3話 お呼びでないお客人
リオが姿を消した。ササハがそれを知ったのは新しい年を迎え数日経った頃。まだラントが王都へと向かう前。カルアン当主であったヒュメイクの葬儀やらなんやらで慌ただしかった本家も、かろうじての平常を取り戻し始めた頃だった。
リオークでも同様の目まぐるしさであっただろうが、それが落ち着くと同時にリオが家を出た。誰にも、なんの挨拶もなく。それを不審に思った人物は、意外なことにセーラ夫人であった。長い間、不安定な状態であったセーラであったが、その時の記憶はちゃんとあった。
リオはカルアンへ来てからは家に戻っていなかった。それでも、出ていく時には出立の言葉は残していった。当時、すでにまともな状態になかったセーラに対しても、姿を見せ、頭を下げて出ていった。なので、今回自らの意思で残ったにも関わらず、何も告げづに姿を消したことに違和感を感じたようだ。ベルデあたりはカルアンに行ったのだろうと言ったが、セーラはそれをカルアンに確認する前に別の行動を取った。
それは領地間の境にある検問所を、リオが通ったか確認することだった。そして分かったことは、リオがカルアンに向かった記録はなく、むしろリオーク管轄の南部地域から出た記録すらなかったのだ。故にセーラはカルアンに――――これまでまともに接することすらしてやれなかった養子が気に掛ける、少女の元に報せを送った。リオが行方不明になった。それも、あくまでも憶測ではあるが、誘拐などではなく自らの意思で姿を消した。と、セーラは感じているという旨を。
「リオはいったいどこに行っちゃったんでしょうか?」
白い息を吐き出しながら、ササハは背後を歩いているレンシュラに問うた。
「……さあな」
「レンシュラさんって、リオと仲良しだったんですよね。これまでにも、そんなことってあったんですか?」
「………………、いいや。ふらふらと出歩くことはあったが、全く行方が分からないなんてことはなかったな」
仲良し、のところで眉をひそめたレンシュラだったが、面倒だったのか特に否定はしなかった。
「でも、領境の検問所は通ってなかったんだろ? ならまだリオークのどっかにいるんじゃねーの? だからこんな真冬に、わざわざこんなところに来なくても」
先頭を歩いていたロニファンは、訝しみながら不満を口にする。
「……だって、リオ言ってたもん。帰ってから見てねって」
テフォダの私室に隠されていた紙の束。その中の一枚の紙切れ。とある少年がまだ、リオークの姓をもらう前の唯一の情報。
「こんな回りくどいこと、絶対リオがいなくなったことと関係があるよ。………………たぶん、きっと、だけど」
ササハは律儀にその紙束をカルアンに戻ってから目を通した。正確には、あの時はすぐに転移の魔道具で戻る準備がされていたため、確認する暇がなかったためだが。リオが、あまりにも真剣な表情で言うものだから、素直に彼の言う通りにしようと、そう思った。
「…………アイツも、色々あったんだな」
ロニファンがポツリと零す。今回、危険な雪山への道案内を頼むに当たって、ロニファンにも少しだけリオの事情を説明した。彼は養子で、前当主の個人的な理由によりリオークへと引き取られた。それはリオ自身が望んだことではなく、ただ喜ばしく幸せなことばかりではなかったと。
ぼんやりと濁した説明ではあったが、何かを察したロニファンは里帰りを名分に協力を申し出てくれた。渡された数枚の紙束の殆どは実験記録だったが、ただ、最後の一枚。ササハが今、大事に胸ポケットにしまっている紙切れだけには、ノアという少年のことについて書かれていた。簡潔に、年齢、身体的特徴。家族構成に、どこに住んでいたのかだけが。
「それにしても、リオってお兄さんがいたんだね」
雪を踏みしめる音が届く。書かれていた家族構成に、両親と六つ年が離れた兄が一人。
「お兄さんか……」
小さく呟いたササハの言葉は、静かに雪に吸い込まれていった。
◆◆□◆◆
カルアン本家。その邸の中でも最上級の応接室にて、ブルメアは今にも引きつりそうな口元を必死に堪え笑顔を維持していた。
ブルメアが座るソファーの後ろには、すでに魂が半分抜けかけ、顔面蒼白なハートィ。もしかしなくともプルプルと小さく震える様子に、少しは隠せとブルメアは心の内で青筋を立てる。
そうしてブルメアの正面には一人の少年。ブルメアとハートィをこの状況に追い込んでいるのは、金の髪に緑色の瞳をした十歳ほどの男児。
「隠したって無駄ですよ! ぼくにはすべてお見通しです。さあ、あの凶悪な化け物どもをやっつけたと言う女性を呼んでください」
「ですから、その者は現在おりません。行き先も告げづ、気づけば姿を消しておりました」
「嘘です。お姉さんは嘘をついています!」
「王子殿下、嘘ではございません」
「本当に~?」
「本当です」
嘘である。
ブルメアが現在対峙しているのは、この国の第二王子コリュート・リュセ・イクリアス。見た目は十歳ほどの少年に見えるが、遺伝なのか王家の血を引くものは体格がよく、コリュートの実際の年齢は八つである。
そしてその第二王子の背後には二人の護衛。そう、たった二人しか護衛がいない。しかもブルメアも知る王家近衛隊の制服は着ておらず、どちらかと言えば黒一色の……なんだ? 闇装束??
「この者たちはぼくが個人的に雇った何でも屋さんです」
「もしかして、殿下っ……ここにいらっしゃることは、どなたにもっ!!」
「母上はご存知です」
「ほ……」
「反対されましたけど」
「かひゅっ!!」
一体どういうことだ!? 怪しそうな護衛に、つい怪訝な眼差しを向けてしまったブルメアだったが、コリュートは気にする様子はなくむしろご機嫌に説明をし、その内容にブルメアの息が止まった。
いまこの男児――ではなく王子はなんと言った?!
「もしかして……ご許可なく、無断で・・・」
血の気が引いたブルメアに、コリュートは舌を出し可愛らしい笑顔を見せる。
「お兄様のマカイゾウ魔道具をお借りして、こっそり抜け出して来ちゃいました」
「なんっ! 今すぐお帰りを、いえ、その前に連絡??」
「大丈夫です! 帰りの分もありますので、ケンモンジョに記録も残りませんし、バレなければ問題ありません。なんせゴウホウでマカイゾウらしいので証拠が残らないのです!」
「っっっ~~~~~~!!!!!!」
合法で魔改造された転移の魔道具。それは恐らく、魔塔が十数年前に勢力をあげて作った究極の駄作。具体的に言うと、通常四大家門が管轄する領地外に出る際には、大きな検問所に記録が残る。それは魔法を使わず通過しようが、転移の魔導を使用して通過しようが関係ない。だが、何を思ったかその記録を残さず行き来が出来る、転移用魔道具を魔塔が完成させ、王家もそれを咎めることをしなかった。
「お兄様はこのゴウホウ魔道具を使えるだけの魔力がないと仰っていたんですが、ぼくには使える自信があったので! そして実際使えましたので、えっへん」
誇らしげに胸を張る幼い王子に、ブルメアの思考は完全に停止した。先程の無茶苦茶な魔道具、たった一つだが大きすぎる欠点があり、使用魔力が多すぎて使える人物がほぼ皆無であることだ。なのに多人数の魔力を合わせることは駄目で、同じ人物の魔力のみ。魔道具自体の量産は可能で、市場に出回ったこともあったが使用できる者はおらず、魔塔もその後の改良は行わず生産終了。
つまり、使える人間がいないただの箱。作られた意味も、それが出回った理由も謎のまま、けれど使えたらマジ便利と手放すことも出来ず、なんだかんだ高値で取引されてたりもする厄介な代物。
「なんだか、目眩が……」
「ひぃ。ウチを残して倒れないでくださいっすブルメア様!」
本当に気を失ったりはしないが、気持ちは是非ともそうしたい。
そもそもブルメアとて現状を把握出来ている訳では無い。新しく当主となった父は王都におり、帰って来て再開を喜んだ従姉妹はすぐまた出かけることになった。祈念祭はまだ終了していないため、他家からコンタクトがあったとしても、父が帰るのを待ってくれと言えばいいと思っていたのに。
何気ない昼過ぎを過ごしていたら、いきなりの王族の訪問。しかも未成年、保護者の了承なし。恐らくトナー辺りが王家に確認の連絡を入れてはいるはずだが、返事がくるのはいつごろになるのやら。
「ぼくも夕方までは時間があります! なのでそれまではお付き合いください!」
「………………」
「よろしくお願いしますね、お姉さん!」
それにしても、この王子様はなぜブルメアに対して丁寧口調で話すのだろうと現実逃避する。
「ぼくの話し方はこのほうが格好いいと思ったからです! 紳士っぽいので!」
人の心が読めるのかと戦慄する。ヤダ怖いはよ帰れ。
だが、コリュートの目当ての人物、ササハはいない。行き先を教える気もない。
(もしかして、王都から迎えが来るか、夕方になるまでこちらにいらっしゃるのかしら)
別室で待機しているであろうブルメアの母も、気が気でないだろう。コリュートは自分の対応相手に、なぜかブルメアを名指しで指名してきたのだ。
「ふふふ。カルアン当主代理――そうだ、今は代理ではないんでしたっけ。あの人が言ってた通りです」
「へ?」
不躾ながらも、素の声音が漏れ出た。ラントが第二王子になにか言ったようだ。が、一体なにを?
「自分の娘は天から舞い降りた天使で、キレイで可愛くて心優しい娘なのだと。そんなこと言われたら気になっちゃうじゃないですか! 絶対見たい! って思うじゃないですか。それで見に来たら、ほんとうにその通りでした」
そう言ってふくふくの頬を赤らめる少年に、ブルメアは喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込み我慢した。
このマセガキが! さっさと城に帰れ! ――――を。




