表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/45

自律神経失調症とうつ病その後自律神経失調症のちうつ病編に続きます


私は、よく働くとある飲食店の娘だった


毎日朝早くから夜遅くまで働き身体がボロボロになっていった


そんな時寄り添ってくれたのが今の旦那さん、つまり婚約者のYKさんだった


婚約者のYKさんはとても心配してくれて相談にも乗ってくれた


しかし私の自律神経失調症のちにうつ病はどんどん悪化する一方だった


だって家族が理解してくれないから


私はうつ病じゃないってずっと否定ばかりさせられてたから


だから、自分でも悪化していくのが気づかなったしこれが当たり前だと思っていた


私は人より小さい身体で産まれた 今で言う未熟児だった 未熟児だったからか弱視になり物心つく頃には眼鏡をしていた 眼鏡も今みたいに可愛いわけではない


牛乳瓶の底の眼鏡だった 親から厚底眼鏡の娘と呼ばれ幼稚園から高校まで全ての時代で虐められた 親に相談してもそんなの虐めに入らないの1言ここからどんどん心が壊れていく音がした 小学生になって父が飲食店を始めた 最初は人を雇っていたが給料を出すのがキツイのか少しして皆を余裕持って数人解雇した だから昼間はパートさんだけを入れて夜は私がお店の手伝いをした それでも親は私のやる事に気にいらなければ殴る蹴る


ご飯抜きにした どんどん痩せていった 道路に寝ろとも言われた 寒空の下外で1人凍えてた時もあった それでも何もしてくれなくてどんどん痩せていったのが気づかたのか今度は無理やり食べさせはじめた そんなに痩せてると見苦しいからって 親のエゴだろうと思った


余談だが処女は実の兄に無理矢理され小さい頃に失った


父親の自営業の手伝いをしていたが働きすぎでこんな状態になった毎日休みもなく働かされろくに休憩も取らしてもらえない毎朝、朝からハードだった(早起きして、住んでいる実家で飼ってるペットの餌やりとトイレ掃除に床ふきそれが終わったら今度は、お店の開店準備で玄関前の清掃それが終わったらホール内の清掃そのあと、テーブル拭きお箸や紙ナフキンの補充を1人でやらないといけないのがとてもキツかった)家の事も疎かにするなよと言われて毎日、休憩時間や朝から早起きして洗濯物をしたりもした疎かにしたら洗濯物ぐらいしろよと暴言を言われる徐々GWの時には、休みなしで3週間ぶっ通しで働かされろくに休憩も取らしてもらえなかった


そこからどんどん感覚が麻痺し毎朝、泣きながら朝の職務を淡々と終わらせていった最終的には、精神的にきついっていって婚約者と友人に1度心療内科に行くのも手だよと言われて今に至る朝は11時からの開店で1度13時に閉店もちろん、お客さんがいれば開けとかないといけないので休憩時間なしそのままバタバタして夜の営業の出てた夜は16時から22時までだが、もちろんお客さんがいれば閉めれないので夜眠るのは日付が変わってからだった少しでもミスすれば暴言、暴力なんて当たり前だったドクターストップかけられても働かされてた


家族からの暴言は、毎日で(死ねとか邪魔とか車が走行してる道路に横たわってん等)私自身未熟児で生まれてきたのでなんでその時に生かしたってのって言いたいその子をNICUに連れて行かないでくださいって言ってくれたらよかったのに邪魔とか思うなら、最初から生んでも殺してくださいって言ってくれたらよかったのにって思う


体調悪い中家事をさせられるしないと、暴力暴言は当たり前自分達は言い訳ばっかりで何もしない人に指図するだけ毎日が憂鬱でやる気が出ない悲しい気分朝から死にたくて仕方ない希死念慮が毎日出てる自殺願望もある自殺する手段も考えた事が何回もある 


こんな風になったのは、私が弱いからと言われる食欲もなくて、体重が35キロから31キロになった眠りたくても眠れなくて困ってる睡眠薬飲んでも中途覚醒して、1時間おきに目が覚める酷い時は30分おきに目が覚める目覚ましかけてても4時間前には、目が覚める


睡眠薬飲んでも眠れない時が多い最近は睡眠薬飲んでも全く眠れない全身の倦怠感がある頭痛に肩こり首筋のこり腰痛生理不順胃の痛みに動悸等毎朝気分が憂鬱で気分の落ち込みが特に朝が1番酷い最近は、毎朝涙が止まらない事が多い朝から全身の倦怠感でベッドから起き上がる事も出来ない毎日、毎朝自分を責める(なんで、私は生きてるのだろうか?生きてる価値があるのかと、自分を責める)


疲れやすくて、思考力が低下して会話をするのも困難(朝から服薬しないといけない薬もどれを服薬すればいいのか分からない昼間も同様)前は、水分や食事をちゃんと取っていたが今は、食事は抜き水分も薬を服薬する時しか取らない食べ物を飲み込む時に喉に違和感がある首を絞められてるような感じ周りから強く食事を食べる事を欲求されて食べる程度食事も美味しく感じない砂を食べてるような感じそれがなければずっと食事を食べない食べたとしても1食のみが多い(それも周りから強く食事を食べる事を欲求されて)


食事も食べても吐いてしまう事があるストレスで、蕁麻疹が毎日出るとにかく、毎日死にたいって思う気持ちが強くてどうしようも出来ない性欲もないお風呂やシャワーに入ったりするのも一苦労お風呂やシャワーを浴びるだけでも疲れる1人でお風呂やシャワー等が出来ない着替えもしないといけないがそれすらも出来ない髪も洗うことが出来ない家族の会話が頭に入ってこない何を言ってるのか理解できない


毎日、朝から死ぬことばかり考えてる何も出来ない自分を責める不安と焦燥感が出てどうしようもない不安が消えない焦りも消えない焦りでイライラする事があり服を引っ張って肌をゴシゴシ擦ってしまう


(気づいたら肌が赤くなってる等)落ち着かなくて部屋をウロウロしてしまう焦燥感で自傷行為をしてしまうことがある(首つり等)兄から無理やり腕や足を押さえつけられて裁縫の針を血管内に入れられた事があるその時はたまたま兄に分からないように糸を付けてた(あまりの恐怖心で糸の色までは覚えてない)けど血管内から痛かったけど自分で針をゆっくりゆっくり抜いたそれから針全般見ると血の気が引くようになってしまった


解離性同一人格障害で人格が入れ替わって自分で自分自身を傷つけたくなるし叫びたくなる酷い時には自分自身を殺そうとする障害者は嫁に出せないと言われた(身体障害者手帳と精神障害者手帳を持ちたいと言ったら)今は、何の楽しみもなく何の喜びも感じない(前は、音楽を聴いて楽しいと感じていたが今は、全く持って楽しくない)(彼との外出も前は、楽しめてたけど今は全然楽しめない)通院する時は白杖を使っているそれ以外は外出出来ない人に会いたくない人と関わりたくない毎日が憂鬱で死にたくてどうしようもない毎朝が倦怠感が強くてどうしようも出来ない今すぐにでも死にたい気持ちがとても強いこないだ遂に飛び込み自殺をしようとした夜に希死念慮が出る事がある死んでもいいなら今すぐにでも死にたいどこか遠くへ行きたい死んでいいなら死にたいこの世いなくなりたいこんな自分殺してしまいたい


幼少期から親からの虐待を受けていた例(怒鳴る殴る蹴る罵声を浴びせる出来ない子だと言われる等色々あるが思い出したくない)

とにかく死にたくて仕方ない死んでいいなら死にたい


痛くても逆らえなかった皆兄の味方だから 私が10点満点のテストで70点とかとっても、もっと勉強しろの1言だった 時には殴る蹴るそんな事された 平手打ちもされた そんな私の人生の幕開けである


私はその日近くのK病院を受診していた本当は気が進まなかったが婚約者のYKさんとの約束だからである週明けになったら近くの心療内科に行く事それがYKさんとの約束だった


私はKA病院に着いて問診票を書いて看護師さんに渡した

しばらくすると私の順番が来て呼ばれたそこの院長先生は言った 問診票を見る限り自律神経失調症だねと優しい声で言ってくれた良く今まで頑張ったねと言われて私は子供の様に

ワンワン泣いたそして院長先生が初回の人には紹介してないんだけどマッサージを受けて行くといいよと言われて私は看護師さんに1階の奥の部屋に連れて行ってもらった


するとそこには3人の指圧マッサージの先生がいてふと1人の先生が目にとまった俳優さんみたいで格好いいなあのN先生がいいなと内心思っていた


しばらくすると私の順番が来て私がいいなと思っていたN先生に全身マッサージをしてもらったその先生とここの病院に来た経緯を話すと優しい声で良く今まで頑張ったねと言ってくれてまた涙が出た


そのN先生が私の足首を触った時だった 私がクスリと笑ったのだ そのN先生はくすぐったいの苦手なんだと言いながらマッサージを続けた 本来マッサージの時間は決まっていたのだがN先生が特別に長くマッサージをしてくれた 私がN先生が自宅でもマッサージしてくれればいいのになと呟いたまさか後にそれが現実になるとも知らずに


そして、マッサージが終わって帰ろうとするとN先生がちょっと待ってと言って他の先生にこの子心配だからお見送りしてきますと言ってお見送りしてくれた やがて病院の外に出た


するとN先生が1枚のメモ用紙にN先生の連絡先とラインのIDを書いた紙を渡してくれた 他の患者さんには秘密だよと言って私が見えなくなるまでお見送りをしていた


最後に2人して会った事ある様なと思いをしてそれぞれ戻っていった 私はN先生どこかで会ったよなと記憶を巡らせながら憂鬱な自宅へと帰宅するのだった



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ