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35話 歓喜と憤りと

 自分たちならもしかしてと、冗談交じりの自惚れすら抱かなくなったのはいつからだろう。


 フリキティンの人生は――――いや、ナキルニク家の(しるし)持ちの人生はどの代も決まっていた。次期印持ちが出現すると同時にハルツの特務隊へ送られて、残りのほぼ一生を《青の剣士》の監視をするために費やされる。


 ある一定の場所に留まる化け物の監視。異常事態などこれまで一度も起こったことがない、意味を成しているのかすら分からない役目。それでもナキルニクと、ハルツの印持ちはこの地に囚われる。


 呪いの印が、白い女の霊が、二家の血を縛り付けるのだ。


――“呪いって怖いんだな“


 いつだったか、幼馴染でもある友が言った言葉。


――“俺のガキのころの夢はさ、王国中、いろんな領地を巡って美味いもん全種制覇することだったんだ。なのに……今はなんでかな。ここを離れるなんて出来そうもない“


 白い女など視えないハルツの友人は、白い女に囚われエンカナ周辺に留まるフリキティンに言った。


 ナキルニクとハルツの当主は、他の二家とは違い封印を維持するために特定の場所に留まる必要がない――――あくまで仮定の話ではあるが。なのに留まる。この地に。この地から遠く離れようとしない、離れるという考えすら持たなくなってしまう。


――“俺たちの代で終わらねぇかな“


 恐らくだが、次の代が選ばれるとしたら自身の子であるような、そんな気がしたから。


 なのにフリキティンは答えられなかった。友の、弱々しく、思わず漏れてしまった弱音に。同意も、励ましの言葉も出てこず、移ろう思考で友の発する音を聞いていただけだった。


 この感情は、行動は、いったい誰のものなのか。カルアンやリオークの呪いが己の身を土地に縛り付けるものなら、ナキルニクとハルツの呪いは精神を――――心を縛り付けるものだった。


「…………わ、た……私、たち、……の、だ、……で、」


 水でも溜まっているかのような、陸で溺れるフリキティンの声。ぼんやりと輪郭すら形成出来ないフリキティンの視界は、温かい何かに()われゆらゆらと揺れる。


「かひゅー…………かひゅー…………」


 言葉を発しようとしなければ、漏れるのは絶え絶えの吐息ばかりで、フリキティンはそれでも自身が何者かに背負われて移動しているのだということだけは分かった。


(どこだ? なんだ……私はいったい何処に)


 何重にもブレる視界で、つい最近、見たばかりの色合いを思い出す。ずっと、ずっと中に入りたいと思っていた教会(ばしょ)。色とりどりのガラスで描かれた大きな窓は、寂しい空間に唯一寄り添う光であった。


(こ、こは――――――)


 フリキティンが今、自身がいる場所が何処なのかを理解するのと同時に歩みが止まった。フリキティンを背負っていた人物は一言も発さず、しかし丁寧にフリキティンをその場に下ろすと糸が切れたように倒れた。


「フェスっ……がはっ」


 フリキティンは倒れた人物の元へ行こうとし、まともに動かすことも出来ないボロボロの身体は血を吐いた。先程の戦闘での負傷ではなく、長い間疎かにしてきた自身による代償。フリキティンが次期印持ちから代替わりし、真の印持ち(ナキルニク家当主)となった時から自身の生命力が削られていっているのは何となく分かった。そしてそれはこの場所、教会の何処かへと吸い寄せられているようで、これもまた《白の聖人》の呪いなのだと理解していた。


 がふがふと黒ずんだ血を吐き出しながら、フリキティンは倒れた人物――――フェスカへと這いずっていく。フリキティンの左手がフェスカへとたどり着き、同時に右手は別の何かへとぶつかりどちらも必死に掴もうと力を込めた。


(フェスカ……)


 握ったフェスカの手は温かく、繰り返し出来た剣タコで厚くなった皮膚は硬く、昔に握った幼い子供のものではなかった。


(キシュレイ…………)


 反対に右手に触れた手は皺くちゃで、確か彼は剣を手に膝をついていたはずなのに――――どうしてか床を這うフリキティンが握れた友の手は皮膚と皮ばかりになってしまったようで熱も感じなかった。ただ、数日前、老いを感じさせず、昔の姿のまま蝋人形のように固くなっていた姿を思えば、彼は自身よりひと足早く開放されたのだと胸が熱くなった。


 フリキティンの口から嗚咽と、止まらぬ赤い液体が吐き出される。ここまでフリキティンを背負ってきたフェスカに意識はなかったのだろう、ピクリとも動きはしない。

 もうまともに瞼を上げる力すら残っていないフリキティンだったが、近くに白の女性の存在は感じていた。それでも良かった。例え自身の身体から力が、熱が、命が尽きようとしていても、自分をここまで背負ってきてくれた息子の身体は未だ変わらぬ熱を宿し続けている。それはこれからも、ずっとそうであるだろうから。友の、自分たちの願いが叶ってくれたのだから。


 フリキティンは心からの笑みを浮かべ、動かなくなった。


 その背後でザリ、と鈍い音がした。


「離して! まだ助けられるかも知れない!」

「あの方は《白の聖人》の影響(呪い)で、この建物守るために魔力を提供し続けて消耗仕切った。もうどうしようもありません。寿命が尽きたようなものだとでも思ってください。あ、ですが息子さんは気を失っているだけですので、()()()()()()()自然と起きるはずで」

「先生っ!!」


 怒りが滲む声。ササハはようやく身体の自由が効くようになったことに走り出そうとし、それをケイレヴによって止められ、バランスを崩し膝をついたところだった。


 ほんの少し前のことだ。ササハは《青の剣士》へと手を伸ばし、その手は間違いなく届いた。真っ赤な赤い薔薇を咲かせた化け物は消え去り、しかし代わりに一人の青年の霊がそこには残った。


 姿形ははっきりとはせず、朧げで、不安定な霊。その霊の真ん前には表情を無くしたフェスカが立っており、ササハは最初、その時の状況が把握出来なかった。そしてササハのすぐ隣から、あの場に居るはずのないケイレヴの声がしたのだ。


「先程も言ったでしょ? ()()は《青の剣士》の魂です。まだ終わっていませんよ、まだもう少し頑張りましょうね」


 そう優しい笑みを向けるケイレヴは、山の中でも同様のことをササハに言った。


「ちゃんと、説明してください!」

「いいですよ。あの女性は《白の聖人》の魂の一部で、そちらの男性が《青の剣士》です」

「そうじゃなくて、そういうことだけじゃなくてっ」

「さあ、進んで。あの奥、祭壇の左手側です」


 ここに来るまでの道中、ササハは思うように動けず、言葉は一切発することが出来なかった。ケイレヴはあの後意識を乗っ取られているであろうフェスカにフリキティンを背負わせると、「では行きましょうか」とこの教会へ向かわせた。それに《青の剣士》らしき青年の霊も従い、ササハはフェスカが地面に倒れた音を聞いてようやく自由を取り戻した。


「あと少しです」

「先生っ」

「あと少しなんです」

「なにがあと少しなんですか? 先生はどうしてあの人たちについて知っているんですか!」

「あの(ひと)のためにも……」


 ケイレヴはササハに触れていない。引きずられたわけでも、押されたわけでもないのにササハは祭壇の奥。変に折られた敷布から覗く、扉のある床の前に立った。その扉の前には白の女性。青年の霊はケイレヴ以外の言葉は認識しないのか、教会に入って歩みを止めた場所から動かず別の方向を向いている。


(なんでなんでなんで! もう全然分かんない! ちゃんと考えれないし、言葉にも出来ない!!)


 ササハはケイレヴと話がしたかった。それに、今すぐ山へ戻って残してきた仲間の、()がどうしているのか確認をしたかった。なのにササハの手は地面から切り出されている扉へと伸びる。頑丈そうな、それでいて重たい扉。しかしそれはササハ一人でも簡単に持ち上げられ、その向こうから流れ出てきた魔力に、ササハは一瞬でのまれた。


 ・・・。


 ・・・・・・・。


 小さな、子供一人が座れるくらいの切り株。少女はそこに座り歌うのが好きだった。逆に体を動かすことは苦手で、だからいつもそこから見ているばかりだった。


 あの子のような奇跡の力はないけれど、あの子の真似をして祈ることは出来た。話を聞いて、涙を拭ってやって、薬草をすり潰して作ったただの薬を塗ってやるくらいしか出来なかった。


 そんなことくらいしか出来なかったけど――――――。


 階段を下りきり、ササハは平らな地面へと降り立つ。照明らしきものはないのに明るい。気がする。見える。


 鉄格子がない、地下牢のような石造りの小さな空間。その空間の最奥に、足枷をつけたミイラが座する形で居た。ミイラの肉はほぼ朽ちて、なのに着ている衣服には汚れ一つなく、光源もないのに眩しいと目を細めそうになるほどの白いワンピースを着ていた。その服をササハは見たことがあった。


 それはササハのすぐ隣に佇む、白の霊が着ているものと全く同じものであった。


――ごめんなさい


 白の女性は、朽ちた身体を前に涙を流す。


――ごめんなさい ごめんなさい


 何に謝っているのか、両手で顔を覆い謝罪の言葉だけを繰り返した。


――ごめんなさい ごめんなさい ごめんな

――ここに 居たのか


 不意に聞こえた男性の声。


 ようやくと言った声音で白の女性に近寄ったのは、青だった――存在すら不安定になった青年。


 二人はいくつか言葉を交わし、その言葉はもうササハには届かなかったけれど、白の女性は笑ったのが確かに見えた。悲しそうに、申し訳無さそうに、なのに最後は安堵し大切なものを取り戻したかのように嬉しそうに笑っていた。


「あ……」


 そうして次の瞬間には、それまであったはずのミイラの存在もなくなっていた。

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