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壊れた時間は戻せない。〜箱の中の猫はマタタビの夢をみる〜  作者: ALP
ショートショートに魅了されて。
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ワンダフル・グラス (Wonderful grass)

前にも話したかもしれないが聞いて欲しい。


いや、いつだったか。ん、君じゃなかったか?では、誰に話したんだろう。分からない。しかし、それなら丁度良い。前に話していないかもしれないが聞いて欲しいんだ。


扉があった。材料の木は紫檀材だと推測する。ドアハンドルの金属に至るまで古代の建築物のような装飾がなされている。細部まで拘りが窺える。扉は近寄り難い神聖なオーラを放っている。


そこは山奥で一面にラナンキュラスの花が咲く場所だった。誰かが植えたのだろうか。ラナンキュラスは植えなければ咲かない花。


奇跡なんて言葉をやたらめったらに使うべきではないけれど、あまりにも奇跡的な光景が目の前には確かに存在する。


そんな沢山の花弁を付けた濃い桃色に囲まれた扉に私は手を伸ばしたんだ。そんな話を私はしなかったか?


・・・そうか。では続けよう。


その扉を開くと中から強い風が吹いた。花々が風に揺れていた。


扉は世界に繋がっていた。私が経験したことのない、一生観測することのない世界を見ることが出来る不思議な扉だ。


どこの?それは全てだ。あらゆる世界に繋がっている。


扉の向こうに私が見たのは『植物に支配された世界』。アトランダムに抽出された世界が展開していく。元いた世界を置き去りにして、私だけがそこに組み込まれていくような感覚があった。


そうだ。これは私が見た夢の話。あくまでも私はオブザーバー。多元的宇宙での話だ。話半分に聞いて貰って構わない。


どうせ埋もれていて忘れ去られた物語だ。


鮮明な記憶もいつかはセピア色になる。思い出や感情は多量の時間に希釈されて段々とその濃さを失っていく。


時間に人は抗えない。誰かがした小さな空想も著明な作家のベストセラーも。人にはどうしても近づけないものがある。過去。未来には多少なりとも近づけるが過去は遠ざかる一方だ。過去の世界に私は触れた。


再々構築される世界で物語が彩色されていく。


神の垂らした一雫により、朽ちた植物は息を吹き返し再び果実を実らせる。


◯月☆日。


博士の研究は身を結ぶ。ガラス張りの壁を隔てて植物の声が聞こえたのだ。博士はその植物にヴォイニッチと名付けた。ヴォイニッチは想像を遥かに超える高い知能を持っていた。


博士は今に至るまでの経緯を伝えることにした。一通りの説明をした。ヴォイニッチはすぐに理解してくれた。


「博士。貴方は賞賛を浴びるべきだ。私達からは勿論、君達からも。」


博士は大層疲れている様子だった。やつれていた。彼女は椅子に座ったまま植物に言った。


「賞賛か。浴びるべきなのは非難や怒号じゃないだろうか。それにシャワーかな。ヴォイニッチ。あとは頼む。可能ならばこれから始まることは私以外の人間には知られたくないんだ。君達からの賞賛は嬉しいよ。でも、私達人類からは同意なんて絶対に得られない。反対が人類の総意だと思うよ。」


「近いうちに貴方達に終わりがくる。それを幾ばくか早めただけじゃないか。それに。」


「それに?」


「博士から始めればその後のことなんて気にしなくていいんじゃないかと思ってね。」


博士はヴォイニッチの言っていることが自分が人類の非難から避難する唯一の方法だと知ってはいたが、決して首を縦には振らなかった。


「遠慮しておくよ。責務があるんだ。見届けるためのね。私は最後でいいんだ。」


納得のいかない様子で博士の言葉の意味内容をヴォイニッチは考えていた。ヴォイニッチには博士の発した責務という言葉に違和感があったのだ。責任よりも重いようなニュアンスでその言葉を使ったのだろうが、その前に自分の行いを知られたくないとも言っていた。


批判を恐れているのなら責任という言葉の方が責務よりは軽々しく使えるのではないか。自分の逃げ道を潰すような発言をした博士のことが理解出来なかったのだ。


一度天井を見て、視線を博士に戻した。数秒経ってから自分なりの答えを導きだした。


ヴォイニッチは人間は感情から論理に基づかない無意識の行動や発言をすることがあると結論付けた。そんな人間の特殊性を少しずつ理解したヴォイニッチが口を開く。


「この点が私達と貴方達の違いなんだろうね。迷ったり、焦ったり。何かを愛したり。信じたり。頭を巡らせれば理解できる感情なのに、人間は非合理的行動を取ってしまうことがある。それはとても羨ましい。」


博士は手を顎に当てながら考えた。


「一理あるが、君は私を受け入れてくれたじゃないか。滅びゆく人類の中の一人の戯言を信じてくれたんだぞ君は。私はそれを人間的と捉える。君は立派だ。」


「博士の考えが優れているだけさ。博士の想いを重んじるよ。同じ生命体としてね。」


博士が壁にあるスイッチを押す。するとガラスの壁がゆっくりと引っこんでいき、最後には互いを遮るものが無くなった。


「ようこそ、ヴォイニッチ。こちら側に。」


ヴォイニッチは部屋の隅にある冷蔵庫に近づいていき、中にあった容器に入った水を取り出した。それをバシャバシャと浴びた。浴び終わると博士に返事をした。


「やあ博士。小さな世界からこんにちわ。」


「ヴォイニッチ。キャッチボールでも、ゲームでもするかい。」


博士がボールを投げるポーズをする。


「キャッチボール。ゲーム。・・・理解した。そういう遊びがあるんだね。うーん、どちらかというとゲームかな。キャッチボールには勝敗がないからゲームがしたいな。でも、今の発言は博士のジョークだということも理解しているよ。」


「本気さ。ゲームか、いいね。私は負けず嫌いでね。どうしても勝ち負けにこだわってしまうんだ。例えそれが遊びであったとしても。子どもの頃に何度敗北を味わったか。で、それが悔しくて悔しくて、勝てるように何度も研究をする。それが私の原点なのかもしれない。そうして、いつの間にか私は狂人と呼ばれるくらいになった。誰も私の話を聞いてくれなくなった。これは果たして成長と言えるだろうか。」


「博士。負けず嫌いは素晴らしいことだよ。そうして私が生まれたのだから。私に博士の熱情が注がれていると思うと嬉しいよ。いや、少し偉そうかな。考えてみれば博士は私の生みの親や恩師ということになる。敬語を用いるところではあるんだけれど。私は博士にどちらかというと友情を感じているから。」


ふふ、と博士は笑う。


「それでいい。私はね、ヴォイニッチ。ここまでを一つの試合と仮定した場合には。私はこの試合に敗北すると見ている。未だに劣勢だ。ずっとキャッチボールがしたいよ私は。勿論、君という存在は喜ばしいが。君は私の写身であるとは思わないし、正直、君という私が尽くした最善に畏怖を覚えている。そんな存在が対等に、いや、それ以上にもかかわらず、私を尊重してくれている。」


博士はテーブルに置かれていたミニサボテンをじっと見つめた。そのサボテンには小さくてもしっかりとトゲがある。生きている。手にとって全体を見て、それを確認し終わるとテーブルに戻した。


「敗北。それなら博士の熱情の火種にできるはずだよ。よく燃えそうだ。そうしたら、また戦って勝利すればいい。博士がした研究は死なない。」


ヴォイニッチがそう言うと、そのまま右手を差し出したので博士もようやく椅子から立ち上がって右手を出して握手に応じた。


「そうだな。ありがとう、忘れていたよ。仮に私が死んだとしても。永遠とはいかないが生きていくかもしれないな。私の研究は。」


博士はそう言った後、ヴォイニッチには聞こえないくらいの小さな声で呟いた。


「それが残念なんだ。」


◇月◎日。


今日ばかりは煙草を吸ってみたいと博士は思った。何でも良いので依存がしたかったのだろう。部屋の角にもたれかかりながら、彼女は回想する。


資源が必要のない世界は訪れなかった。正確には人類には時間が足りなかった。人が生きていく上で消費する資源が枯渇する日はそう遠くないと予測できていたというのに。


人々は焦燥していた。世界中の科学者が尽力したが、何人かの科学者は技術的限界に気付いてしまったようだった。私もその一人である。私は発明した意思ある植物を『ヴォイニッチ』と名付けて自分を養分として代わりに生存させることにした。誰もが反対した。でも仕方がなかった。


科学者は種の保存を植物に委ね、植物は応じて『種』を拡散する。拡散した種は人間に植え付けられて博士とヴォイニッチのような関係性が他の個体でも生まれる。


いつかは全ての人間に植物が植え付けられるだろう。これで植物として人類は少しだけ延命できる。それを見届けるのは私の役目だ。その時まで意識を奪わないようにヴォイニッチには伝えてある。守ってくれると信じている。


植え付けられたそれを植物と呼ぶのか、人間と呼ぶのだろうか。また、それらは全てヴォイニッチなのだろうか。植物は栄養を吸い尽くした後にどうするのだろう。薄れゆく意識の中で私はそんなことを考えていた。


「ええと、ふむ。いや、うん。うーむ。ああ、喉が渇いた。」


「おっと、それはいけない。」


博士に咲く花は水をとってくるように彼女に指令を出した。博士の手が、足がゆっくりと冷蔵庫に向かう。もう自分の意思だけでは動くこともままならない。博士は自身に水をバシャバシャとかけた。


「ふう、ありがとう。」


ヴォイニッチがお礼を言った。


この広大な宇宙に小さな惑星が沢山ある。どの星にも寿命がある。私達と同じように終わりがある。


けれど一つも怖くない。終焉を分かち合う友に出会えたのだから。心の奥底で抱いていた恐怖はもうどこにもない。


博士はヴォイニッチの絡んだ手のようなものを握ったまま指を動かして、かろうじて残存している意識を楽しんだ。


熱くもなく冷たくもない湯にずっと浸かっているような気分になってきた。カエルは水の入った鍋の温度の少しずつの上昇に気づくことが出来ない。私がカエルでなくてもカエルであっても、気づかないのであればそれでいい。


なんとも心地良い。どんどん脱力していく。次第に倦怠感は浮遊感に変容していった。空気の重さが嘘のように私から無くなっていく。重力から解き放たれる。


予定があったはずだが思い出すことが出来ない。明日はどうしようか。考えようとしたが無理だ。眠気には勝てずに私はもうじき眠るだろう。


ぐわんぐわんと視界が揺れる。ぐにゃぐにゃと周りが歪曲している。心臓の鼓動が聞こえる。その音が強調されて増幅していく。


大切な人がいた気がする。熱中したことがあった気がする。ああ、とても楽しかった気がする。


薄れていく。忘れていく。失っていく。一定のリズムで。順番に別れを告げる。悲しさはない。すでに失われている。失うことによる解放が私の心を軽くする。






幸せ。





以上、報告だ。

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