22話 夜明け前のぐちゃぐちゃ
深夜。特に眠りについてはいなかったが、寝具に潜り込んでいたロニファンはのそりと抜け出した。現在はフェスカが押さえていた宿屋に無理にでも空き室を用意され、レンシュラとササハも同じ室内にいる。ササハは二台しかないベッドのもう一台のほうで山を作っているが、自分はいいからとレンシュラは扉近くのソファーに毛布を被って目を閉じている。
ササハはシーツの小山が上下していることから寝ているのだろう。レンシュラは眠っているかどうかは分からないが、ロニファンが足音を立てずに扉へと近づき、そのまま外に出ても止められることはなかった。
借りた部屋は二階にあり、明かりのない暗い階段をロニファンは下りる。宿屋にはフェスカの部下が多数宿泊しているため人の気配は多く、宿屋の入口には夜の見張りなのか二~三人起きている様子だった。なのでロニファンはそれらを避け別の出入り口を探した。
とにかく外に、一人になりたかった。別に今から父の元へ向かおうだなんて思ってはいないし、今も目的があって部屋を抜け出した訳では無い。ただ、本当に、自分でも分からないが柔らかな寝具に包まれ、魔道具で温められた室内で大人しく寝ていることが出来なかったのだ。
「さむっ…………」
宿の反対側に裏口を見つけ、そちらには人の気配がなかったため外へと出る。鍵はかかっていたが中から簡単に開けられるもので、もしかしたらフェスカにも予想されていたのかも知れないなと遠慮なく夜の中へと足を進める。周辺に人はなく、しかし敢えて例の場所とは反対方向へと向かう。町の住民も寝静まっている時刻なため、月明かりを頭上にふらふらと雪に足跡を残し彷徨った。
幸い雪は降っていなかったが、沈黙を守りながらも衝動的に出てきたロニファンは最低限の防寒しかしていなかった。宿屋は比較的町の中心地にあったが、人の気配を避け、避けて避けてようやく一人っきりになれたと確信出来た場所は町の外れだった。
「っ………………は?」
急に足に力が入らなくなりロニファンは膝をつき、堰を切ったように涙と引きつった笑いが溢れた。
「は、ははは。なんで? 意味わかんね……」
地面についた箇所がじわじわと水分を吸い、反対に目からは熱い雫が溢れ出る。
「なんで……何で親父がっなんで……なんでっ!!」
暫くロニファンは一人で泣き続けた。こんな事をしていても意味はないのだと、自身で踏ん切りが付けられるようになるまで、ずっと。
そうしてロニファンが疲れて、いい加減戻らなくてはと顔を上げた頃迎えが来た。そこには暖かそうなブランケットを広げ着ぶくれしたササハと、いつも通りのレンシュラがいた。ササハは広げていたブランケットを勢いよくロニファンの頭へと被せると、少しでも冷気を遮断させようと布の端を引っ張り結ぼうとする。
「風引いちゃうよ、まったく。手袋もしてないし、しかたないからわたしの貸してあげる」
「いくら何でも遅すぎる」
ササハの手袋なんてロニファンには小さいし、レンシュラに言われて辺りを気にすれば、まだ暗いながらも空の色が変わり始めているのに気がついた。
「足元とかびちゃびちゃじゃない。帰ったらお湯――お風呂入らせてもらえるか聞かなきゃ」
「そごまで……」
枯れた自分の声に驚き、ロニファンは口を閉じる。けれどササハとレンシュラはそのことには触れず、ただ戻ろうとロニファンの背中を押した。
昨日の出来事をようやっと落とし込めた。そんな気がした。
ロニファンは自分で歩いてここまで来たくせに、帰り道に全く心当たりがない。少し汚してしまったブランケットを肩にかけ直したロニファンは、並んで歩くササハを見た。
「昨日の話し何だけど……お前、本当に協力するのか?」
昨日の話し――とはおそらくフェスカが言った《青の剣士》のこと。カルアンの《黒の賢者》が消滅したことは知られているため、情報交換をしようということになったのだが。
「あんな事言って、何か面倒な事になったりしないか?」
あんな事。
「お前がフェイルを消せるって、何となく思ってたけど本当だったんだな」
「消せるって断言はしてなかったでしょ。《黒の魔術師》が消滅した現場には居合わせたけど、原因がわたしにあったのかは分かりませんって途中で誤魔化したじゃない」
「誤魔化せてたか、あれ?」
昨日のやり取りを思い返し、ロニファンにはいくつかの腑に落ちない点に眉を寄せた。昨晩、キャロルの熱量に感化されたササハは、《青の剣士》を倒す。その協力を惜しまない――というような勢いで話をしていた。しかし途中、フェスカが別の話を挟んだ後からササハの様子が変わった。
「お前、本当にフェイルを退治したり消したり出来るんだろ? なのに何であんな濁すような言い方したんだ?」
ササハはきっと、フェイルを消滅させる力を持っている。ロニファンにとってそれはあくまで推測でしかないが、あながち間違っているとは思っていなかった。なぜならその理由は、訓練生時代にササハの不思議な行動を目撃したからだった。
ロニファンたちの指導係だったカールソンという男が、《黄金の魔術師》にフェイルへと変えられる事件が起こった。フェイルにされたカールソンを倒したのはササハではなかったがその後、混乱する現場でササハは地面を這いながらも何かを探していた。それは小さな赤黒い石で、ロニファンにはその石が何か分からなかったが石を見た瞬間、恐怖に全身が支配された。
まるで心臓が締め付けられるような、息苦しく、覚えのあった恐怖。初めて見たのに、知っているような奇妙な赤。
そんな奇妙な石にササハは手を伸ばし触れようとしている。なのにロニファンはそれを止めることが出来なかった。そしてササハの指が石へと届いた瞬間、石が砕けロニファンの強張った身体からも緊張が解けた。
ロニファンはその感覚を知っていた。初めてロニファンがササハと出会った時。ササハが自身の胸元へ触れて、何かから解放された気がしたのだ。その時は理由もわからず、状況も状況だったため嫌な態度を取ってしまったが。
「お前のことだからてっきり、洗いざらい喋ると思ったのに」
なのにササハは先程のような曖昧な言い方をし、多くは語らなかった。そのため、明日――現時刻では既に今日だが――に改めて話し合いをすることになった。それはあくまで個人間のやり取りで、《青の剣士》を討伐するというような大それたものではなく、あくまで現状出来ることがあるのかを確認しようというような、その程度の約束。
「うん。わたしもキャロルさんから話を聞いてる時は、そうしようと思ったんだけど……」
「気が変わったのか?」
レンシュラも同様に思っていたのか、不思議そうに訊いてくる。それにササハが気まずそうに口元をもにゃらせながら、微妙な表情を浮かべていた。
「はい、その……フェスカさんから適合者? の話を聞いてから、なんかフェスカさんってちょっと変って言うか、全部話しちゃってもいいのかなって心配になったって言うのか………………」
意外そうにレンシュラは目を丸めていたが、もにょって明後日の方向を見ているササハは気づいていない。
「具体的には?」
「へ?」
「具体的に奴のどこに違和感を覚えた? 詳しく言ってみろ」
「どこって、えーと」
詳細を求めるレンシュラにササハは困惑する。
「その、フェスカさんが前に言ってたのと違うなって、思って……特殊魔具が使える条件のこと。一昨日の夜に町長さん家に訪ねて来た時は、この近くで特殊魔具が使えるのはハルツ家の一部だけみたいな事を言っていたのに」
そしてササハは思い出す。
『なぜかハルツ家の血を引く者の中に、ここでも問題なく特殊魔具を使用できる者が必ず、一定数、存在するのです』
とフェスカは言っていた。
「だけど昨日はフェスカさんが魔力を流した範囲内に居た人なら誰でも良いみたいな――実際レンシュラさんの特殊魔具も具現化してたし、昨日言ったことは本当っぽかったですけど……あと監禁するって言った後に、やっぱり大げさに言っただけとか、なんか嘘――――とまでは言わなくても、すぐに意見を変える人なんだって」
そこまで言ってササハはレンシュラに頭を撫でられた。思いっきり、勢いよく。
「そうだな。よく自分で考えたな」
「あわわ、止めて下さい頭が揺れて目が回る~」
「褒めて覚えさせる犬のしつけか?」
わしゃわしゃとササハの頭を撫で回すレンシュラの表情は、珍しくも嬉しそうであった。
「だ、だから、とりあえずは《青の剣士》に近づきたいとは思ったので様子見の流れにして、けど色んなところから応援呼んだり大げさにならない程度のいい感じにならないかな~と曖昧な言い方に留めたんですけど…………でも、キャロルさんのことを思うと心が痛みますね。今更ですけど」
きちんと話すと約束したのに誤魔化した。
「あれ? これってわたしただの嘘つきじゃ」
「嘘は言っていないだろう。実際お前が原因だと証明はされては無いのだから」
「オレも別にいいと思うぜ。嘘つきだろーがお互い様だし、気にする必要ねーだろ」
フェスカの真意は不明だが、厄介な人物なのかも知れない。そう一度でも感じてしまえば、あの思っていることが口に出してしまう癖も演技なのでは? と疑わしくなるのだから不思議である。
「あーやだやだ。他所のお家の人とは言え、一緒にフェイルと戦う仲間なのにこんな疑って適当なこと言っちゃうなんてー」
「いや時には疑うことも必要――――成長したな」
「だから、ぐしゃぐしゃしないでくださいー」
「へっくしゅん! あー寒っ~足冷てー」
「ロニファンは大丈夫!?? 手袋いる??」
「お気持ちだけで~へぶちっ!」
いつの間にか空には朝日が顔を出し、薄っすら明るくなり始めていた。




