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41話 彼女らも

 いとも容易く反転する。

 嬉しいも、悲しいも、真逆の感情へと置き換わり、大好きは醜い嫉妬で塗りつぶされる。


「ぁ、ああ、あ……?」


 真冬の、冷たい空の下。防寒具も纏わず、なぜ自分はここにいるのだろうと女――――セーラは思った。


 誰かが恐ろしい化け物に襲われていて、しかしそんなことはすでにセーラの頭の中にはなく、ただ目の前に横たわる老女のことが気がかりで仕方がなかった。


 視界はかすみ、セーラのやせ細った身体には力が入らず、地べたを這うようにしか進めない。


「はあ、はあ……」


 誰だ?


「はあ、あ、ああ」


 着ていた衣服はすっかり汚れ、垂れてくる赤い髪が不快だった。■■■よりくすんだ赤色の髪。■■■のほうがセーラよりもほんの少し鼻が高くて、肌が白くて。■■■のほうがセーラよりもずっとお淑やかで、父親からも愛されていて。


「………………」


 倒れている老女のすぐ側へとたどり着き、セーラは上がった息のまま老女の顔を見下ろした。知らない人だった。記憶にない顔だった。なのにどうしようもなく苦しくなった。喉が引きつり息が出来ない。

 こんな人は知らない。何も思い出せない。


 なのに心臓が切り刻まれているかのように苦しかった。


「ああ、あああ、あ、ああ」


 吐き出す息は白く、取り込んだ空気は肺を凍えさせるほど冷たい。なのにセーラは触れることが出来なかった。老女に、彼女に。老女の薄い肩に触れ、確認するのが怖かった。もしその身が手遅れなほど冷たくなっていたらと想像すると、恐ろしくて堪らなかったのだ。


 誰かも分からぬこの老人が。


 その時セーラのすぐ後ろ、数歩の距離で人影が動いた。ササハという名の少女。セーラの意識外にいた少女は静かに座り込み、俯いていたのだが、すっと目を開き立ち上がった。一枚のハンカチを握りしめたまま。


「っ、ササ――」


 彼もまた近くにはいた。セーラの父がどこからか引き取ってきた血の繋がらない息子。その息子が少女の名を呼び、なのに少女はそれに気を取られることはなくハンカチを握った手を胸の前に突き出した。


「え? よく分かんないけど、こびりついたのを洗い流せばいいのね?」


 少女が何かを言ったと思った瞬間、強力な第六魔力を感じた。


「なら一気に丸洗――え? 刺繍があるところだけって……そんな今更言われても――――はあ? 雑じゃありませんー。メル君が後から言うのが悪いんですぅー」


 セーラには見えないが、何かと言葉を交わしながら、少女の前で第六魔力の竜巻にぐるんぐるんと巻き込まれているハンカチを見上げる。


「え、お父さんに似てるって? そうなんだ、へへ」


 おそらく褒められている訳ではないのだろうが、気づいてない少女が嬉しそうにはにかんだ。


 少女は促されるようにハンカチへと視線を移し、セーラもそれにつられる。


「……本当だ。ほつれていく」


 何がと理解する前に、ぷつんと糸の切れる音がした。そうして全てを取り戻した。思い出した。


 少女が作り出した第六魔力の竜巻はいつの間にか消え、少女の手元には何の柄もない、真っ白な一枚のハンカチが戻ってきた。



 それをノアは呆然と眺めていた。






◆◆□◆◆




 もういっそ死ん、いいや消えてなくなりたい。この愚かで役立たずな己という存在を、僅かの過去から今の現在まで含めて抹消したい。――――そう、全てが終わってから目を覚ましたレイラは、強く深く自身の失態を恥じた。


「チッ! いっそ殺セ!」

「何言ってるんですかレイラさん!?」


 疲れてベッドに倒れ込んでいたササハは、少し離れた場所で突如物騒な事を口にしたレイラに身を起こした。《赤の巫女姫》と呪具の混ざった呪いの影響に意識を奪われていたレイラは、それからの詳細をベルデと共に説明され、そろって言葉を失った。

 その後復活したベルデはすぐに部屋を飛び出し、残ったのはササハとレイラ。現実を受け止め切れないレイラの気持ちが落ち着くのを待つため、互い無理に言葉は交わさずにいたのだ。


「ワタシはなんて役タタずなんだ。どうして……当主サマのサイゴの願いすら、なにも出来ズに、こんな」

「レイラさ」

「情けナイ、情けナイ」


 ポロポロと涙をこぼすレイラは、ササハの知らないレイラの表情だった。


 レイラにとって、当主サマの言葉は何よりも優先される言葉だった。


「無価値だ……」


 受けた恩をまともに返せもしない役立たず。そう自身を評すると嫌でも思い出す、かつての自分。


 レイラは取るに足りない子供だった。いてもいなくても、どちらでも構わない子供だった。


 両親は健在ではあるだろうが、今どこで何をしているのかはレイラにも分からない。レイラが知ろうとしなかったから。そして、知ろうとしてもらえなかったから。


 レイラがカルアンに来たのは七歳のころ。たまたまレイラの住む街にヒュメイクが立ち寄り、街外れの森で一人で遊んでいたレイラと遭遇したことがきっかけであった。

 ヒュメイクはまだ当主になる前で、次期当主として王都に出向いた帰りであった。もう日暮れも過ぎ、夜と呼ぶほうが近い時分。まだ幼い子供が友や親の姿もなく一人でいる事を不思議に思い、声をかけようとしたことで気がついた。


 レイラは強力な第六魔力の持ち主で、そのせいか上手く制御が出来ず魔力が漏れ出ていた。


 ヒュメイクは第六魔力保有者(レイラ)確保のため、すぐにレイラの両親にかけ合った。レイラには自分たちが必要としている能力があるので、預けてはもらえないかと。その言葉にレイラの両親はあっさりと頷いた。


 二つ返事でレイラをヒュメイクへと譲ったのだ。


 金が目的ではない。親子三人、暮らしに困っていた訳ではなかった。だが――――何故かは分からないが、両親はレイラに興味がなかった。血の繋がりがある、一人娘だというのに。愛情があったのかすら分からない。だからと言って害されることはなく、世話をしてもらえないなんて事もなかった。


 ヒュメイクも本人が判断出来るようになるまで待つ、幼い内に無理に親元から引き離すつもりはないと言ったが、両親は本当にどちらでもといった様子であった。


 だからレイラは自分の意思でヒュメイクの手を取った。会ったばかりの、見ず知らずの青年の手を。そんな娘を、母親はじゃあ元気でねと送り出した。その日の内に、引き止めることも、これまでを惜しむ様子も見せず。


 その瞬間、レイラにとって両親は理解できない人間と分類された。理解するのを諦めた。


「ぅえ」


 込み上げてきた不快感に、レイラはそれを胃の腑へと押し返す。自分の存在理由を見出してくれた主人の期待に応えたかったのに、何たる体たらく。


「レイラさん」

「ごめんネ、ごめんナさい」

「……」


 繰り返される謝罪の言葉を止めようとして、ササハはやめた。この謝罪はきっとササハに向けられたものではない。


「大丈夫ですよ。大丈夫」


 それがレイラの涙腺に拍車をかけ、ごちゃ混ぜになって溢れて漏れる。こんな時、空気を読まずに「年下に甘えんなよアホ女」と茶々を入れる馬鹿男が居たら気も紛れたのに。


 その馬鹿男が今どこで何をしているのかを気にする余裕はなく、レイラは初めて感情のままに泣いた。役に立ちたかった。手を差し伸べてくれたあの時の感情を。感謝を。差し伸べられた手は利害が一致しただけのものであったとしても、レイラにとっては特別なことだったから。

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