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若き獅子は目覚めてからも夢を見る  作者: ひなたひより
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第11話 他流試合

 秋の深まった肌寒い日の夕方。

 その日は演舞大会があり大島と内弟子たちは出払っていた。

 内弟子たちと同じように誠真館で寝起きしているとはいえ、学生である三人を大島はそう言った場に連れて行こうとしなかった。

 残された信一郎と謙三、太一の三人は自主的に稽古を終えた後、縁側で一息ついていた。


「静江さん遅いな」


 謙三が口にしたことを他の二人も丁度考えていた。

 夕食の材料を買いに町に自転車で出て行ったきり、静江はまだ帰って来ていなかった。


「晩飯遅くなりそうだな。俺もう腹減ってんだけど」


 太一は腹をさすりながら言った。


「おまえの腹に合わせてるんじゃないんだよ」


 信一郎はいつも腹をすかしている太一を窘めた。

 そう言う信一郎もいつも腹をすかせている奴だと、内弟子たちから普段からかわれていた。

 くだらない冗談で盛り上がっていた三人の前に、以前見たことの有る男がふらりと現れた。

 以前他流試合を申し込みに来た津田という男だった。


「おまえ!」


 気付いた太一が歯を剝きだして睨みつける。それを謙三が制してスッと前に出た。


「なにか御用ですか?」


 道場が閑散としているのを確認し、男はつまらなそうな顔を見せた。


「また大島はいないのか」

「今不在です。お引き取りください」


 謙三は険しい顔をしている割には落ち着いていた。


「いつ帰ってくる?」


 前の時もそうだったが、男はしつこく食い下がった。


「あなたには関係ないことです。お引き取りください」

「ああ分かった。どうせお前らじゃ話にならんしな」


 完全に学生である三人を舐め切っているかのように、男は薄笑いを浮かべた。


「大島が帰って来たら言っとけ、他流試合に応じろと」

「先生は他流試合はしません」


 信一郎は決まりきった文言で、相手にしないと意思表示をした。


「じゃあ可愛い娘のためにって言っとけ」


 それを聞いて三人は表情を変えた。


「どういう意味だ?」


 信一郎のこめかみに青筋が浮き出る。


「聞こえなかったか? 大島の娘はいま、九龍館が預かってるんだよ」


 言葉が終わらないうちに信一郎は動いた。

 男は突進してくる信一郎の顔面に正拳をとばした。

 その刹那、男の前にはもう信一郎はいなかった。

 そして男の巨体が宙に浮く。

 頭と背中を地面にたたきつけられた男は、苦悶の表情を浮かべ呻き声をあげた。

 信一郎は倒れ込んだ男の顔面に、そのまま拳を叩き込む。


「やめろ! 殺す気か?」


 もう意識を失っている男を殴り続ける信一郎を、謙三は羽交い絞めにして抑える。


「こいつにかまってる場合じゃないだろ!」


 信一郎は我に返り、立ち上がって走り出そうとした。


「まて! 他流試合は厳禁だ」


 謙三は信一郎の腕を掴んだ。しかし謙三の口調は怒りで震えている様だった。


「いや、止めても無駄だろ」


 太一には分かっていた。


「行こうぜ信一郎、謙三」


 謙三が掴んだ手を放す。


「俺も付き合う。こうなりゃヤケだ」


 余裕のない表情で、信一郎は二人を振り返った。


「行くぞ!」


 信一郎がそう叫んだ後、三人は道場を飛び出した。



 隣町の九龍館まで道着姿で走り続けた信一郎たちは、汗だくで息が上がった状態だった。

 それでも日ごろの鍛錬で鍛え抜かれた三人には気力がみなぎっていた。

 九龍館と書かれた立派な看板を構えた門の前で、三人は気合を入れ直した。


「行くぞ」


 信一郎はまだ荒い呼吸が収まらないまま、一歩踏み出した。



 門をくぐってすぐ、汗だくの三人に気付いた道場生が数人、声を上げた。


「なに勝手に入って来てんだ!」


 掴みかかる道場生たちを、わずか数秒で三人は地に這わせた。

 そのまま敷地を取り抜け道場を目指す。

 信一郎は先頭に立って、そのまま稽古最中の道場に足を踏み入れた。

 異様な雰囲気の三人に気付き、三十人ぐらいの道場生が一斉に注目する。


「なんだお前ら!」

「静江さんはどこだ!」


 そして三人は襲い掛かってくる道場生に向かって、雄たけびを上げながら飛び込んでいった。



 三人の闘いぶりはまるで鬼か獣のようだった。

 多人数でかかってくる相手を確実に一人ずつ仕留めてゆく。

 肉が打たれ骨が軋んでも、荒れ狂う三人を止めることは出来なかった。

 普段稽古では禁じられている危険な技を爆発させ、信一郎たちは群がる相手をことごとく畳に這わせていった。


 荒い息遣いと焼ける様な体内の感覚。


 もう技も何も信一郎の頭の中にはなかった。ただ涙を浮かべた静江の寂しそうな顔が信一郎の両足を支えていた。

 満身創痍で最後に向かってきた男を投げ飛ばしてから、信一郎は膝をついた。

 振り返ると謙三も太一も、どこかしら怪我を負いながら倒れ込んでいた。

 あちこちで悲鳴を上げる体に鞭打って、信一郎は奥歯を噛み締めながら立ちあがった。

 倒れ込んでいる人の山を踏み越えて、ただ静江を探して重い足取りで邸内を歩き回る。

 足を痛めているのか、片足を引きずるようにして信一郎は静江を探す。

 奥の部屋の入り口に、見張りらしき人影がある。鬼気迫る信一郎の姿に、人影は「ひい」と言って、その場から逃げるように立ち去った。

 信一郎の今の姿はひどいものだった。瞼は腫れあがり唇は切れて出血していた。道着はあちこち破け、自分の血なのか他の誰かのものなのかは分からないが、白い道着のあちこちが赤く染まっていた。

 信一郎は脇腹を手で押さえながら、扉の前へとやって来た。

 恐らくあばらは何本か折れているだろう。

 実際、痛くないところを探すのが難しいくらいだった。

 人影が居なくなった扉を開けると、そこには一つ小さな椅子があり、静江がうつむくように座っていた。


「静江さん」


 信一郎の声に気付き静江は顔をあげた。


「高木さん」


 静江は立ち上がると、涙をぽろぽろと流しながら信一郎の胸に飛び込んだ。

 信一郎は自分の手が血で汚れているのに気付き、静江に触れるのを躊躇った。


「いけません。洋服が汚れますよ」


 静江は何も言わずに信一郎の胸に顔をうずめる。


「もう大丈夫です。帰りましょう」


 信一郎は泣きじゃくる静江に、できる限りの優しさを込めてそう言った。


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