39話 盗られた中身
二つに割れて落ちた櫛。その時きみはどんな顔をしていただろうか。
青空が広がっている。春の柔らかな風が、黄色の小さな花弁をさらい遊ばせていた。その花弁の行く末を一人の少年が、表情も変えずに見送っていた。
なぜ自分はここに居るのだろうと少年は考え、すぐに父親に言われたからだと思いだした。ただの挨拶。大した理由はない。家門と家門に最低限の縁を繋いでおくだけのもの。相手とこちらの機会が重なって、どちらとも国を守る四つの家門のうちであるからと。
一緒に連れて来られた二人の弟たちは、すぐ下の弟は料理に、一番下の弟は人見知りを発揮して次兄にひっつき虫となりそれぞれだ。
そんな中で少年は出会った。一つの赤。
真っ赤な髪を結い上げ、二人お揃いの装いであったが、少年の瞳を占領したのは片方だけ。
「――――――はじめ、まして」
「はじめまして」
「僕はヒュメイク・カルアン、です」
「ぁ、私はティーナ。ティーナ・リオークと申します」
ティーナと名乗った少女の隣にいた同じ顔が、すぐにむくれた表情でヒュメイクを睨んだ。
「わたくしのお姉様よ。気やすく名乗らないでちょうだい」
そう眉を寄せ言った妹は、のちにセーラだと名を教えてくれた。彼女たちは双子の姉妹なのだが、姿形以外は全然似ていなかった。
これは誰の思い出だろうと、ササハの意識が混濁する。なにか、自分より小さな身体を抱いているようにも感じるが、思考する前に次にのまれた。
花を一緒に見た。その黄色い花が一番好きなのだと教えてくれた。なので自分の家に戻っても花のことを調べ、手紙と一緒に花束にして贈った。その花が彼女の家に沢山咲いていることは知っているが、彼女の一番はそれ以外知らなかったから気にしないことにした。
手紙を沢山送った。花はそれ以上に贈った。流石に一度に贈る量が尋常ではなくなってきたころ、花の量を控えて欲しいと返事にあった。代わりにあの花が刺繍されたハンカチをもらい、嬉しさのあまり過去最大級の物量をもって気持ちを返した。が、すぐさま量を減らせと言われていたことを思い出し焦った。追加のお詫びの花を贈ったところで、彼女の妹のほうから「いい加減にしろ」と怒られた。
しばらく花の替わりを考えて、ドレスや装飾品――だけではやはり物足りないような気がして花も欠かさず贈った。以降、妹は諦め苦情がくることはなかった。
背丈が伸びた。鏡の中の自分はいつの間にか青年になっていた。なのに真新しい男子学生用の制服を睨みつけ、苛立ちからつま先を幾度も鳴らしてしまった。
「しょうが無いだろう。ティーナ嬢と兄さんは年齢が違うんだから」
「進級せず、四年ほど留年して」
「やめろよ?」
「四年も留年なんてっ! 駄目だよメル兄!! それじゃあ四年後にはメア兄と同級生になっちゃうよ!」
「お前も本気にするなって。流石に――――さすがに、だよなあ? 兄さん?」
「………………」
「兄さん!?」
「うわぁ~どうしよ! ブテ兄も離れて見てないで、一緒にメア兄を説得してよぉ」
この時、青年は十五になる前で。次代の『印』持ちだと判明していた。
「けど、ほら! 兄さんには目標があるじゃないか。十八になって成人したらティーナ嬢に婚約を申し込むんだろ! なら卒業もさっさと済ませておかないと!」
出来ればすぐにでも婚約を申し出たいが、ティーナは現リオーク当主の血筋。ティーナもまた次代『印』持ちに選ばれる可能性がある。
「兄さんが次期当主なのは明らかなんだからさ。成人したら、反対している奴らだって黙らせられるよ」
「……そもそも反対されている理由がっもご!」
「細かいことはいいんだよ!」
「ブテ兄ちょっと黙ってて!」
最近弟と微妙な距離感の幼馴染は、説得しろと言われたり、黙っていろと口を塞がれたり大変そうだ。
「…………そう、ならないことを願う」
四大家門の当主は土地に縛られる。フェイルの封印を維持するため。当主になった者にしか伝えられない方法で、代々そうしてきた。
だがその後――ヒュメイクが成人する直前。ティーナが十四の時。彼女に『印』が現れた。その瞬間、ヒュメイクの願いが永遠に叶わないことが決定した。
それから全てがどうでもよくなった。二十になりカルアン当主に、《黒の賢者》の呪いをその身に受けることがどういうことか。それを実際に、当主となり、実感しようとも。
「そうか……これが《黒の賢者》の呪い」
まだ当主の座について三年。なのに見た目はその倍……いやそれ以上に歳を取る速度が速まったような気がする。常にじっとりとした重い空気がまとわり付き、なのに自身からはどんどん何かが抜け落ちていくような。
これが呪い。カルアンの、《黒の賢者》の呪い。人とは異なるスピードで歳を取り老いてゆく。だから代々のカルアン当主の寿命は短命であったのか。だから当主の座につくなり姿を消すのかと、ヒュメイクを通し追体験する目から涙がこぼれた。
「こんな姿では、もう会えないな」
言いながら彼は愕然としていた。
「会えない? 誰に……?」
ササハはこの時、急に自分を思い出した。
「分からない、なんだ? なにか、何かがない!」
ティーナさんのことではないのかと、そう思うササハと記憶の主が乖離していく。もう人か、何を求めていたのかすら分からない彼を、ササハはようやく見下ろすことが出来た。
――メルくん
ササハは真っ黒の空間で、瞳を閉じたメルを抱えていた。メルの身体に熱はなく、呼吸もしていない。だが、それが普通だった。彼にとっては。
この人は父の兄だったのか。自分の伯父だったのかと、ササハは重さを感じさせない少年の身体を抱きしめる。
「旦那様産まれました。双子の女の子です」
自分を取り戻して、周りに気がついた。幾つもの、無数もの誰かの大切があって。有象無象に埋もれながらも、ササハは縁を頼りに目を閉じた。
可愛いと、愛しいと大切に育てられた双子の女の子。双子の両親はとても仲睦まじく、なのに母親が病に倒れた。母親の手には『印』があった。
――どういうこと? リオークの次代はティーナさんじゃないの? それとも先代さん?
ササハの疑問に反応するように記憶も入れ替わる。
「私をおいて逝かないでくれ。子どもたちにだって母親が必要だろう?」
双子の母親は呪いとは関係ない病で命を落とし、当主になることなくこの世を去った。その直後ティーナに『印』が移った。棺を前に耐える家族の後ろで、次代が無事継承されたことに安堵する親族の姿があった。
「ティーナ様は聡明でいらっしゃる」
「そのドレスもお似合いですね。よろしければ今度我が家の――」
次期当主の座が約束されたティーナに一部の親族が群がった。
「ティーナ、ティーナ。おお、可愛い私の娘よ」
それだけでなくティーナの父親であるテフォダも、やつれ次第に様子がおかしくなった。双子であるのに姉のティーナにばかり執着し、妹のセーラはその状況に不安定になっていった。
「お父様、ドレスをありがとうございます。あの、似合って」
新品のドレスを身にまとい、父親へ感謝を伝えに行った少女は、己に与えられたものとは段違いのドレスを充てがわれる姉に表情を消した。
姉の赤い髪は美しく、白い肌も、鼻も、口元も全部母親譲りなのだと。そう表情を崩す父親に、セーラは姉の顔は見ないように立ち去った。
「どうして、どうしてよ! どうしてお姉様ばっかりっ!!」
綺麗じゃない、何も。何も美しくなんてない。血みたいな赤い髪も、血色の悪い白い肌も。通った鼻筋も、色づいた口元もすごく下品。
そこでササハは気がついた。
――このおばあちゃんは誰?
テフォダや、セーラ。そしてティーナの記憶の片隅にいつも一人の老女が居た。その老女はササハがリオークであった女性とは違った。――似てはいるが。
杖をついた老女はセーラを慰める。テフォダを諌め、その状況を健全とは思っていなかったのであろうティーナのことも気遣っていた。
だが、誰もその老女の名を口にしない。
――この人は
知らない記憶をつなぎ合わせ、自身の記憶と照らし合わせる。《赤の巫女姫》の呪いが特定の人物の記憶を奪うものなら、おそらくその人物とはリオーク当主となったもの。皆の認識はテフォダ・リオークが前当主となっていたが、本当はこの人物こそが――。年齢や、顔が似ていることからテフォダ・リオークの母親もしくは親族か。
その老女はひっそりと息を引き取り、家族に囲まれ埋葬されながらも、その記憶がここにある。名もなき墓がありながらも、きっと誰も不審に思わない。思えない。思い出を作ったそばから奪われていく。
その場に居ることは許容されながらも、誰の記憶にも留まることは許されない。
狂っていく。狂わされていく。
抜け落ちた記憶に、奪われた大切な人に。
「……ごめんなさい」
――え? ……メルく、メル君!
「ごめんなさい、ごめんなさい」
いつの間にかササハの腕の中で目覚めていたメルが、焦点が定まらぬ目で謝罪を繰り返す。
「ごめんなさい、僕の――――私のせいだ」
すぐ側にあった声が、なぜか背後に移った。今までササハの腕の中にいた少年はいなくなり、代わりに俯き、顔が見えない草臥れた老人が離れた場所に立っている。
――…………ヒュメイク伯父さん?
「すまない。ティーナ嬢、本当に」
――伯父さん。ヒュメイク伯父さんなんでしょ!
ササハは黒の空間の中、枯れ木のような老人に向かって駆け出した。しかしその距離が縮まることはなく、ただただか細い謝罪が聞こえるだけ。
いくら走っても疲れることはなかったが、今までで一番と断言できるほどの速度で走ったササハは、頑張る姪っ子を無視して己の世界に浸っている伯父にキレた。
――子供じゃないんだから、泣いてないで説明して!
泣いているかは分からないし、むしろ過去にササハが言われたことではあるが、いい大人がと棚上げする。
――何があったんですか?
自分にできることがあれば協力すると、そう込めて。しばしの沈黙。いつしか顔が見えなかった距離にいた伯父は、彼をメルと呼んでいたころの姿に戻り、手を伸ばせば届く距離に立っていた。




