第12話 血闘
静江を助け出し、道場を後にしようとした時、黒塗りの大型車が門の前に横付けされて、そこから数人の男が出てきた。
「なんだお前ら?」
あちこち怪我だらけの三人と静江を見て、男の一人が立ちはだかった。
そしてさっきの逃げ出した見張りの男がどこからか現れて、信一郎たちを指差した。
「こいつら道場破りです!」
「なんだと」
男は鋭い目つきで一歩前に出た。
「やめろ木島」
そう言ったのは背後にいた小柄な男だった。異様な殺気をはらんでいる。
「誠真館の者だな」
男はそう言ってじろりと三人を見た。
「俺のいない間に何があった?」
見張りの男に向かって、男はそう尋ねた。
「こ、こいつらがいきなり押しかけてきたんです」
「本当か?」
小柄な男があらためて訊いた。
「ま、間違いないです」
「噓言いやがれ!」
太一が吼えた。
「静江さんをさらっといて何言ってんだ」
小柄な男はじろりと太一を見る。
「その男が言ってることは本当ですか?」
静江に向けられたその質問に、静江は「はい」と頷いた。
その場で男は深々と頭を下げた。
「私は九龍藤吉と申します。弟子が大変失礼なことをいたしました。全て私の不徳の致すところです。この通りお詫びいたします。どうか先走ってしまったあいつらを許してやって下さい。」
頭を垂れた九龍藤吉に向かって、信一郎は静かに怒りの目を向けた。
「許せだと?」
信一郎のただならぬ殺気に、九龍はゆっくりと顔を上げた。
「許せるわけないだろ」
殺気を孕んだそのひと言に、九龍の目の奥に異様な光が点った。
「俺はあんたを含め、ここにいる奴を誰一人許す気はない」
「ほう、それじゃあ」
九龍の瞳にも殺気が宿る。
「その体で死合うつもりか?」
「ああ、何時でもいいぜ」
静江が満身創痍の信一郎に縋って、必死で止めようとした。
「高木さん、もうやめて」
縋りつく静江の肩に、信一郎はそっと手を置いて引き離した。
「謙三、太一、静江さんを頼む」
信一郎はそう言って、青あざのついた顔で笑顔を作った。
「ではこちらに来なさい」
そして九龍は信一郎を道場に連れて行った。
目の前に立つ九龍は体よりも二回りは威圧感があった。
自然体で立つ九龍に対し、信一郎は先ほどの乱闘で右足を痛めていたため、片足で立つような形になっていた。
呼吸は戻ったが、あちこちに鈍い痛みがある。動けたとしてもそれほどこの体がもつとは思えなかった。
おそらく勝負は最初の一瞬、技が決まらなければ勝機はないと信一郎は冷静に考えていた。
「若いの、いい目をしているな」
余裕を見せて九龍がそう口にした。
信一郎は応えない。
「勿体ないな。ここで潰されちまうとは」
まるで命のやり取りを楽しんでいるかのように、九龍は唇の端を吊り上げた。
信一郎は九龍の話を聞き流していた。
ただ目の前の敵とどう闘うかということに全神経を集中する。
たとえ刺し違えてでもこいつを倒す。ボロボロの体の中にはまだ牙を剥く肉食獣が宿っていた。
もうこちらから仕掛けられる力は残っていない。
信一郎はじりじりと間合いを詰めて、相手が仕掛けるその瞬間を待った。
それを知ってか九龍はなかなか仕掛けてこない。
間合いを詰めて壁まで追い込もうとする信一郎の動きを、九龍は回り込んでかわす。
そうしている間にも信一郎の体力は削られていった。
無理やり痛めた足を踏み込んで、信一郎は一気に間合いを詰めた。
強引ではあったが、満身創痍であるこちらには、このような動きを出来ないだろうと、相手の見切りを逆手にとったのだ。
先に仕掛けた信一郎は、すぐに自分の見切りが甘かったことを悟った。
合わせられた!
背筋に冷たいものが走った。
一瞬で九龍に肘関節を取られ、そのまま投げに入られた。
九龍の技を目にして、遠目に見ていた謙三と太一は勝負がついたと確信した。
そして信一郎は関節を極められたまま、本能的に動いていた。
ゴッ!
骨と骨がぶつかり、へしゃげる様な音がした。
よろめいたのは九龍だった。信一郎は自分の肘関節をもう一方の手で固めて、近づいて技に入った九龍の顔面に跳びついて頭突きを入れていた。
追い詰められた手負いの獣が放った痛烈な一撃は、勝利を確信した九龍の口を直撃し、血しぶきを飛び散らせた。
「ぬううう」
苦痛に顔を歪ませて、ボトボトと口から血を滴らせた状態のまま、九龍は間合いを取った。
そして二人は再び構えを作る。
「ただで済むと思うな」
九龍は血まみれの口から「ベッ」と口に溜まった血を、折れた歯と一緒に吐き出した。
目の奥に怒りと殺意が見える。
一方、信一郎はもう立っているのがやっとだった。
無理な体制で体を捻りながら跳んだことで、体中に激痛が走っていた。
九龍の次の一撃を自分にはかわせないことを、冷静なもう一人の自分が警告していた。
間合いを詰める九龍に、信一郎は動けぬまま荒い息を吐いている。
とどめを刺そうと、九龍が踏み込んだ時だった。
「そこまでだ!」
道場に響くような声と共に姿を現したのは大島誠太郎だった。内弟子の斎藤も傍らに立っているのが見えた。
「久しぶりだな、九龍よ」
スーツの上着を脱ぎながら、大島は静かに道場に足を踏み入れた。その眼は殺気を孕んでいる。
「やっと来たか大島。待ちわびたぜ」
血で顔を汚したまま、九龍はニタリと狂気を孕んだような顔で笑った。
「久しぶりに死合うとするか?」
「ああ死合おう」
対峙した二人はお互いの間合いを探りあう。
大島はスッと半身で構え、少し腰を落とした態勢で隙の無い動きを見せる。
もう一度口に溜まった血を吐き出した九龍は、まるで恋焦がれていた相手とまみえているかのように、悦びを顔中に浮かべていた。
「ひでえ顔だな九龍よ。もともとひでえ顔に磨きがかかったな」
「うるせえ!」
仕掛けたのは九龍だった。
跳び込んできた九龍に、大島は流れるような脚さばきで合わせた。
勝負は一瞬だった。
大島は最初から分かっていたかのように技を繰り出した。
仕掛けた九龍の側面に入り身し、体の方向を切り替える。一瞬で重心を崩した後、大島の体は渦の様な螺旋を描いた。
九龍の体が宙に舞う。
大島の最後の滑るような踏み込みで、さらに大きく足が跳ね上がる。
普段は見せない人を殺そうとするような技だった。
唖然としている信一郎の目の前で、九龍は頭から畳に叩きつけられていた。
そして九龍は口の端から血の泡を吹いて意識を失っていた。
大島は畳に座り正座をして一礼した。そして立ちあがると立っているのがやっとの信一郎のもとに近づいた。
「ひでえ格好だな。もっと稽古しろ」
そう言って斎藤を呼んだ。
「こいつらを病院に運んでやれ」
そうしてこの騒動に、ようやくけりが付いたのだった。