9話 話し合い
おかしな夢を見て、昼過ぎまで寝過ごした。
宿屋を一歩出てすぐ、ササハはこれまでで一番の走りで町中へと駆け出した。
「あ、キミは――て、待って! 話を、足が速いっ!!」
理由は宿屋を出てすぐ、ノアと出くわしてしまったから。
ノアはレンシュラと一緒で、一瞬驚いて固まっていたが、少し遅れて走り出した。
日差しのきつい、入り組んだ住宅街。
直線が多い道筋も、曲がり角や建物の隙間などを駆使し、ササハは力の限り逃げ続けた。これでも年中、山を駆け回っていたのだ。走りには自信がある。
「ま……、はな……、ごめ……」
結構な距離を走り、先程まですぐ後ろを追いかけていたノアだったが、徐々に距離が広がりつつある。
建物二件分くらいの距離が開き、心理的にも余裕が出てきてササハは舌を出した。
「ふんだ、べーだ、いーだ! ノアのばーか。迷惑だったんでしょ! なら追っかけて来ないで。あっち行って」
忘れかけていた苛立ちが、じくりとササハの胸を刺す。
確かにあの晩ノアは要らないと言っていた。それを大切なものだと、届けてあげたいと思ったのはササハで、彼にとっては余計なお世話だったのかも知れない。
だからと言って、昨日の態度はあんまりだ。ササハは次の角で逃げ切れると確信し、後ろを振り返る。
「ふふん。もう追いつけ、きゃあ!」
角を曲がろうとし、待ち構えていた人影に抱き上げられた。
「び、レ、ンシュラさん? なんで? ちょっと下ろして」
「いいから早く終わらせてくれ」
「レ……! ナイ……、はな……ハァハァ、ぅゲホゲホ」
「え? はっ! もしかしてグル!? 二人は知り合いだったの!? ――ぅ、ズルだ! 離せー!!」
片腕で抱えられたササハは、海老反りになって抵抗する。そういえば、先程ノアと遭遇した際レンシュラの姿もあった気がする。
ぱっと見儚い系美青年のノアと違い、レンシュラは上背もあるガッチリ体型。ササハの抵抗などものともしなかった。
「暴れるな。落ちるぞ」
「毟りますよ。今すぐわたしを下ろさないと、レンシュラさんの髪の毛なんて全部毟っちゃいますからね!」
「絶対にやめろ」
本当にやりそうだなという顔をされ、ようやっと地面へ下ろされる。
が、両方の二の腕を背後からしっかりと掴まれ、約束が違うとレンシュラを睨みつける。
「下ろしただろうが」
「分かるでしょ! 言わなくても、離してよ!」
「もう遅い」
言っている間にノアが追いつき、ササハの左手首を掴んだ。
ノアの呼吸はまだ落ち着いておらず、項垂れている頭からはポツポツと汗が滴っている。
膝に手を付きノアが顔を上げる。あまり日に焼けていない白い肌に、とろりと甘そうなハチミツ色の瞳には、薄っすらと空の色が混ざっていた。
嫌そうにノアを睨みつけるササハに、ノアは僅かに目を見開いて申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「ごめん」
手首を掴んだまま、ノアは姿勢を正した。
「思っていたよりも、ずっと傷つけていたんだね。本当に、ごめんね」
きゅっとササハの口がへの字に曲がり、睨みつけていた視線が地面へと落ちていく。
傷つけていた、とノアに言われてようやく、ササハは己の感情を理解した。
「なんで、無視したの?」
細く、頼りない声音に、聞こえなかったのかノアが何度か瞬いた。
「ごめん、もう一回」
「心配したのに。急に消えちゃうから、崖から落っこちちゃったのかとか、もしかしたら幽霊だったのかなとか、いっぱい怖かったしびっくりしたのに。だから、良かったって、幽霊じゃないし元気そうだったから、また会えて嬉しかったのに――なのにノアは無視して、わたしのこと身売りとか言った!」
「――――――は? 何の話?」
呆けた表情のノアに、ササハの顔が怒りの赤に染まっていく。
「うわ、危な! 待って、蹴らないで、落ち着いて」
「嫌い、バカ! 言ったもん! なのに知らないふりして許さない! やっぱりノアなんて嫌い!」
「そのことじゃなくて」
「お前ら、いい加減にしろ」
両手が使えないから、足技をお見舞いしてやろうとササハが暴れまわる。
流石にこのままではまずいと、レンシュラがようやっと疲れた声音で仲裁に入った。
「リオ。場所を移してから話せ。今の状況を周囲に認識されたら面倒だ」
今の状況――今にも泣き出しそうな娘を、男二人で囲んで拘束している状況。
ノアが静かに頷くのを確認し、レンシュラはササハを抱え直す。
ササハは盛大に暴れ散らかしているが、まる一日ほど食事を抜いていた腹が鳴り、食事を奢るからという言葉に、しぶしぶレンシュラの脇腹を蹴るのを止めた。
宿屋の隣りにあるめし屋まで戻り、ササハはようやく地面へと下ろされた。
昼もとうに過ぎた時間帯のため客の数も少なく、少し広めのテーブル席へと案内される。
注文が決まればとテーブルを離れようとした店員をレンシュが呼び止め、メニュー表の品を制覇する勢いで注文を口にする。話は料理がすべて揃って店員が下がってからにしてくれと言われ、ササハは素直に首をかしげた。
「念の為、認識阻害の特しゅ……魔道具を使いたいからね。今も出力押さえて使用中ではあるんだけど、ほら、これで見えるっ、いた」
「余計なことまで話すな」
これ、と自分の頭――正確には左側面を指差したのはノアで、レンシュラが眉をひそめてノアの頭を殴った。ササハは口を開こうとしたが、料理が次々と運ばれてきたので前に出た姿勢を戻す。
運ばれてくる料理にはまだ手を付けず、ノアが指差していた場所を眺める。なんだろう? これが見えるかと言うことは、そこに何かあるのだろうか。
「あ!」
「レンもね、右側に銅鏡みたいなのが付いてるよ」
「本当だ!」
ニコニコしているノアをレンシュラは横目で睨み、その時ちょうど最後の一品が到着した。
言われて初めて気づいたが、ノアの頭には棒状の結晶石のような、三本の青い石が器用に頭にくっついている。
レンシュラの方はくすんだ金色の丸い円盤に、細かい彫り柄と所々に真っ赤な石が埋め込まれている。円盤からは赤い編み紐が伸びており、やたら長いそれはレンシュラの肩をつたい鎖骨の下辺りまで続いていた。
先程までは見えていなかったそれに、ササハは驚きに目を丸くした。
「浮いてる?」
「浮いてるよ。魔道具なんだ」
「さっきまでは無かったよね?」
「無かったんじゃなくて、認識しづらくしてただけ。これを付けてると、付けてる本人も他者から認識され難くなるから、とっても便利なんだ」
「――すごい」
感嘆の声にノアが満足そうに笑む。レンシュラはもう諦めたのか、黙々と大盛りの皿をカラにしている。
ササハは珍しさにしばらく目を輝かせていたが、適当なところで僕たちも食べようかと食事を勧められ嬉しそうに頷いた。ササハの前にはトマトとなんちゃらのぺったんこパスタが置かれており、パスタの下に隠れていたベーコンを巻き込んでひとくち食べた。
「美味しい?」
ノアが窺う様子で声をかけてくる。
「あのさ、そのぉ……昨日の話なんだけど、あ! その前にコレ、拾ってくれてありがとう」
気まずそうに肩を丸めていたノアだったか、鞄に括り付けられているタリスマンを引っ張り出し頭を下げる。
「その、どこで落としたか気づいて無くて、だからコレを届けに来てくれてたとは思ってなくてあんな態度を……本当に申し訳ない」
しゅんと小さくなるノアを、ササハは無言で眺める。
どういうことだ?
ササハはノアの持つタリスマンを確認したあと、下を向いているノアに怪訝そうな目を向けた。
「どこで落としたか気づいてないって、どういうこと? もしかしてあの日の夜のこと、何も覚えてないの?」
ノアが驚いた様子で顔を上げた。
「あの日の夜?」
「三日前の夜。町の外にある山で会ったでしょ? ノアのお誕生日の日」
「!」
「わたしのせいでノアのタリスマンが崖下に落ちそうになって、二人で引っ張り上げたの。なのにノアはタリスマンを要らないって言って、そのあと光って消えたんだけど――本当に何も覚えてないの?」
ノアは何度か瞬き、口元に手を当て俯いて、そのまま動かなくなった。
ササハはしばらく返答を待ったが、動く気配が無かったのでぺったんこパスタの続きを食べた。
「あと、その時のノアは寝間着っぽくて裸足だった」
「夢遊病か?」
静観していたレンシュラも軽口を挟む。
「いや、ちょっと待って! ちょ……おぅ???」
「やっぱり覚えてないの?」
「まっ――ったく、覚えてない」
「だからわたしの事も、身売りって言ったの?」
「それは本当にごめん! てっきり、いつものパターンかと」
「自意識過剰なんだよクソガキ」
「自己防衛意識が高いんですぅ」
「……、なら。貴方は誰ですか?」
奇妙な質問に、ササハは肩をすぼめて俯いた。
「変なこと言ったわ。ごめんなさい」
「いいよ。……本当に、記憶にないんだけど、僕はノア――ノア・リオークって言うんだ」
「ノア・リオークさん?」
「うん。皆にはリオって呼ばれてる」
「じゃあリオさん」
「リオでいいよ。キミ……そういえば名前は? あと歳はいくつ? 僕は十、七になった……んだ。知ってると思うけど」
「わたしはササハ。十六です」
「なら歳も近いし気軽に話してよ」
「わかった」
でも。ササハはその言葉を何となく呑み込んだ。ノア――ではなくリオ自身、戸惑っているように見えたから。
「お前、何かに取り憑かれてたのか?」
「なんでそんな事言うの! そもそも似てるだけの別人かも知れないだろ」
「だがお前のタリスマンを持っていたんだろ。それに、失くしたって言ってた転移の魔道具」
「………………え?」
レンシュラの言葉に、ノアの顔色がじわじわと青ざめていく。
「光って消えたんだろ? コイツ」
「はい。ほわほわ~て光って、一瞬の間に」
「うあああああ!」
失くしたんじゃない。使用したから無くなったのか。
「う、嘘だ! 貯金の半分ぐらい持ってかれたのに、そんなまさか!?」
「…………」
レンシュラが哀れみの目をリオに向ける。鬱陶しそうに。
「嘘だぁ! 嘘だよ! 絶対に、何かの間違いだぁ!」
よほどお高かったのだろう。
それ以上の追い打ちは止め、ササハは食事に専念することにした。




