1話 会議
薄闇の空間。長い年月を感じさせる、廃れた広間。窓はなく、しかしある部分には人工の灯りが惜しげもなく並んで、一箇所のみを煌々と照らしている。広間の奥にある壇上には薄い布が引かれ、薄らと揺れる影の向こうには寝台があるように見える。本来であれば、そう。玉座のような。そういった座する席があるような場所に。
そのシルエットが揺れる、布切れの際。古びた石段を覆う、場違いなほど真新しく上質な赤の絨毯の上で、ムエルマは赤い唇を引き上げて石段に身を委ねていた。嬉しそうに、光悦に浸る笑みが深まる。
「お聞きになりました? 赤のアレも消えたそうですわ」
最初は小さく笑っていたムエルマだったが、次第に連動する肩の動きも大きくなっていった。
「あは、あはは。なんてことなの! こんなにも喜ばしいことが起こるなんて!! このまま残りもすべて片付けてくれればいいいのに!」
もしかすれば、もうすぐと、ムエルマは頬を紅潮させて笑む。石段を這い壇上へと手を伸ばし、垂れる布のすぐ手前で名残おしそうに引き戻す。
それまで、まるで愛しき人と逢瀬を楽しんでいたかのようだったムエルマは表情を戻し、背後を振り返った。
薄ら寒い広間に足音が響き、少し離れた場所でピタリと止む。足音はそれ以上近づかないことを知るムエルマは、先ほどとは別種の笑みを浮かべ相手を迎えた。
「あらやだ。普段は誘っても来ないくせに、珍しいこともあるものね」
それはこの場所に対してのことなのか。
足音の主――――白のローブを纏うケイレヴは黙してムエルマの言葉には答えなかった。ケイレヴのつり上がった糸目は弧を描き、ムエルマもまた笑みを浮かべているが、そこに互いへの親しみはない。
「あの者はどうなさる、おつもりですか?」
「えー。あの者ってぇ?」
「あなたが使っている、カレツァの男ですよ」
「あーあの子ね」
分かっているのに知らないふりをするムエルマ。くすくすと笑う声が広間を抜けるが、ケイレヴはそれには反応せず静かに待つ。
「アタシがあげたダッサイお面。大事につけちゃってるのよ。なんて愛らしいのかしら」
「……あの者は、最近のあなたの言動に不満を抱いているようですが?」
「その辺に落ちてた適当なお面だったのにぃ。本当に笑っちゃう」
ムエルマはケイレヴから視線を外すと、うっとりとした様子で壇上を見上げる。酔ったように石段に身を寄せ、ムエルマの長い金の髪が赤の敷物に広がった。
「放っておいても大丈夫よ。邪魔になるなら殺しちゃえばいいし」
近くに転がっていた石を、ムエルマは爪の先で遊ぶ。小さな、薄汚れた真っ黒の石。その黒の石はムエルマが触れた途端、薄っすらと赤の光を灯す。黒の宝石の奥に宿る赤い炎。その黒の石を中心に赤い文字が浮かび上がっているが、その文字はムエルマには見えてはいない。
「替えならいくらでもあるしね」
くるくると転がされる石は長い爪に弾かれ、コロコロと石段の脇へと転がり落ちていく。そこには似たような黒の石が、無数に積み重なり小さな山を作っていた。
「ねえ。そんなことより、祈念祭に小ネズミちゃんはくるのぉ? この忌々しい鎖を二本も壊してくれた素敵なお嬢ちゃん。んふー! もー本当にいい子。抱きしめて撫で撫でして、なんならアタシが飼ってあげても」
「その必要はありません」
ケイレヴがムエルマの言葉を遮った。
「私が見ておりますので」
柱の影がかかる位置でケイレヴは別れの礼を取る。ムエルマからそれ以上の言及はなく、ムエルマもすでに興味を無くし壇上へと視線を戻していた。
くだらない。
広間の灯りが遠ざかり、暗闇が深くなる。前方だけを見据え薄らと開いたケイレヴの目は、鋭く冷たいものだった。
◆◆□◆◆
新しい年を迎えた王都。三日間の静寂の日をすぎると、王都を始め各々の町や村では春の訪れと、豊作を祈る祭りが行われる。元は、まだ魔法技術が発展していない時期に、雪に覆われ身動きが取れなくなる前にと行われていた行事。王都に物資を集めるための口実でもあったそれは、移動用の魔法が広まった今では別の意味合いのほうが強くなっていた。
「おお。よく来たな小僧」
王城にある会議室のひとつ。ラントをその部屋の前まで連れてきた案内係は中には入らず、給仕すら控えていない室内には二人の人物が座っていた。
「これはこれは、ハルツ家当主代理殿。貴殿は覚えていらっしゃらないかも知れませんが、私も今年で三十五になるのですよ。いい加減そのような呼び方は」
「此度はカルアン当主殿のご訃報、お悔やみ申し上げる」
「……お心遣い、ありがとうございます」
「そんな青白い顔で突っ立てないでさっさと座れ、若造」
ラントよりも二十は年を食っているような、白髪交じりの男。フェイル討伐において西部を取り仕切っている、ハルツ家の当主代理の男――ソリュー・ハルツ。実戦にはほとんど参加しないラントとは違い、五十半ばを過ぎようという年齢で若手を押しのけ現場へと直行するような男である。
そうしてもう一人、ソリューとは対になる席にいた女性が立ち上がりラントと挨拶を交わした。女性はラントよりはやや年下で、線の細い儚げな印象を漂わせている。この国でも珍しいほぼ白に近い金髪は、結われることなく薄い背中を隠していた。
「――ぃ――――すか? ――――が、――――すが……」
「えーと、私の体調を気にしてくださっているのでしょうか? それなら大丈夫です。お気遣いくださり、ありがとうございます」
ぽそぽそとほぼ聞き取れないほどの声量で話す女性は、北部を取り仕切るナキルニク家の当主代理――セビィア・ナキルニク。ここ数日まともな睡眠時間を確保出来ていないラントより、さらに輪をかけて青白い顔をしているが、その血色のなさが通常な女性である。
「あとはリオークのメガネか」
ちなみにラントはカルアンのメガネだ。小僧と呼んだり、メガネと呼んだり自由が過ぎる。
「いつも一番乗りのバカ真面目な奴なのに。流石に今回の参加は難しいか」
祈念祭にかこつけた、毎年行われる四家門と王家の会議。対外的には新年の挨拶と、親交を深めているように見せているが、本当は互いの領地の報告会の場である。もちろんフェイルに関しての。
ただ、四家門による報告会と言っても、フェイルの封印を担う当主本人は領地を離れることが出来ないため代理の人間が参加するのだが。他の家門と比べてカルアンだけは代がわりが速かったが、基本変わらぬ顔ぶれが参加していた。
のだが。
「遅くなりまして申し訳ございません」
「え? 貴女は、」
遅くなったと言っても、開始の時刻までは十分に余裕がある。重く大きな扉を開けるだけの余力はなかったのか、使用人が開けた扉から入ってきたのは一人の女性。真っ赤な赤い髪を結い上げ、杖を右手に持ちながらも姿勢を正したセーラ・リオークであった。
「お初にお目にかかります、リオーク家当主……いえ、改めて当主となりましたセーラ・リオークと申します」
「改め……え?」
セーラの言葉が理解出来なかったソリューが、抜けた声を晒す。改めてもなにも、リオーク家当主の名は数年前からセーラ・リオークのはずだ。それとも体調を崩していたとは聞いていたから、その期間に当主を辞する何かがあったのだろうか。分からん。何も分からないが、セーラはそのことについては詳細を説明する気はないのか、ソリューの呟きを拾わなかった。
それより何より、気になる点がもう一つ。
本来であればこの会議に、当主自らが参加することはない。いや、参加出来ないのだ。なのになぜセーラは今、この場に、自領地の外に出られているのだろうか。
それらすべての事情を知っているラントは何食わぬ顔を貫き、他の二名は驚きに目を丸くする。そして本当であれば立っているのもやっとのセーラは、不調を悟られぬよう気丈な笑みを浮かべた。
リオークの真の当主は忘れられた姉だった。それをおかしいことだと認識しないようかけられた呪いは、誤った当主の存在を不審に思うことは出来なかった。当の本人さえも。セーラには当主となれる証――呪い持ちの証である『印』は現れなかったのに。
「夫人、よろしければお席までご案内いたしますよ」
固まるソリューの横をすり抜け、ラントがセーラへと手を差し出す。おそらく会議の参加を無理矢理に納得させられたリハイルが、王都の宿か、娘のいる屋敷かのどちらかで、心配に頭を抱えているだろう姿が想像出来た。
セーラはありがたくラントの申し出を受け入れると、重い足取りを隠しながら歩みを進める。何も出来ずに、呪いに翻弄されるだけしか出来なかった自分を鼓舞するように。
冷や汗一つ滲ませず席についたセーラに、ラントもなんでもない表情を取り繕って自身の席へと戻る。さて、突き刺さる二名の人物になんと説明したものか。ラントがリハイルと事前に行っていた口裏合わせでは、《赤の巫女姫》消滅の報告はまだ王家にしか伝えていないと聞かされていたから。
(ああ、だからリハイルさんから途中、返事が来なくなったのか)
が、その口裏合わせも両家とも忙しく、しかも身内の不幸も重なり情緒めちゃくちゃになりながらの最中だったため、返事など気にする余裕はなかったのだ。
どうやらリハイルのほうでは、夫人の奮起にも振り回されていた様子で、本当にそれどころではなかったようだ。
「ラント。どういうことだ、説明を――」
御婦人に詰め寄ることはしたくないソリューが立ち止まる。それは部屋の外、ピリリとした空気の変化を感じ取ったから。気づけば会議開始の時間であった。
「王太子殿下がいらっしゃったようだ」
現在、国王陛下は体調が優れないと三年ほど姿を見ていない。
ソリューはラントを問い詰めることを止め、席へ戻り起立したまま待つ。それに習うように他の三名も立ち上がり、近づく足音に沈黙を貫く。程なくして部屋の扉が開かれた。
「いやぁ、少し待たせてしまったかな? なかなか今日の気分にあった服が見つけられなくてね」
キラリと白い歯を光らせ、なぜか扉の前でポーズを取って見せた青年――――この国の次代を担う王太子殿下が全く悪びれもなく言った。




