五十七話【始動】
「ふざけるなよ!お前が……エネットさんの何を知ってるんだよ!?」
「………」
「答えろ!」
「……言った通りだ。俺は、あの人にもついては何一つ知らねぇ」
許せなかった。今までエネットがしてきた事を知らずに、こんな軽い気持ちでいられるマストルが。
足りない。殴る、蹴る、怒鳴る、どんな暴挙を加えても、僕の心は収まることを知らなかった。
マストルには傷一つついていなかったが、顔は歪んでいた。何か言いたげな表情をしていたが、無視した。
「お前が……お前なんかが……!」
幾らやっても、何をしても、満たされない。この怒りをどこにぶつければいいのだろうか。
「……ありがとう」
「……え?」
「あの人が最後に言った言葉の一つだ。本来はもっとあるんだが、長くは話せなかったよ」
(ありがとう……?)
感謝の言葉を言われる理由が分からない。僕は、結局助けられる側の人間にしかなり得なかった。そんな僕に、「ありがとう」なんて言葉は相応しくない。
むしろ、感謝したいのはこっちの方なのだ。
直接会って、感謝を伝えたい。
でも、もう会うことは叶わない。
無情にも降りかかる事実は、平等で不均等に、僕の心を蝕んでいった。
「分かったか?お前は、お前自身が思っるより、大切な存在だったんだ。でなきゃ、あの人がそんなこと言うなんて思えないしな」
「………」
その通りだ。だからと言って、今の僕は何をすればよいのか。何をすることが正解なのか。幾ら心に問いかけても、答えは出てこない。
「なぁ……マストル。僕は、今どうすればいいのかな。どうすることが正解なのかな?」
もう、誰かに頼る他なかった。
マストルは呆れたように僕の顔を見て、一息つき、口を開く。
「俺に聞いても、何とも言えないな。ただ、俺らにはまだやることかあるだろ?ここに来たのは、無駄死するためじゃないんだからさ」
(……その通りだ)
僕がここに来た理由。それは、ヘヴンを助けるためだ。それを見失ってはいけない。
(……そうだ。きっと、エネットさんが言いたかった事は、そういう事なんだ)
意識が途切れるあの瞬間、聞こえた声は僅かではあったが、忘れることはない。
エネットが、最後に残してくれた道。意思。それが、あの言葉に詰まっていたのだ。
「……分かったみたいだな。じゃあ、とりあえず、家に戻るか。あの様子だと、結界はしばらく修復されないだろうし」
そうだな。と返そうとしたその時、何か頭に穴が空いていることに気がついた。
「いや、少し待ってくれ。何か、忘れてるようなことがある気がする」
エネットがいない今、誰かが足りない気がする。いつもその傍にいた、天然な僕の姉弟子。
(あ……マキの事だ)
確かに、先程から姿が見えなかった。さほど気にしていなかったとは言え、不自然過ぎただろうか。
しかし、近くにマキの気配は感じない。僅かに強い存在感は感じるが、遠すぎて消えてしまいそうなほどだ。完璧には認識できない。
「マストル、聞きたいんだが、マキはどこに行ったんだ?」
「ん?あぁ、あの女の子か。本当は、お前と一緒にここまで運んできたんだが、起きた瞬間、どっかに行っちまったんだよ」
(どこかへ……言ってしまった?)
どういうことだろうか。エネットが死んだ今、マキが自立して行動しているとは思えない。
(……だとしたら、あそこしか考えられないな)
ほぼ当てずっぽうみたいなものだが、これしか見当がつかない。と言うより、彼女なら、そうするだろう。エネットを一番に尊敬し、崇拝している彼女なら。
「マストル、進路を急遽変更だ。エネットさんのところまで案内してくれないか?」
最初は、僕の発言に呆気を取られていたマストルだが、慣れたのだろう。その内、驚くことすらしなくなっていた。むしろ、ヤレヤレと言わんばかりに、僕の話を快く受け入れてくれた。
「……そんな事だろうと思ったぜ。だけど、ここで急に進路変更するって事は、何かあるんだろ?」
「あぁ、ヘヴン様が助かる確率が大幅に変わってくる、重要任務だ」
「へぇ……そりゃ大変だな。話は走りながらでいいか?」
「あぁ。そっちの方が都合がいい」
お互いの合意の元、ある場所へ向かう。
僅かに感じるその気配から感じられるものは、決してよいものではなかったが、躊躇っていられる場合ではない。
もう、過ちはおかさない。そう、心に決めたのだ。
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