百三話【もう一つの顔】
ノーディラスはそう言うと、突如として身体を丸めた。
《告。対象名ノーディラスを中心に、激しい拒絶反応が流れ出ています》
世界剣が告げる。
「……アルトさん、ここは危険ッス。少し下がってください」
「そんなに危険なの……?」
確かに雰囲気が変わったようには見てる。しかし、特別変化があるようには見られない。
「危険ッス。それも今まで見たことがないような……もしかしたら幻龍種以上かもしれないッス」
「……まじですか」
僕からすれば、ただ蹲っているようにしか見えないのだが。
「アレを見た目だけで判断したらダメッス……そろそろ来るッスよ」
言われるがままに下がり、俯いているノーディラスを見た。すると、そこに居たのはおぞましい雰囲気を身に纏う”何か”だった。
「……おぅ?随分早い再臨だなぁ、ノーディラスよ」
男は歪だった口元をさらに歪ませ、視線をこちらに移した。
「……お前らか?ノーディラスに俺を判断させたのは。これじゃ自動変化の見せ所ねぇじゃんかよ」
一瞬見ただけでもわかる。
明らかに先程までと存在感が違う。あれはノーディラスなんかじゃない。
「……誰ッスか?」
マキは結晶玉から剣を取り出し、男に問う。
「その反応……俺を見るのは初めてだな?」
「……そりゃ初対面ッスからね」
ノーディラスはそれを聞くと、少し吃驚していた。
「ほぉぉお、初対面で俺を出すのか。こりゃ期待が高まるな」
男は口元を緩め、楽観的な口調で言う。
「期待?……死ぬのがそんなに楽しみなんスか……?」
「……死ぬのが楽しみ?バカいえ。俺が出てきて生きて帰れると思ってるのか?」
「当然ッス」
風を刺す様な目つきで睨み合う二人には一切の隙がない。
互いが互いを探っている。
「……こんな無駄な事やっても時間の無駄ッス。貴方に構ってる暇はないッスからね」
「その意にだけは同意だ。俺も暇ではない」
二人は言い終えたその刹那、その間に閃光が通り過ぎた。
「……へぇ、死なないんスね」
「……いい太刀筋だ。その剣、なんて言う業物だ?」
その閃光は、確かに男を裂き刻んでいたはずだ。見間違えるわけが無い。
なのに、男の体は無傷だ。
「答える義理はないって……言ってるんスよ!!」
下げていた剣を再度振りかざし、乱れるように太刀を振る。
しかし、男は余裕そうな表情で斬られ続けている。
「……なんで避けないんスか?」
「避ける必要が無いから。死が俺を嫌ってる。だから避ける必要がねぇのさ」
「意味の分からないことを……!」
マキの剣速は更に上がる。一秒にも満たない時間に、何兆、何京ともなる斬撃が男を襲う。
しかし、男はなお避けない。
「……筋は悪くねぇ。俺の力に反して加えられる斬撃も見事だ。ノーディラスならとっくに殺されてるな」
「……ノーディラスなら……貴方は何もんなんスか?」
「……俺とアイツは表裏対極の二面人格者。そして俺が担当するのは”裏”。危機的状況に駆けつける嫌われ者……」
男の顔は歪む。
「……パレット。それが俺の名だ」
*
「……どうした小娘。もう終わりか」
「はぁ、はぁ、はぁ……なんで……死なないんスか……」
十分間、絶えず斬撃を浴びせ続けたマキは疲労に陥っていたが、それでもなお太刀を止める事はしていない。
「見事だ。無駄と知っていても腕を止めぬその精神、賞賛しよう」
「貴方にされたって嬉しくないッス……不快ッス!」
「酷い言いようだな。俺は敵を賞賛した事はない。賞賛に値する敵はお前が初めてなんだ。むしろ光栄に思って欲しいな」
無我夢中に刃を振るい続けるマキを見て、パレットは高らかに笑う。
「マキ!一度立て直そう!今のままじゃ無理だ!」
「……まだッス。まだ果たしてないッス!」
撤退は完全に無視された。ああなったマキは、もう止まらない。
「そうでなければ面白くないと言ったものだ!存分に楽しませろ!」
男はついに動きだした。
「ちいっ!攻撃してくるんスね……!」
「誰も斬られ続けるなどと言った覚えはないぞ、小娘?」
右足から繰り出される蹴りは、マキをふらつかせるほど強烈な一撃だった。
「マキー!」
「大丈夫ッス……心配ないッスよ」
そんなわけがない。口元から血が垂れている。剣で少し防いでいたのに防ぎきれなかった。
エネット以外の攻撃でマキがよろめくところなんて見たこともない。
「どうだ、防いでも防ぎきれなかった感覚は。奇妙なものだろう?」
パレットは笑いが止まらない様子だ。
あんなのにどうやって勝てばいいんだ?
「……確かに奇妙ッスね。私じゃ貴方に勝つのは難しいッス」
「認めるか?それとも、何か隠しているのか?」
「……何も隠してないッスよ。少なくとも、手加減してるようじゃ貴方は下せない……そう思ってるッスから」
「……”手加減”だと?」
パレットの顔色が少し変わった。
「そうッス」
マキは額を右手で抑えながら体勢を立て直した。
「……世界剣さん、一度下がって貰っていいッスか?」
突然飛び出たマキの一言に度肝を抜かれた。この状況で世界剣を下げる?
《……告。現在の身体状態上、其の判断は適切外と申し上げます》
「世界剣さんの言う通りだよ!ここで世界剣さんが下がったら……マキが……!」
「……歌絲さん」
「……っ!」
虚ろんだマキの目は、一筋の光を伝うようにこちらを見ていた。
「……私、許せないんスよ。歌絲さんからしたら、そうでも無いただの暴言なのかもしれないッス……でも……」
もう見たくない。
”それ以上言わないでくれ” そう心で叫んだ。
「……本当に優しいんスね。でも、私にだってやらなきゃいけないことはあるッス。私は、最後までやるべき事をやり通すだけッス」
そう言ったマキは、手に持っていた剣を手放した。
「それはもう使わないのか?」
「……私は本来武器を使わない主義ッス。今までは抑えるために使ってきたんスけど、貴方にはそれが必要ないと思ったッス」
それを聞いたパレットはニッと頬を緩ませる。
「光栄だな。俺も高く買われてる……って受け取り方でいいか?」
それを聞いたマキはニッと頬を歪ませる。
「……逆ッスよ」
「……あぁ?」
「貴方みたいな下劣な輩は、この世からチリひとつ残さず消し去る方が最適ッス」
パレットの顔が紅潮していくのが分かる。血管が浮き出ており、小刻みに震えている。
「……お前、なめてるよな?この俺を」
「怒ってるんスか?でも、もうその表情を浮かべることも出来なくなるッスよ」
互いは近寄り、線香花火が散るかのように睨み合う。
「……じゃあ、再開しましょうか。貴方の最期を飾る公開処刑を」
「……あぁ、始めよう。お前のその余裕を捻り潰す殺戮ショーをな」
《──告。制御機能が完全に破壊されました》




