7話 エンカナの町
「あそこが……」
山際の斜面が途切れた場所で、ササハは白に覆われた町に声をもらす。もとはそれなりに人の出入りがあった町だった。それがいつしか人が減り、他所では村としか呼べないほどの人数にまで減ってしまった小さな町だった。
「はやく行きましょう!」
「おい、走るな。危ない」
何事もなく冬山を越えたササハは、友人の生まれ故郷を前に浮足立っていた。レンシュラの咎める声を聞きながらも、期待に逸る気持ちが抑えきれない。だがそれと同時に、自身でも形容し難い不安も感じており、一刻でもはやく町へと入り確認がしたかった。
「リオの家族は、まだここに居るのかな……」
ぽつりと漏れた独り言。近くにいてそれを聞いたレンシュラは、励ますようにササハの頭を撫でた。
その町はエンカナと呼ばれ、北部でもより北側にあった。地図上で見れば海寄りとも言えるが、それまでに大きな山脈が間を隔てていた。そのため山から冷たい風が降り注ぎ、冬場は特に厳しいものになっていた。
そんな時期に、自殺行為とも言える山越えをし、関係性が全く想像もつかない三人組が町を訪れたのだ。雪に埋もれた町でひっそりと家に籠もり、家族で新しい年を祝っていた人々を警戒させたのは当然のことだった。
「君がチェイスさんの言ってた息子さんだったか」
「……ども」
最初、町の入口に到着した際、質素な柵で作られたそれは閉じられていた。降り積もった雪に囲まれている中、町へと続く道は馬車も問題なく走れるように除雪されていた。そのため人の出入りがそれなりにあるのかと思っていたがそういう訳でもないのか、入口を管理しているような人気はあらず、かろうじて柵の端から垂れ下がっていた呼び鈴代わりの小さな鐘があるだけ。この鐘を鳴らしたところでどうなるんだと小さく、遠目からでも錆びているだろうと分かる鐘から下がる紐に手を伸ばせば、いくらも力を込めぬ間に鐘を結びつけていた方の紐が切れ、ゴトンと地面に落ちた。
鐘を鳴らしてみるかと紐を引いたのはレンシュラで、ササハがどれだけの力を込めたのかと慌てたが、レンシュラは違うと珍しく困惑しながら否定した。ロニファンが「こりゃだいぶ傷んでるな。むしろよく保ってたほうだ」と冷静に擦り切れた紐を見下ろす。
と、そこに数人の男性が姿を見せた。着込んでいてもその下はひょろっこいと分かる、気の弱そうな男を先頭――というか、なんとか背後に控える屈強な男数人に押し出されているようで、手にはなぜかわずかにひしゃげたフライパン。背後の男たちも、各々桑やら斧、ナタなどのどう見繕っても歓迎ムードではない武器を持ち突然の来訪者たちを睨みつけていた。
「わざとじゃないんです! レンシュラさんがムキムキすぎただけで!!」
「何を言ってるんだ」
「果物とかも、簡単に握りつぶせるくらいムキムキだから」
「そんなこと一度もしたことはないが?!」
「落ち着けって……でも、実際簡単に握り潰せそうっすよね」
「お前ら・・・はあ」
きょどるササハに、余計なことを言うロニファン。レンシュラはもう止めてくれとため息をついた。
それが町の入口での出来事。そのあと武器を手に現れた屈強な男たちは町に住む農夫たちであり、先頭にいた涙目のフライパン男が町長の息子であることが分かった。そしていくつか言葉を交わすうちにロニファンがチェイスの息子であることが分かり、そこでようやっと町人たちは武器を収めたのだった。
「そうか……チェイスさんの行方が……」
町長の家に案内され、温かな飲み物に身体が緩む。ロニファンの父であるチェイスは、エンカナの住民にとっては馴染の人物であるらしかった。
それはロニファンがまだ幼い頃。持病を抱えていた母のために、チェイスはエンカナをよく訪れていた。年々居住者が減っていた町ではあったが、なぜか腕のたつ医者や現役を引退した職人。名店で働いていてたと言われても納得してしまう程の手作り菓子を置く雑貨屋主人など――なぜこんな辺鄙な場所に? と首をかしげる者たちが揃っていた。
そんな町の住民に顔を覚えられるほどだったチェイスが、エンカナに行かなくなったのは、薬を必要とする人物が亡くなってしまったから。たまにロニファンの為に雑貨屋へ菓子を買いに行くこともあったが、それもロニファンが成長することによって止めてしまった。いつまでも幼いと思っていた息子はいつしか父の持ち帰る菓子より、一人町へ繰り出し友を作ることを知っていったから。
「チェイスさんには昔、個人的にお世話になってね。僕が今より若くて、未熟だったころ……町長の息子として不自由なく生活してただけの僕だけど、こんな小さな町なんかはやく出て、もっと大きな町で金を稼げる仕事に就くんだ! なんて甘い考で町を出ようとしたことがあったんだ。だけどそんな僕の話を聞いて、言葉をかけてくれたのがチェイスさんだったんだよ」
ロニファンの向かいに座っている、眼鏡の男をササハは見る。線の細い、如何にも荒事は苦手だという風貌の優男。エンカナの時期町長であり、現在は雪かきで腰を痛めた父の代わりに仕事をしていると教えてもらった。名はコルト。コルトの母親は最初にお茶を出してくれてからは以降、腰を痛めベッドで苦しんでいる町長を監視をするため出ていったきりだった。
「チェイスさんは思慮深い人だから、きっと何か理由があったんだと思うけど…………父親という生き物は、どうしてこう強がりで、格好つけばかりなんだろう。一言そうだなり、なんなりしてくれたらいいのに。うちの頑固親父だって、もう若くないのに男手のない家の雪かきを何件も回って……僕らに任せてって言ってもちっとも聞く耳持たずで腰を痛めたんだ」
コルトを含め、町にはまだ若い男衆が何人かいる。そういった若い衆が率先しやる気を見せても、コルトの父親含め親世代は、お前らばかりに任せちゃおれん。年寄り扱いするなと無茶なことをするらしかった。
「それ、わたしも分かります! うちもお母――ばあちゃんが重たい荷物とか持ってるの見る度ヒヤヒヤして、変わるって言ってるのに大丈夫って言うばっかりでした」
「そうなんだよ」
「しかも勝てない。口でも、なぜか力でも」
「そう! 本当にそうなんだ! 常識的に考えれば、無理させちゃいけない年齢なのに、実際は全然そんなことなくて。なのにふとした瞬間ドキッとする場面があって」
「なのにそれを悟らせないよう平気な振りしますよね!」
「そう!! もう、ほんっとうに心配! こっちの身にもなって欲しいって話だよ!」
何故か危なっかしい年長者話で、意気投合するササハとコルト。
「でも……まあ、全て任せても大丈夫と思ってもらえていない、僕自身が悪いんだけれどね。ほんと情けないよ」
苦い表情を作るコルトに、ササハはそんなことないと言いたかったが、自身に置き換え共感してしまう部分があったため言葉に出来なかった。自分がもっと頼りになったら、母も子供扱いばかりせず頼ってくれたかもしれなかっただろうかと。
しゅん、と似た感じで大人しくなった二人に、ロニファンが軽いため息をついた。
「そこまで落ち込むこと無くね? そりゃ、頼ってもらえないのは、力不足が原因なこともあるけど、この場合は違うだろ。それこそ町長さん? も責任ある立場から出来ることはやりたいだろうし、人任せに自分はぐうたら怠けてる奴より良いじゃねーか」
「つまり……どゆこと?」
「はあ?」
困惑した表情を浮かべているササハに、逆に困惑する。遠回しというか、敢えて断定せず、やんわりと伝えた事柄の明確化を求められるなんて。
「はあ……ほんとお前は頭悪いな」
「なんですって! そんな言い方、あんまりじゃない」
「はいはい、ごめんなさい」
「本気で悪いって思ってない! だから許さない!」
「あーもう面倒くせーな。ごめんなさい、悪かったです」
「だめー!」
頬をむくれさせるササハを、レンシュラが宥める。その流れでロニファンにお前のせいだぞと、非難の目を向けるのも忘れない。確かに、最初に要らぬちょっかいを出したのは自分だ。ロニファンは面倒そうに肩をすくめた。
「だからよ、そんな必要以上に気にするなって言いたいの。オレは」
ロニファンは母の事を思い出す。チェイスが薬を調達しに数日家を留守にする度、母は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしていた。迷惑かけてごめんなさい、私のために、と。しかし、その都度チェイスは首を横に振りそんなことはないと真摯に思いを告げていた。
「やりたいからやってるんだ。喜んで欲しくて、そうしたくて。だからそれを申し訳ないからって、悲観的な重荷に変える必要はねーんだよ」
それよりも力になれたのだと、喜んでもらえたのだと安堵したいのだとチェイスは言っていた。
そう言ったロニファンの言葉に、急にコトルが笑い出した。
「あはは。本当に、君はチェイスさんの息子さんだ」
細まったコルトの目には、懐かしさが滲んでいた。
「町を出ようと意気込んでいた僕に、チェイスさんは言ってくれたんだ。それが本当に自分の望みであるなら、やりたいようにやれって。皆そうしてるって。そして僕は町を出るのをやめた。僕がほんとうにやりたかったことに気づいたから」
人が減るばかりの町。若者が減り高齢化が進む一方、残された側の焦りと、このままでいいのかと言う不安。ここではない大きな街で、金を稼ぎ、技術を身に着け、そうすることこそが本当に自分のやるべきことではないのかと。小さな町の現状を維持するだけの日々ではなく、自分の可能性に賭け外に出るべきではないのかとそう迷っていた。
「やりたいようにやれと言われて、僕は気が楽になったんだよ。だって、本当は町の外に出るのは怖かったから。確証もない、未知への挑戦なんて本当はやりたくなかったんだよ。そんなことより父の仕事を、一番近くで支えたいと思った。思っていたんだ、本当は」
だけれど新しいことに挑戦したくないだなんて、言っても良いのか分からなかった。町を出る年の近い者たちを、周りは心配しながらも最後には笑顔で送り出していた。中には別の街で成功し、安定した仕事を手にした者もいた。そしてそれを町に残っていた家族が誇らしげに語り、いつしかコルト自身もそうあるべきなのかと思い込んでいた。
「僕はこの小さな町が好きで、頼りなくて非力な自分のままでも認めてもらえたらなって、本当はそう思ってたんだ。――そしてそれを気づかせてくれたのが、チェイスさんだった」
が、結局また似たようなことを悩んでしまっていたなと、コルトは恥ずかしそうに笑って言った。
「なんだか恥ずかしいね。はは――それで話を戻すけど、ロニファン君たちはチェイスさんの行方を探してここに来たんだよね」
チェイスのことだけではないが、とりあえずは頷いておけとレンシュラがササハの口を塞いだ。
「それならばここにいる間は、僕の家に泊まるといいよ。むしろ宿屋なんてないから、どのみち僕が案内出来る場所に泊まるしかないんだけど」
「いや、十分に有り難い」
レンシュラがすかさず礼を言う。よほどの場でない限り着飾ったりしないレンシュラは、家名持ちの貴族には見えず、コルトも山越えに雇った用心棒かなにかかと勘違いしていた。
「ありがとうございます。本当に助かります」
続いて礼を言うササハにも、コルトは表情を和らげ笑みを作る。
「あ、でも町の皆に君たちのことを報せるまでは、あまり外を出歩かないほうが良いかもしれない」
「それは、なぜですか?」
「えーと、それが、その……」
急にコルトの歯切れが悪くなる。よそ者には排他的な町なのだろうかと、レンシュラも口を開く。
「もちろん迷惑にならないよう留意する」
「いや、その……貴方たちが、というよりも町のほうがと言いますか……」
「? 何かあるんすか?」
「えーと、その、…………………………、出るんだよ」
「「「出る?」」」
何が? とよそ者三人の声が重なる。
「幽霊がね、出るんだよ。それで町の者も皆、過敏になっていて」
信じてもらえないだろうけれどと言うコルトに、なんだ幽霊かと、かつてロキアの街で幽霊騒動にビビリ倒していた小娘は鼻を鳴らした。




