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24話 誰か

 ササハがすぐ目の前にある自室へと戻り、着替えを済ませるまでの僅かな時間。その僅かな間にレイラはどこから調達してきたのか、朝食と洗顔用の水を携えてきた。いつもはリオーク家の雇用人が運んできてくれているが、今日は朝が早いためかレイラがその役目を買って出た。ササハも水くらい自分で汲みにいけるのにと申し訳無さそうにしていたが、単にササハが外に出るついでにリオの様子を見に行かないようにとレイラが先回りしただけのことであった。


 途中隣室から、ベルデがリオの様子を確認しているであろう音をレイラは拾った。その音はあまりに小さく、そういった抑えた音を拾うのが得意なレイラにしか分からないものであったが、それはベルデの配慮もあってそうなったのであろう。


 リオに何か異変が生じた。しかしそのことはまだ、ササハには気づかれたくなかった。なぜならリオにばかり気を取られ、呪具のことがササハの頭から追いやられては困るからだ。レイラとベルデ、二人の動機は異なりながらも利害が一致した瞬間だった。故にリオのはことは後回しにし、優先したいことを優先する結果となった。本人からの了承はなくとも。


「じゃあオ嬢サマ。さっそく呪具探シにいきまショう」


 ササハが朝食の最後の一口を含む瞬間を見計らう。咀嚼したまま言葉を返すことも出来ず、ササハは分かりやすく首を立てに振った。ササハの気が隣室に向く前にと、文字通り急かされながら部屋を飛び出した。




◆◆□◆◆




 気分が悪かった。頭も痛いし息苦しい。深く眠っていたのは眠気を引き起こす薬のおかげで、その事実がローサの胃を痛めつけた。


 ほんのりと薄暗い部屋は夜が過ぎ去った時刻。厚いカーテンに覆われた室内には、ローサ以外の気配は存在しなかった。


「ベルデ……」


 小さく、骨ばった指がベッドサイドへと伸ばされる。伸ばした先のローチェストの上には小さなベルが置いてあり、揺らすどころか指の先さえ触れさせれば馴染のメイドを簡単に呼べる魔道具だ。

 だが、その部屋の主である少女は一度伸ばした手を引っ込め、のろり、のろりと柔らかな寝具から今にも折れてしまいそうな素足を抜きさった。


 ガラスを隔てた外からは、鳥の賑やかな鳴き声が聞こえる。明かりの落ちた室内はそれでも薄っすらと明るくて、閉じ切られたカーテンを開け放てば強すぎず、艶やかな光が差し込むだろう。


「お父様――お母様――――」


 なのにローサの思考を埋め尽くすのは、今この場にいない人たちのことばかりで


「お兄様」


 ふらりと立ち上がったか細い少女は、覚束ない足取りで部屋の扉を開けその先へと進む。いつもは決して取らない行動。明け方、一人部屋を出たローサに気づく者はいなかった。




 ローサには最近、いや、いくらか前から受け入れ難いことがあった。それは自分が最近少々――いや、人より……かなり感情のコントロールが効かなくなっていることだった。


 些細なことにイライラしたり不安がったり。昔はそうではなかったのにと思う反面、本当にそうだったかと過去の己さえ疑う気持ちが混在していた。


 ローサは元々自己主張の強い子供ではなく、どちらかと言えば引っ込み思案で大人しい女の子であった。

 優しい父と母に、自分を溺愛していると言っても過言ではない祖父。ローサが三つになったころには祖父がローサに兄を連れてきてくれて、自分を一番に守ってくれるステキな騎士様まで現れローサはとても幸せだった。


 途中で出来た兄も最初はローサのことを警戒していたが、いつしか一緒におやつを食べ、ねだれば本を読んでくれるくらいまでになった。騎士様も兄には強い言葉をかけることが多々あったが、それは決して悪い感情から出たものではないから大丈夫だと母は教えてくれたし、ローサも母の言葉には素直に頷けた。


 それがいつだったか。兄が家出をし、祖父が兄を見つけ連れ戻した時からだ。兄はその数年後に(リオーク)を出て他所(カルアン)に行った。今度は家出などというかわいらしいものではなく、正式な兄の意思表示であった。

 そのせいかは分からないがそれまで一番ローサの側に居た騎士は仕事に追われ、余計な手間をかけてはいけない人になった。不幸は続くものなのか母も体調を崩すようになり、手当たり次第の人間、最愛の夫である父にすら当たり散らすようになった。メイドが父の側を通るだけで不貞だ裏切りだと声を荒げるようになり、母の容態が落ち着くまではと父は別の屋敷へと移ることとなった。


 そうしたら寂しくて、なのに誰にも相談出来なくて、いつしかローサも母のように赤い髪を振り乱す獣のようになってしまっていた。母の側で母を支えてあげられるのは、もうローサしか残っていなかったのに。


「ああ……寒いわ。それに歩くたび、砂を踏んでしまって足が痛いわ。掃除はちゃんとしているのかしら。痛い。寒い。どうしてわたくしがこんな目に」


 薄い寝衣のまま靴も履かず。人も呼ばず一人抜け出して来たのはローサだ。


「許せない。酷い、酷いわ。絶対に許さないんだから」


 何を許さないのか。そんな疑問が浮かんだような気がして、だがあくまで気がしただけで怒りがすぐにそれを覆い隠し、翻弄され疲弊する。


「許さない。許さない」


 怖い。苦しい。

 得体の知れない恐怖。何故こんなにも腹立たしいのか。一体自分は何に対してこんなにも腹を立てているのだろうか。


「痛いのに、寒いのに……どうして誰も助けてくれないの!」


 理不尽な八つ当たり。分かっているのに抑えられない。


 自分とはこんな人間だったのだろうか。


「誰か…………」


 抑えきれずに漏れ出た嗚咽は、どうか誰にも届かぬように。


 なのにどこかの馬鹿がそれを簡単に打ち崩して踏み込んできた。


「どうしたの? 大丈夫?」


 小さな子どもをあやすような優しさを意識した声。しかし相手の存在を認識した瞬間、ローサを襲ったのは言いようのない憤りだった。


「なんであなたがいるのよ! いますぐここから出ていって!」


 肩に添えられた手から逃れるため、ローサは金切り声を上げながらその手を振り払った。その自身の挙動に耐えられず、元より満足に力の入らない足は簡単にもつれて尻もちをついた。


 このところ他者に身体を触られるのが嫌だったローサの爪は伸びており、振り払った時に掠ったのか声をかけてきた相手は驚きに目を見開いていた。傷を負ったのは間違いないはずなのに目の前の女は、何の躊躇も怯みもせず後ろへと倒れ込んだローサへと近づいてきた。


「血……」


 ローサの兄が連れてきた女。ローサの大切な家族を奪ったカルアンの人間。


「気持ち悪い、気持ち悪いっ!」


 その女の手にはローサがつけた傷とそこから滴る赤。途端吐き気がこみ上げ、それから逃れるようにローサはか細い身体を掻き抱き、激しく頭を振った。


「血がっ、いやっ! 嫌だ!」

「え?! 血?? 血が出てるの! 大丈夫!?」

「やぁだ! やぁだぁっ!!」


 突然身体を抱え叫び声を上げたローサに、ササハも冷静さをどこかへとすっ飛ばした。転んだ拍子にどこか擦りむいたのか、自身の手から滴る赤に気づいていないササハは見当違いに焦り散らかす。


「オ嬢サマ!」


 少し離れた場所から珍しく焦ったレイラの声がした。


「何しテるの!? 一緒にいこうって言ったノに、すぐはぐれて、しかもヤッカイなのに見つかっちゃってるジャナイ!! なんてこっタ!」


 一瞬の間に距離を詰め側まで来たレイラは、ササハをローサから引き離そうとした。その間にもローサは叫び続けており、それに気づいた気配が慌てて近づいてきている。流石にこの状態を見られるのはまずいのではと、レイラは強引にササハの腕を取った。


「ちょっと待って下さい」


 が、ササハは負けじとその場に踏ん張り、レイラが思わず手を離した隙に再度ローサへと近寄った。そうしてローサの足元に膝をつくと、意を決してローサの影へと両手を突っ込んだ。


 いきなりの奇行に、金切り声を上げていたローサも息を止めた。


「居たぁ! ローサちゃんの呪鬼、捕まえました!」


 いつの間にかのローサちゃん呼び。影から両手を引き抜いたササハは、自身の手が捕らえる真っ黒い小鬼に満足げな笑みを見せる。丸々と肥え太った赤子程の小鬼。ジタバタと暴れる小鬼はローサの目には映らないが、何かを掴み掲げている両の手から視線を外せないでいた。


「わたしたちが何とかするから、もう少しだけ待っててね!」


 この呪鬼でさっきの作戦やっちゃいましょう。ササハはそう言いながらレイラへと振り返った。すぐそこまで近づいている足音に、レイラもこれ以上は待てないと今度こそササハを抱え走り出した。


「お嬢様?! なぜこのような場所に!?」


 レイラが走り去った方向とは逆から、メイドらしき女性の声と数人の足音が聞こた。ローサが癇癪を起こし騒ぎを起こすのは、最近では珍しいことではなかった。だから駆けつけたメイドも、出来るだけローサを刺激しないようにと慎重に距離を詰めようとしていたが、途中でいつもとは違う違和感に気づき慌てて駆け寄ってきた。


「なっ、泣いておられるのですか!? もしやどこかお怪我でも」

「違……」


 突然視界が明るくなった。何かに圧迫されるような息苦しさも、身体のだるさ、頭痛――――息を吸うだけでイライラする不快感も。そういったものが一切なくなったのだ。どうしてか、いつの間に。恐らく、あの瞬間だ。


「お嬢様? ――――お嬢様!!」


 眠りから覚めたばかりなのに意識が遠くなる。薬がもたらすものとは違う、久しく感じることのなかった虚脱感。


 何とかすると言ってくれた。


 気を失い倒れたローサを、メイドが抱きかかえ急いで部屋へと踵を返す。廊下に差し込む日差しも強さを増し、慌てふためくメイドを皮切りに屋敷も騒がしくなっていく。心配に声を固くする周囲とは裏腹に、眠りにつくローサの表情は柔らかいものであった。

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