24話 様子の可怪しいフェスカ
歩く速度がはやいなと感じながら、ササハは遅れぬよう足を動かした。走り出す、と言うほどでもないがそれに劣らぬ足取りで先頭を行くのはフェスカ。様子見だと言っていたのに、急がなくてはいけない理由でもあるのだろうか、山の中腹へと近づくにつれスピードも上がっていく。
最初は不思議に思いつつも口を挟まなかったキャロルも、どうかしたのかと問いかけていた。
(あんまり覚えてないけど、《青の剣士》が居た場所ってもうすぐじゃなかったかしら? こんな音とか気にせず早足で近づいて、フェイルってそういうのじゃ気づかないのかな?)
不安そうにササハが前方を見れば、似たようなことを感じているのか、ロニファンも困惑した様子で辺りに視線を寄越していた。ちらりと背後を振り返ったロニファンと視線があったササハは、気持ちを共有するように互いに頷いた。
「レンシュラさん、昨日《青の剣士》が居た場所の近くまで来てると思うんですけど、このまま進んでも大丈夫なんですか?」
「あの隊長さん、部下のねえさんの話し無視してんのか、少し様子がおかしくないっすか?」
キャロルたちには聞こえないよう、少し速度を落としレンシュラの元へ集まる。先程二度キャロルがフェスカに向かって声をかたのだが、フェスカは振り返らなかった。
レンシュラも同じく違和感を持っていたのか、新人二人の腕を引きその場に立ち止まった。背後にあった足音の数が減り、漸くフェスカが振り返った。
「どうかされましたか?」
「……目的地まであとどれくらいだ?」
「すぐそこですよ。そこを越せば、目視で確認出来ると思います」
「そうか。ならそんなに急がなくても、距離を取りつつ近づくべきでは?」
「大丈夫です。彼等は基本、あの場から動きませんから」
逆光――と言うほど日差しがキツイ訳ではないが、やんわりと笑んでいるであろうフェスカの顔がよく見えない。レンシュラは目玉は動かさず、視界に入るキャロルの様子を注視した。大丈夫だというフェスカの言葉に、彼の部下も動揺を滲ませていた。
「動かないとは、これまでに接触したことがあるのか」
「え……いえ、それは」
フェスカにではなく、強めの声音でキャロルへ問えば、歯切れの悪い曖昧な答えが返る。レンシュラはどうしたものかと考えながら、ふと、冷静な自分を訝しんだ。可怪しいなと現状に疑問を持ちながらも、ここまで来た。
「ササハ、ロニファン。やはり一旦もど」
「レンシュラさん!」
ササハの悲鳴混じりの声に前方を見る。いつの間に、つい今しがたまで腕を掴み側にいたはずのササハが、なぜかフェスカに手を引かれ離れた先を走っていた。
「ササハ!」
「隊長!」
三人同時に走り出し後を追う。ササハはササハで、自分の状況を把握出来ていないのか困惑の瞳でフェスカを振り返った。
「隊長さんどうかしたんですか? 止まって下さい!」
引きずられる程の力で腕を引かれ、ササハの顔が苦痛に歪む。ササハ自身、先程までレンシュラの隣にいたはずなのに、どうして自分だけフェスカと二人駆けているのか分からないでいた。
「助け、誰か、助けが、助けてあげないと」
「隊長さん?」
フェスカが呟く。
フェスカの肩越しに、数多のフェイルが見えた。なのに前を向いているフェスカの表情は見えず、理由の分からない、懇願の言葉だけがフェスカから届いた。
「助けて、助けて、助けて、助けて」
「たいちょっ――隊長さんっ!」
転びそうになりながら、それより強い力で引かれササハの腕が悲鳴を上げる。明らかに様子の可怪しいフェスカを振り払おうとするも、力で適うはずもなく無駄な抵抗に終わる。
そうしている間にもフェイルとの距離は縮まる。ササハの見間違いでなければフェイルは、《青の剣士》は、表情も分からぬ黒の顔面をこちらに向けササハ達を凝視しているように思えた。
「止まれ!」
ササハに追いついたレンシュラは、フェスカを突き飛ばした。手加減はしていただろうがフェスカは倒れ込み、だがうめき声一つ漏らさずすぐに起き上がった。
「……隊長?」
振り返ったフェスカの表情は虚ろで、追いついたキャロルが息を呑む。やはり様子が可怪しい。フェスカに一歩近づいたキャロルとは対象に、レンシュラはササハを自身の背に隠した。
それを見たフェスカの目は、大きく見開かれた。
「あああああぁああぁあ!!!!」
急にフェスカが叫び声を上げた。その声は成人男性とは別に、甲高い、別の声が重なっているように感じられた。
「まずい! フェイルがっ!!」
頭を抱え、嗚咽のような、苦しげな声を漏らすフェスカの向こう。《青の剣士》と、それが率いる無数のフェイルがこちらへと一斉に向かってきた。フェイル共の手には剣を再現したかのような黒の靄。あれで何か切れるかは定かではないが、フェイルの発する黒い靄は毒霧のようなものでまともに触れてしまえば皮膚が爛れ、治療は教団の神官に頼るしかない。
「ロニファン、ササハを連れて走れ! あんたはあの男をどうにかするのを手伝え!」
「は、はい!」
フェスカが正気ではない今、特殊魔具を使うことは叶わない。背後に迫るフェイル共とは、まだ距離があるが《青の剣士》の速度だけは異常で、次にレンシュラがそちらへと視線を向けた時には既に黒の異形が目前へと迫っていた。
「っ……はあ、は、」
レンシュラとキャロルは固まり、キャロルの口からは声にもならない息が出てくるばかり。討伐しようとしたことも、しようと思ったこともない特殊個体。長年、フェスカと共に目の前の異形を監視してきたキャロルは、いつもとは違う想定外に思考が停止してしまった。
呆けたように口を開くだけのキャロルを、レンシュラが抱え反転した。《黒の賢者》の時と同様、人にどうにか出来る訳もない怪物。あの時の経験がなければレンシュラとて、まともに動けていなかったであろう恐ろしき威圧感。
置き去りにされるフェスカを、レンシュラの肩に担がれたキャロルは眺める。まるで時が止まったかのような光景に、キャロルは遅れて現状を理解した。
「いやだ、駄目、フェス……フェスカ!!」
《青の剣士》の関心はフェスカに向けられていた。背を向け走り出した者たちを追うこともなく、フェスカにのみ向けられていたのだ。
《青の剣士》が勿体ぶった動きでフェスカに剣を振り上げる。と、同時に焦りに視野が狭くなっていたレンシュラの横を、ササハが逆方向へとすり抜けていった。レンシュラがそれを理解するより先に、ササハは大きく息を吸い込み叫んだ。
「お姉さんだよ! 切っちゃ駄目っ!!」
フェスカの頭に黒の剣が振り下ろされる寸前。フェスカの頭を抱え込み、目をキツく閉じたササハに振れるギリギリのところで《青の剣士》が動きを止めた。
辺りが静寂に包まれた。理解が及ばず、一番先に正気を取り戻したのはレンシュラだった。それもレンシュラの視界の先で《青の剣士》が纏う黒の煙が乱れ、その光景が余りにも異様だったからだ。
《青の剣士》は揺らぎ後ずさると、うめき声を上げた。獣の咆哮のような、しかし生き物が発しているとは思えない歪な音。
「…………さ、ササハ!」
走れと言われてから一歩も動けないでいたロニファンが、ササハへと駆け寄る。ササハはぐったりと意識を失っているフェスカを抱え、ロニファンがササハの肩へ触れると同時にササハの意識も限界を向かえた。ササハの額には脂汗が滲み、顔色も悪い。《青の剣士》は錯乱したように剣を振り回し、その切っ先は自身の配下、周囲関係なく切り刻みながら何処かへと消えていった。
「フェスカ――隊長!」
何が起こったのか。無数にいたフェイルも《青の剣士》の後を追い姿を消し、無惨に荒れ爛れた山肌が眼前に広がっていた。どうしてこんな少人数で《呪われた四体》に、武器もまともに使えるか分からない状況で、様子見とはいえ近づこうとしたのか。
レンシュラは飲み込めぬ思いをぐっと押し留め、呼吸を整えた。
「シラーさん、コイツ……熱があるかも」
ササハを抱えるロニファンが困惑した表情で、首だけ回し振り返る。レンシュラ達には分からないが、ササハには何かが見え、何かをしたのかも知れない。それは本人に確認しないことには分からないが――――
「とにかくここを離れるぞ」
話しを聞きたい人物はどちらとも意識を失ってしまった。レンシュラは震える自身の手を悟られぬようフェスカを担ぎ、沈黙のまま山を下った。




