42話 ごたごたの最中
《赤の巫女姫》の消滅。その事実にリオーク本家はひっそりと、だが確実に騒がしくなった。
当主代理として、離れた別邸で仕事をしていたリハイル・リオークは、自身の妻に双子の姉が居たことを思い出し衝撃を受けた。その後すぐに本邸へ連絡を取り、詳細を知るや否や転移の魔道具を使い本邸へと飛んだ。そうして正気を取り戻した妻と、呪い持ちの証である『印』が消えた娘を確認した途端むせび泣いた。
その時ササハは疲労のためベッドで休んでいたのだが、忙しさの合間をぬったリハイルがのちに部屋を訪ねて来て、深い感謝の言葉を伝えられた。ちょうどセーラ夫人やローサは休んだ後だったのか、ベルデまで参戦してきて二人がかりで礼を言われ、その熱量に戸惑った。レイラはむしろ当然を通り越して、うちのお嬢様にひれ伏して感謝しろというような態度だった。
「あの、ひとつだけお願いしてもいいですか? それも、特別急ぐ感じの」
今を逃せば手遅れになるかもしれないこと。
「わたしの伯父を、ティーナ様と会わせてあげてください」
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年老いた一人の男。目も、耳も数日前を境にほとんど駄目になり、未だ命を繋いでいるのが奇跡だと思える男。
いつ生命活動が止まったっておかしくない。少しの衝撃や、些細な負荷すら耐えられないのではと見ている者が青ざめてしまう程の……死が迫る気配。
それでも男はなぜか生きていた。胸の鼓動が数刻、数分でも保つことを喜んだ。思考すらまともに出来なくなったくだびれた脳で。必死に、取り戻した喜びを噛み締めた。
男は更に奇跡を重ね、無理だろうと思われた転移の負荷に耐えた。耐えたが、男は自分がどこにいるのか、どんな状態なのか分かっていない。分かる必要はない。気にならない。もう、なにも分からない。
ただ、空気が冷たいと思った。身体はあちこち痛い気もするし、なにも感じない気もする。よく分からなかった。
視界がぼやける。意識がぼやける。かろうじて息をして、まだ終わっていないだけの状態。
見た物体の識別は出来ない。だが黄色だった。
匂いなんてしない。分からない。だけど感じた気がした。花の香り。記憶。
「――――ぅ、あ……」
声は出なかった。自分が何を発しようとしたのかすら、次の瞬間には頭になかった。
綺麗だった。美しかった。辺り一面に広がる黄色の花。
貴女と見たかった、会いたかった、思い出の――――――。
男は目を閉じた。隣に座る誰かと寄り添いながら。自分では首一つまともに動かせなかったが。なぜか片手だけは動かせた。動いてくれた。愛しい彼女の手を握るために。
ようやく会えましたね。
互い届いた指は、かつての面影などないシワが刻まれたものであっても。
寄り添い、動かなくなった二つの影。動揺し、その影を見守っていた女性が離れた場所で崩れ落ちる。「お姉様、お姉様」と涙を流しながら、夫にそっと抱き寄せられる。
かつて一人の老女が過ごしていた部屋のテラス。そこで寄り添うのは、惹かれ合った二人の男女。そんな彼らの眼前には、小さな裏庭一面に広がる黄色い花畑があった。
「無理をきいていただいて、ありがとうございました」
行き交う人の流れを背景に、ササハはリハイルへ頭を下げた。ササハの提示した願いに、リハイルは初め難色を見せた。単純な話ではなかったから。
自身の采配の範疇を超えている、招待や訪問の許可は出せても今すぐにというのは難しい。リハイルの言うことは最もで、それでもササハはそれらを一つずつ説明し理解を得た。
二人の関係も、二人に残されている時間のこともササハは知ってしまったから。
そうしてごちゃついているリオーク家になんとか協力を取り付け、カルアン側への説明と、説得はササハが目一杯頑張った。初めはどこか落ち込んでいる様子だったレイラも、途中から味方になってくれた。それが当主様の願いであるのならばと。
そしてレイラは、最後の大仕事も率先してやり遂げてくれた。
「レイラさん、大丈夫ですか!」
「モウ、少しモ残ってナイよ。ワタシの魔力はナイなった」
「魔道具の魔力供給――本当にお疲れ様です」
レイラの他にも、何人かのリオーク特務隊の騎士たちが疲れた様子を見せている。
「この時期にあのお花が咲いてないって聞いた時はびっくりしました」
そう言ってササハは窓の外を振り返る。先程まで黄色の花畑が広がっていたはずの庭。しかしそこには花畑どころか一本の花すら咲いておらず、整えられているだけの庭が広がっていた。
確かにあそこには黄色の花が植わっていた。だが、それは数年前までの話だと、少しなら話をする体力が戻ったセーラ夫人に言われ、ササハは目を丸くした。だって、ササハは見たから。確かに。メルに触るなとさえ言われた黄色の花を。
だが遅れて気がついた。もしかしてあの花は、メルが作り出していた幻影だったのではと。おそらくメル自身も何かしらの意図があったのではなく、ただ大切な人のために、大切な人が喜んでくれるからと無意識のうちにそうしていたのではないかと。
と想像したところで困った状況に変わりはなかった。メルは黄色の花をまた一緒に見たいと言っていたのに、肝心なその花がないのだから。けれど――――出来るなら思い出の場所で二人を会わせてあげたい。
その結果が魔道具での幻影魔法。メルがやっていたことをそのまま真似してみようと思い、ササハは周りに助けを求めた。自分では出来ないから。そういった経緯を経て、カルアン当主の無茶すぎる他領訪問が実現された。
――と、話が途切れたところで、リハイルは屋敷の人間に呼ばれどこかへと行った。それをササハとレイラは何となく見送った。
「レイラさんはどうするんですか?」
この後。永遠の眠りについたヒュメイクは、間もなく元の土地へと帰る。
「リハイルさんはいても良いって言ってくれたけど、忙しそうですし迷惑になりますよね」
まだ、リオーク当主であるセーラ夫人は本調子ではなく、今回のことを対処するのは当主代理であるリハイルだ。
「《赤の巫女姫》消滅の詳細ヲ確認しに、神殿や王家がクルかもしれなイ。だからスグに帰るベキ」
面倒事はリオークに任せようと、レイラはただそれだけを言った。
「…………リオは?」
色々あって疲れた。気持ちを切り替えるように、ササハは淡い金色を探した。
「さっきまで、あの辺に居たのに」
「アイツバカのウエに、更におかしくもナった」
「何かあったのかな……」
《赤の巫女姫》消滅後、ササハが会ったのはいつも通りのリオだった。びっくりしたーとか。気づいたらいつの間にか終わってたごめーん。だとか、軽い調子でおどけて見せた。
(避けられてるとは違うけど)
気づいたら近くにいない。話したい時に姿が見えなかったり、共に行動していたはずなのにいつの間にか離れた場所にいたりと――リオの様子に違和感を覚えた。
(わざと人がいるところから遠ざかってる?)
リオークに戻るつもりなのかとも考えたが、そんな雰囲気でもない。
「流石に今の状況じゃあ、リオもお家に残るかしら?」
「ノア・リオークはハクジョーだから、そんなこと考えテないヨ」
「またそんなこと言う」
べ、と舌を出すレイラには、薄っすらとだが泣いた跡が残っている。
「わたしも、今日帰ります」
だが、その前に――――。
「リオを探して来ます」
会って話がしたいから。レイラは複雑な表情を浮かべたが、引き止めはしなかった。




