識のないレンシュラだった。
「ササハ!」
「ノ、ア……」
「大丈夫か!? 起きたらお前いないし、他の連中も寝てたから……お前の魔力を追って、とりあえずコイツだけ連れてきた」
そう言ってレンシュラを指差し、ケイレヴが不服そうに眉を寄せた。
「つか、なんだよお前。誰だ?」
「わたしの先生だよ。勉強とか、色々、教えてくれた人」
ふーんと興味なさそうな目でケイレヴを見、そんな彼が右手に何かを握っていることにササハは気がついた。
「ノア、それは――」
彼が握っていたのは赤い炎を燻らせている黒の石。彼は一瞬石を隠すように握り込んだが、迷いながらもササハに差し出すように手の平を開く。
「ノアにもその石触れるんだね」
「…………、けどお前みたいには出来ない」
「わたしみたい?」
「ササハみたいに石を壊して、出してあげられない」
そう言ったノアはぽろぽろと涙をこぼし泣きだした。
「にいちゃん、にいちゃんなんだ。頼む、たすけたい……っ」
石を軽く握り込む右手は震えており、ササハは気になる疑問を突きつけることはせず手を伸ばす。この黒の石が何のなのかを、ササハは仮説ではあるが理解している。フェイルを倒したあとに残される黒い石。その石に内包されている炎のような光はフェイルにされてしまった人の魂で、その魂は石に閉じ込められたままであるということ。
そんな石を大事そうに持ち、ササハに助けを求めている。
「大丈夫。すぐに」
本当はササハの身体は疲れ果てていて、今すぐにでもベッドに飛びみ、なんならここの床でもいいから倒れ込んで休息を取りたいほどではあった。だがそれは目の前の人物の願いを叶えてからでも良いのではと、そう穏やかな気持ちですらあったのに。
ササハの指が石に触れそうになった時、彼は薄っすらと微笑んだ。
「――――――!」
その笑みを見たササハは、咄嗟に己の手を引っ込めた。
「ササハ? どうしたんだ?」
それに不満と心配が混ざった声が返り、ササハは自身の右手を後ろに隠しながら一歩後ずさった。
「ササハ?」
不満が濃くなった声がササハを咎めたが、ササハ自身も己の行動理由が見当たらず困惑した。
「ササハ、どうした? もしかして疲れてて出来ないのか?」
そういう訳ではないが、そうではない、出来るから任せてくれと言うことをしたくなかった。本当に、その理由は分からないが。
「ノア…………」
「なんだよ?」
「………………」
「ササハ?」
「…………………………」
それでもササハは嫌だった。何か嫌な予感がした。
急に口を真横に引き結び、頼みを聞いてくれそうだったのに反故にされ、とうとう彼の表情に怒りの色が乗った。
「なんでにいちゃんを石から出してくれないんだ?」
「ごめん、でも、なんか……上手く言えないんだけど……」
「頼むよ。おれ、にいちゃんを助けたい! 生き返らせてやりたいんだ!」
え? とササハは後ろに組んだ右手を、もう片方の手で強く握る。彼はササハの戸惑いに気づいていないのか、興奮した様子でササハを見つめていた。
「生き返らせるって、そんなの無理だよ」
「無理じゃねーよ」
「無理だよ。だってフェイルになった人は、肉体がなくなっちゃうってレンシュラさんが」
「だからおれの体をにいちゃんにあげるんだ」
ひゅ、とササハの息が短くつまる。
「にいちゃんはおれのせいでこうなっちまったから、だからおれの体をあげて生き返らせるんだ」
強い意思がこもった眼差し。それを拒むように、ササハは彼から更に距離をとった。




