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若き獅子は目覚めてからも夢を見る  作者: ひなたひより
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第9話 試し合い

 遅い午後、大学から静江が戻って来ると、生垣から敷地の中を覗き込む怪しげな人影を見かけた。


「何か御用ですか?」


 静江は綺麗な背筋の伸びた姿勢を崩さず、柔らかい口調で尋ねた。


「あ、いや、ちょっと拝見させてもらおうかなって……」


 中肉中背の無精ひげの男は、おかしなところを見られたのを少し照れたような笑顔で取り繕った。


「お稽古でしたら中で見学なさって下さい」


 静江はこちらですと案内しようとする。


「いや、そんな厚かましい。私はここで構いませんので」

「いいえ、お入りになって下さい。お茶をお入れいたしますわ」


 にこやかな静江を男は目を細めて見る。


「大きくなられましたね」

「え?」

「あ、いえ、こちらの話です」


 そう言ってそそくさと退散しようとした時、角を曲がって三人の男たちが談笑しながら現れた。

 真ん中を歩いていた信一郎が、すぐに静江に気付いて大きく手を振る。


「あ、静江さん」

「皆さん丁度良かった」


 静江が手を振った方を男は振り返った。しかし慌てて背を向けた。


「丁度良かったってどういうことですか?」


 信一郎は背を向けてこちらを見ようとしない男に、訝しげな顔を向けながら尋ねた。


「此方の方、遠慮してなかなかお入りにならないんです。皆さんでご案内してください」

「ええ、分かりました。ささ、遠慮なさらずいらしてくださ……」


 そして信一郎はやっと気付いた。


「あっ! あのときの」

「へへへ、また会ったな」


 見つかったかと舌をぺろりと出して見せた男は、先日信一郎たちを助けてくれた男だった。


「何やってるんですか、自分の家みたいなもんでしょ」


 信一郎に引き続き、太一も男の正体に気が付いた。


「あれ? こないだの。確か柿崎さんって言いましたよね」

「あ、お前ら、内緒だって言ったのに斎藤に話したな」

「しまった」

「しまったじゃないよ。だからわざわざ名乗らなかったのに」


 なんだか内輪もめしだした男たちに、静江はなんのことだと首を傾げる。


「あの、私ちょっと事情が呑み込めていないんですけど」


 代表して謙三が簡単に説明しておいた。


「静江さん。この人昔の道場生ですよ。斎藤さんと同期らしいです」

「まあ、そうだったんですか。わざわざお越し下さったんですね。失礼いたしました。早速お父さんに伝えてまいりますね」


 静江は軽い足取りで中に入って行った。


「あ、ちょっとまって。お嬢さん」


 大島に合わせる顔がないので、ちょっと覗いて帰ろうと思っていただけなのに、きっちりこのお節介な三人のせいで大島と対面することになってしまったのだった。



「ご無沙汰しております」


 道場の畳に上がった無精ひげの男、柿崎隼人は大島の前で正座し、手をついて深々と頭を下げていた。

 大島は普段と変わらないような雰囲気で、道着姿のまま正座している。


「うん、柿崎久しぶりだな」

「はい。いつぞやは置手紙だけで失礼いたしました」

「ああ、あれな。あんだけ飯を食わせて住まわせてやったのに紙切れ一枚置いて出ていきやがって、どんだけ恩知らずな奴なんだよ」

「すみませんでした!」


 柿崎は畳に額をこすりつけて大島の顔を全く見れていなかった。

 顔を見れていないので気付いていないかも知れないが、大島の顔にはちょっとした薄笑いが浮かんでいた。


「もう10年だ。達者でやっていたか?」

「はい。お陰様で。田舎に帰って就職いたしました」

「そうか、そんな報告もなかったよな」

「申し訳ありませんでした!」


 恐縮して顔を上げられない柿崎の頭をポンと大島は叩いた。


「礼の仕方忘れたのか? 俺が悪者ならお前の頭はパカッと割れているところだよ」

「先生……」


 そう言って顔を上げた柿崎の目には、いっぱい涙が溜まっていた。


「お前は俺を捨てて誠真館を出て行った酷い奴だ。でもいつでも帰ってきていいんだよ」

「先生……」


 柿崎はとうとう畳に涙を落としたのだった。


「なあ、柿崎。折角来たんだから後輩のこいつらにちょっと稽古をつけてやってくれよ」

「え? 私がですか?」

「ああこいつら三人は熱心なんだが馬鹿なんだ。やたらと飯も食うし話し声はうるさいし、ちょっと先輩として締めてやってくれ」

「いや、久しぶりですので体が動くかどうか……」

「おまえ俺に嘘をつくのか?」


 大島は柿崎をじろりと睨んだ。


「すみません。先生に出まかせは通用しませんね」


 そうして、柿崎はスッと一礼した。


「道着、お借りできますか」

「ああ、斎藤、お前の貸してやれ」

「分かりました」


 戻って来た斎藤に手渡された道着に袖を通した柿崎の体は、無駄のないしなやかな筋肉をしていた。明らかに普段からそれなりの稽古をしている体だった。


「すまんな斎藤」

「ああ、久しぶりに見せてくれ」


 柿崎は道着に着替え終えると、袴は穿かずに正座した。


「どいつからかな」


 並んで座る三人に、柿崎は声を掛けた。


「俺が行きます」


 スッと謙三が立ち上がった。


「よろしくお願いします」


 礼をして向かい合う。


 大島は対峙した二人をじっと見ている。

 謙三が先に仕掛けた。


 信一郎と太一は目を見張った。

 謙三が仕掛けた技は少し大島がするものと違っていたからだった。

 三人で稽古している時に、こんな感じでやったらもっといいんじゃないかと、少し工夫した技だった。

 相手の伸びた腕の先端を固定し転換して担ぐ。

 そしてそのまま極めた状態で投げに入った。

 柿崎は極められた腕を軸に自分で回転し受け身を取った。そのまま投げられていたら肘関節を壊されていただろう。


「ほう」


 大島がニタリと笑った。


「油断したな」


 柿崎はすかさず起き上がると、腕を抜いてそのまま今度は謙三の腕を抱え込む。反対に逆関節を取られた謙三はそのまま投げられた。

 謙三は受け身を取ってすかさず立ちあがった。


「そこまで」


 大島が二人を止めて次の相手をしろと指示した。

 太一が立ちあがってまた正座して一礼する。


「よろしくお願いします」


 太一は一気に仕掛けた。

 正座した状態から袴の内側で起座に切り替えて、座法で間合いを詰めたのだった。

 打ち込まれた手刀を柿崎は捌く。

 あっという間に切り返し、手首関節を極めていた。

 その極められた手首を太一は返し技で抜く。

 そして相手の手首をそのまま取って極めようとした時に重心を崩されていた。

 相手が膝行しっこうと言われる座法の移動で素早く側面に移動していたのだった。

 あまりに滑らかに動いたのについて行けず太一は背を取られる形になった。

 そして次の瞬間投げ飛ばされていた。


「そこまで」


 大島が追撃しようとする柿崎を止めた。


「次!」


 信一郎が立ちあがった。


「よろしくお願いします」


 同じ様に一礼すると信一郎は仕掛けた。

 太一と同じく座法で相手の懐に突進する。

 信一郎の当身が入りかけた時、柿崎がその手を払い腕を取った。

 柿崎に持たれた腕を放っておいて、信一郎は膝行で斜め後ろに移動する。

 相手の重心を前に崩す動きだった。

 その動きに対応して柿崎が前に出る。

 信一郎はそこに合わせた。

 側面に膝行ですかさず入り転換する。

 添えていた相手の腕を額の前で保持すると、四方投げの態勢に入った。

 一瞬遅れた柿崎は極められた肘を支点にし、自分からその場で回転し受け身を取った。


「そこまで」


 大島は満足げに試し合いの終わりを告げた。

 信一郎と柿崎は姿勢を正して向かい合う。


「ありがとうございました」


 僅か数十秒の攻防だったが、二人ともびっしょり汗をかいていた。


「どうだ。この馬鹿どもなかなかやるだろ」


 大島は楽し気にそう言うと柿崎は頷いた。


「はい。してやられました。変化技に返し技、良く稽古しているみたいですね」

「ああ、こいつらの取り柄はそれだけだからな」


 ハハハと高笑いする大島の傍で、斎藤も少し柔らかな笑いを浮かべている。


「おまえもやりたいんだよな。斎藤よ」

「はい。まあこんな機会ですし」

「分かった。お前ら二人で思う存分やったらええ。俺は静江に頼んで酒盛りの準備をしとくよ」


 大島は二人の再会を気遣って道場を出ようとした。


「お前らも来んか!」


 面白そうだからと二人の試し合いを見学しようとしていた三人を一喝して大島は出て行った。

 そして信一郎たちもしぶしぶついて出て行く。

 その後、道場にしばらくの間、受け身を取るいい音が響いたのだった。

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