四十話【下手】
少し薄暗い日の出前。僕達は、エネット宅へ向け、再出発の準備を進めていた。
昨日の話があってか、マストルは、何一つ話すことなく、黙々と準備を続けている。
「うーむ、何かあったのかの?今日は一見して暗いの」
何も知らない美音は、ただ呆然とその姿を見ていた。
「日々の疲労が蓄積したのでしょう。今はそっとしておいてくれないでしょうか?」
メイはそっと口添えする。これ以上、マストルに精神的負担をかければ、再起不能になるのは目に見えている。それを悟ってのことだろう。
「……よう分からんが、いいじゃろう。主として従者を労るのは当然じゃ」
どの口がそれを言うのか、とも思ったが、そういう言葉を言えるだけ、成長はしている。
「メイ様、こちらは準備完了しました……」
準備を終えたマストルは、メイへ確認の知らせを伝える。しかし、その声は、いつもの明るい彼の声とはかけ離れた、無情の音をしていた。
「では、ここを出ましょう。早ければ、あと二時間ほど歩けば着くでしょう」
メイはそう言うと、ある程度荷物を持ち歩き出した。それに僕らも続く。
歩いている途中、眠たそうに目を擦っている美音が話しかけてきた。
「のう、アルト。妾、少し眠り足りないようでの、少し妾を背負ってくれぬか?」
突然の要求に、一度は驚いたが、女王の命令は絶対だ。聞き入れる他ないだろう。
「分かりました。では、こちらに……」
背負っていた物入れ袋を前掛けにし、美音の体を背に預けた。
彼女の華奢な体は冷たかった。まるで、人のものとは思えないほど。
「……美音様、少しお体が冷えているのではないでしょうか?何か羽織れるものでもお持ちしましょうか?」
「余計な心配じゃ。妾は寒くなどない」
強がっているのか、僕の言葉を頑なに受け入れようとしない。威厳やらプライドやらがあるのだろうが、ここで風邪でもひいてしまえば後が大変だ。
「では、僕からの願いです。どうかこれを羽織っていただけないでしょうか?風邪などでも、悪化してしまえば大変ですから」
前掛けにしていた物入れ袋から、未使用の毛布を取り出し、美音に差し出した。
「ふんっ、お主が言うなら仕方がない。特別だからね?」
不意に出た語尾に、思わず笑ってしまった。やはり、この口調は無理をして装っているものなのだろう。
「なっ!お主、何を笑っておるじゃ!妾を愚弄するつもりか!?」
「いえいえ、そんな事ありませんよ。ただ、懐かしくて……」
「懐かしい?」
「な、ナンデモアリマセン」
自分でも分かる誤魔化しの下手さ。疑われてしまうかと言い訳を考えようとしたが、鈍感な美音はそれに気づいていないようだった。
(危ない危ない……ここでバレたら終わってた……)
しかし、懐かしいと思ったのは本当だ。昔もこんなことがあった。冬のある日に、外で遊び呆けていた時の記憶が蘇る。
(あの時の美音は可愛かったなぁ……あんな風に、僕を頼ってくれてもいいのに……)
「何考えてるの。考え事をしてる暇があったら、早く歩きなさい」
妄想にふけっていたところに水を刺された。自分だけの世界へ入り込んでいたようだ。我ながら恥ずかしい。
気を取り直して前線を見ると、無表情で淡々と足を動かすマストルが映った。
今思い返してみれば、何故あの時に、あんな言葉を放ったのか、自分ですら分からなかった。
(いつか、話ができるようになったら、謝らないとな……)
自分の言葉に、少し後悔を覚えつつ、僕は足を進める。
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