2話 今日も元気です
イクリアス王国、第一王子――――ゼルス・リュセ・イクリアス。金の髪に新緑色の瞳。現役の騎士にも劣らぬ体躯と、剣技においてはそれに恥じぬ実力もある。
ゼルスの登場に参加者たち静まり、同時に国のトップが不在の中、会がはじまることに誰も異論を呈じなかった。彼はここ数年、身体の不調が続く国王の代わりに政務に携わっていたからだ。そうして、国王の体調不良も――この国では珍しいことではなかった。なぜなら歴代の王たちは例外なく、王の座について数年後には身体に不調をきたし、緩やかに、だが確実に悪化の一途を辿るからだ。
「この顔ぶれも久しいな。ちょうど一年ぶりか?」
卓の一番奥に座ったゼルスが辺りを見渡し言う。
「此度は積もる話もあろう、なあ、カルアンよ」
言ってゼルスはラントを見る。ラントは落ち着いた様子で視線を返すと、柔らかい笑みを浮かべながら相槌を打った。
「そうでございますね、殿下」
「ああ。他の者もいつもの定期報告よりも、カルアンのことが気になってしかたないだろう」
ラントとは違って豪快な笑みを見せるゼルスは、周囲の賛同は関係なくそう確信しているような口ぶりだ。
「まだるっこしい話はいい。《黒の賢者》と《赤の巫女姫》を消滅させた娘はどこにいる。合わせよ」
「無理です。家出しました」
「は? いえ、で? だと??」
敢えて場を読まずに詰めてきたゼルスを、ラントも負けず劣らずの勢いで迎え撃った。
「はい。家出です。理由は分からないのですが、当主……兄の葬儀を終えてまもなく、短い書き置きだけを残し姿を消してしまいまして、、、。今頃どこで何をしているのか、寒さに震えていないか私も心配で心配で……うぅ、ぐす」
ラントはわざとらしく泣き真似をしたが、それを真の涙だと思っている者は一人もいない。
「ですので、行方不明の姪を探すため、私も今すぐにでも帰らせていただきたく思います!」
「駄目に決まっているだろう! もっと詳細を話せ! ふざけずに!」
使用人すら控えていない室内は、気軽なやり取りが暗黙の了解で許されている。ラントが小さく舌打ちをしたのを、ゼルスは寛大な心で睨むだけにしてやった。これでも同時期に学園に在籍した、先輩後輩の間柄でもある。
そんな二人に、ソリューはやれやれといった様子でため息をつく。むしろ初めて会議に参加したリオーク当主がつまらないやり取りを前に、体調不良と驚きを必死に隠そうとしているのが哀れでならなかった。
「さて、どうしたもんかね」
ソリューは呆れた表情を見せながら、誰に拾われなくてもいいと小さな声でこぼす。ゼルスもラントもいつもの調子で、表面上はふざけた態度であるが。ソリューにとっては冗談でも、笑い事でもなかった。
絶対的な脅威の消失。すべてが後手にまわった傍観者の位置。
「で、その家出娘ちゃんの書き置きにはなんて?」
とりあえず今は、目の前の小僧から得られる情報を絞り取る。王家がこの件をどう処理したいのかは定かではないが――――フェイルの殲滅は国の悲願のはずだ。
年長者の威厳を纏わせ、余裕を滲ませるソリューにラントは一つ頷いて答えた。
「書き置きにはただ一言『探さないでください』とだけ」
「・・・」
「・・・」
ソリューとゼルスが神妙な面持ちで黙り込む。
「このクソガキ、よくもそんな見え透いた嘘をっ! 一発ぶん殴ってやろうか」
「嫌です。やめてください」
ソリューは震える拳を握りしめた。
◆◆□◆◆
その頃、ササハというと。
「さ、寒いぃ。それに雪で上手く前に進めないー」
山へと続くなだらかなあぜ道。だったはずの一面の銀世界。現在は止んでいるとはいえ、降り積もった雪はササハの膝した近くまで達している。
そんな、あくせくと新雪をかき分けるササハをレンシュラが無言で引き上げ、先を歩いていたロニファンが白けたジト目で振り返った。
「だから、雪に慣れてる、地元民のオレが、先を歩いて雪を固めてやってるのに、なんでそこを踏まねーんだよ。何度も同じこと言わせるな!」
「うぅ、ごめんなさい。つい景色を見てたら、いつの間にかズレてて」
「よそ見をするな! ちゃんと前と足元を見ろ! 雪山舐めんなマジ死ぬぞ!!」
「はぃ~。仰るとおりです」
しゅんと小さくなるササハに、レンシュラも流石にお前が悪いと呆れた様子だ。現在ササハ、レンシュラ、ロニファンの三名は、北部にあるロニファンの実家を目指していた。
「本当はこの時期に山登りなんか自殺行為でしかないんだぞ」
「うん、すっごく感謝してます! わたしたちの我が儘に付き合ってくれて、ありがとうございますロニファンさん!」
「…………」
ササハは自身の右胸辺りに手をやり、白い息を吐き出しながら礼を言う。着膨れたササハの胸元には、一枚の紙切れが入っている。その紙切れが何なのかは、協力を求められた時に説明されたのでロニファンも知っている。
「オレん家があった場所までもうすぐだ。日が暮れるまでにはつかないと本当にヤバいからもっと急げよ」
「はい!」
「これも何度も言うけど、ちゃんとした家は期待すんなよ。ただでさえボロ小屋だったのを、何でか親父がぶっ壊して家を出ちまったからな。着いたらまず修繕からだ」
「任せてください、体力には自信があります!」
「ラントさんに頼んで、あの馬鹿たれの給料から魔道具を大量に購入してもらった。最悪、ひと月程度なら何もない雪山で過ごせるだけの準備はある」
「レンシュラさんもありがとうございます!」
「ひと月って……そっちは準備万全すぎかよ・・・」
更には他人の給料を勝手に使い込んでいる事態に、ロニファンは口元を引きつらせつつも、自業自得かと気にしないことにした。今、ササハたちが真冬の雪山に挑んでいるのは、ノア・リオークのせいなのだから。
「大丈夫。リオが残してくれた……この場所に行けば、きっと」
小さく呟いたササハの言葉は、誰に届くことなく雪に沈む。
リオークの屋敷で、先代リオーク当主の部屋に飾られた肖像画に隠されていた紙。その紙切れには、とある少年の情報が記されていた。
彼が、まだリオーク姓を得る前。ただの少年だったころノアという名前の少年は、北部の果てにある小さな町の出身であると。
「ロニファンさんのお家が、目的の町と近くて助かりました」
「別に近くはねーよ。ただ、その町の話が入ってくるぐらいの距離ではあったけど、実際に行ってみたことはないぜ。…………それと、オレも家の様子を確認したいって思ってたとこだし。ちょうど良かっただけだ」
「ロニファンさん最高! ありがとうございます!」
ニコニコと笑うササハの顔は、雪山の冷気のせいで赤くなっている。
リオークでのごたごたの終盤。いつの間にか姿を消したリオの行方は未だに掴めていない。だから、今ササハたちが向かっている場所に、目的の人物がいるのかは定かではない。あくまでも推測。
それでもリオたちを探しに行きたいと言ったササハに、レンシュラは反対せず、目的地付近が地元だと判明したロニファンを巻き込んで現在に至る。
「あと、さ」
「はい!」
「そのかしこまった話し方、やめろよ。名前とかも、呼び捨てでいい。同期のよしみだ」
「…………、! わかった! 改めてよろしくね、ロニファン!」
「切り替え上手かよ。別にいいけど」
また、足元が疎かになってルートからズレ出したササハに、手ぐらいは貸してやろうとロニファンが一歩戻る。その時ちょうど、ササハのすぐ後ろに立っていたレンシュラと目が合い、直前のササハとのやり取りを思い出して赤くなる。
「む、無駄話し過ぎた! さっさと行くぞ」
「うわっと、危な。転ぶかと思った」
「だからちゃんと前を見ろ! 足元確認しろ!!」
「分かってるよ!」
コイツら元気だなと、レンシュラは片足を雪に埋まらせたササハを引っこ抜きながら思った。




