第13話 真っ直ぐに
怪我が治るまで一か月ほどかかった。折れた骨はまだ稽古が出来るほどには完全にくっついていなかったが、三人は道場に戻り、大島に事件後初めて対面した。
理由があったとはいえ、禁止されていた他流試合を相手の道場に乗り込んでやってしまった。
信一郎、謙三、太一の三人は、ここへ呼び出される前から、破門を覚悟していた。
「まあそこに座れ」
応接間で大島は、大きな椅子に腰かけて、三人に長椅子に座るよう勧めた。
そして大島の隣には静江が座っていた。信一郎が視線を向けると静江と目が合いお互いに慌てて目をそらした。
三人とも顔色を窺いながら長椅子に座ると、すぐに大島が口を開いた。
「お前たちに言っておかんといけないことがあってな」
いきなり大島は三人を睨みつけた。
「俺の言うことを聞かんと先走りよって、この馬鹿者どもが!」
三人とも「すみませんでした」とすぐに謝った。
「よし。反省しろ」
その後、大島は静江をちらりと見た。
「ここまではここの道場主としてのけじめだ」
大島はテーブルに置いてある湯飲みに手を伸ばして、一口すすった。
「おまえたちも飲め」
静江が用意してくれていたお茶を、言われたまま口にすると、大島は少し柔和な顔になった。
「ここからは静江の父親として話す」
大島は傍にいる静江に向かって一つ頷いた。
「お前たち本当にありがとう。良くやってくれた」
そう言って、大島は深々と頭を下げた。
「私からもお礼を言わせてください。皆さん、本当にありがとうございました」
静江も父と同じように丁寧に深く頭を下げた。
「そんな、頭をあげてください。恐縮です」
破門を覚悟していた三人は、二人に頭を下げられて困った様な表情を浮かべた。
やっと顔を上げた大島に、太一は一番気になっていたことを訊いてみた。
「先生、俺たち破門じゃないんですか?」
「ああ、あれな。他流試合のことだな」
「そうです」
三人は緊張した顔で大島の顔色を伺う。
何を言われるのかと固唾を飲んでいる三人に、大島はあっさりとこう応えた。
「お前たちを破門にしたら俺も出て行かんとダメだろ。馬鹿なこと言うな」
「それじゃあ俺たちここにいていいんですか」
「ああ、その代わりちゃんと仕事しろよ。お前たちよく食うから、ほんとは困ってるんだよ」
三人はお互いの顔を見て、喜びあった。
そして信一郎は、もう一つの気になっていたことを大島に問いかけた。
「先生、あの後、九龍館はどうなったんですか?」
「九龍か、あいつ死にぞこなったな……畳の上で殺生する訳にいかんから最後技を緩めちまった」
大島はニッと歯を見せた。
「だが九龍館の看板は俺が頂いたよ。別に欲しくはなかったが、あれだけのことをして無様に恥をさらしたんだ。しょうがないさ」
「そうですか……」
「お前たち三人にあれだけ大勢でかかってって勝てなかったんだから文句ないだろ」
「道場自体が無くなったんですか?」
大島の口ぶりに、そうだろうと思いながら謙三は訊いてみた。
「まあ散り散りになった者の中に、こっちに来たいと言う奴もいるんだがどうしようかと迷ってる」
「誠真館に? 本当ですか?」
大暴れして結果的に道場自体を閉鎖に追い込んだ三人は、なんとなくやり辛いだろうなと想像した。
「まあ、そんなことはええ。話は終わった。さあ出てけ」
あっさりそう言われて三人は部屋を出た。
「良かったな」
「ああ」
「最高だよ」
三人はあらためて、ここにいられることを大喜びしたのだった。
「待ってください」
呼び止めたのは静江だった。
三人とも緊張して固くなる。
「あの、どうかしましたか?」
代表して太一が訊いた。
「あの、お父さんが高木さんに用がまだあったって」
謙三と太一は薄笑いを浮かべて信一郎の肩を叩いた。
「もう一回怒られて来い」
二人は信一郎の背中をたたいて陽気に送り出した。
「ああ、済まないな、もう一度そこに座れ」
信一郎は一目見て、さっきと大島の雰囲気が違っているのに気付いた。
大島はなんとなく切り出しにくそうにしていたが、やがて口を開いた。
「おまえ、静江のことどう思ってる?」
唐突に突き付けられた質問に信一郎は慌てた。
「お嬢さんのことですか、どうして僕にそんなこと訊くんですか?」
「ふん……」
大島は一つ息を吐いた。
「おれもあの子が何を考えているのか良く分からないんだ」
「と、いうと?」
「結婚の話、破談になった」
さらりと言った大島のひと言に、信一郎は驚きを隠せない。
「と、言うよりあの子が断ったんだよ。あの事件の次の日に」
「どうして?」
「それはこっちが訊きたいよ。いくら訊いても何にも言わないんだ」
大島は困った顔をした。
「ただちょっと気になることがあってな、お前たちが入院している時、あの子、お前の様態のことばかり訊くんだ」
大島は信一郎の様子を見ながら話を続ける。
「他の二人のことは殆ど訊かないのにだ」
探りを入れるような視線を受けつつ、信一郎は今聞いた大島の言葉が何を意味するのか、黙って考えていた。
「だからお前たち、俺の知らないところでなんかあったのかと思ったんだよ」
思い当るのは、時々絵を見せてもらってたことぐらいだった。
「いえ、特には……」
信一郎は言葉を濁した。
「そうか、まあいい。なあもう一度聞くが、お前は静江をどう思う? 俺の娘としてじゃなく一人の女として」
信一郎の顔がみるみる赤く染まってゆく。
大島の問いかけになかなか言葉が出てこない。
「お嬢さんは美しくて、聡明で、優しい素晴らしい方だと思います」
「それで?」
大島はまだ物足りなそうだ。
「よく気が付いて、絵もお上手で気品があって……」
「そんなこと訊いてねえよ」
大島はズバリ言った。
「好きなのかどうなんだ!」
信一郎は言葉に詰まった。大島はじっと次の言葉を待っている。
そして信一郎は言葉を絞り出した。
「そんな大事なこと、たとえ先生でも言えません。言うなら静江さんに直接言います」
信一郎は席を立った。
「失礼します」
一方的に話を終わらせて、信一郎は部屋を出たのだった。
「お嬢さん」
信一郎は大島の部屋を飛び出してすぐに、静江の部屋をノックした。
「高木です。お話があります」
「どうぞ」
扉を開けた静江は、はにかんだ笑顔で信一郎を迎え入れた。
「お怪我どうですか? まだ痛みますか?」
そう言ってまっすぐに信一郎を見つめる。
「もう。大丈夫です。ご心配おかけしました」
「良かった……」
静江はつっ立ったままの信一郎に、座布団を用意しながら話しかける。
「以前私が言ってた甘いどら焼き、高木さんが今日来られると思って用意してあるんです。お約束していたのに遅くなってしまって、すみませんでした」
言葉の最後、花のように笑ったその笑顔を見て、信一郎の心から言葉があふれ出した。
「あなたが好きです」
静江は信一郎の突然の告白に、息を止めて驚いていた。
「ずっと前から静江さんが好きだった」
信一郎は自分がどんな顔をしているのか不安になった。
「あの、つまり……」
真っ赤になった信一郎が何も言えなくなってきたとき、静江は信一郎の胸にそっと自分の頭をもたせかけてきた。
「本当は私の方から言いたかったの……」
胸に頭をもたせかけているからか、静江の言葉は信一郎の胸に直接入って来るようだった。
「あなたのことがずっと好きでした」
静江はそう言って信一郎の胸に深く顔をうずめた。
そして信一郎は静江の華奢な体を力強く抱きしめたのだった。